60代 なるようになるさ!なんとかなるさ!なんとかするさ!

70代になったけど タイトルはそのままで
 
2025/04/14 13:45:00|ぶらぶら歩き
ごはんを食べ過ぎた

八丈島ぶらぶら散歩

6:00頃 散歩からホテルに戻ってきた

ホテルの女性従業員の方が 続々と車で出勤してた

7:00過ぎ 友達が 朝飯を食べに行こうと 部屋に来た

早いけど 吾輩も行くことに

だが 友達は 外へ散歩に出かけたようだ

仕方なく ひとりで食事をするかと レストランへ


朝食なんだが ちょっと食べ過ぎた

ご飯以外に 好物のお粥も食べたし

普段食べない スープも食べ サラダも食べた

飲み物は 明日葉のお茶 独特の味だよ

途中で 友達も合流した

他にも いろんな方が いましたね

男性ひとり 女性ひとりの方も 高齢のカップル

などなど


その後 すぐにチェックアウトして

まずは 宇喜田秀家のお墓へ

秀家の住居跡なんだが 一般の方の庭先にあって

お住いの方に 声をかけて 入っていった

お墓も 近くにあったが 最初見つけられなくて

道路脇に立ってた おじいさんに聞いた

すぐ そこなんだが と一言

道を戻ると すぐ分かりました

このおじいさん ただ立ってたのではなく

測量の仕事中でした つゆ知らずで ゴメン!


秀家は 1655年に84歳で 亡くなっており

今のお墓は 1841年に建てられている

当初のお墓は すぐ横の小さな墓石だ


ご存じのように 秀家は関ケ原の戦いで

西軍の副大将(総大将は石田三成)で 参戦してる

家康の命で 1606年八丈島に流された 34歳


周囲には 浮田というお墓が いっぱいあったが

これは 宇喜多家一族の傍系の方々の墓

直系は宇喜多家を 名乗ってる


山に行く前に 友達がお土産を買うということで

黄八丈の工房へ向かう

途中 すごい道路を通ることに

この土木工事はすごいよ 急斜面に建てた橋脚とか


黄八丈の着物 300万円とかするんですね

驚きです  昔は昭和天皇も訪れた工房だった

吾輩 工房の外をぶらぶらしてたら

ここのご主人(社長?)と しばらく話すことに

その話は長くなるので 明日に



写真
ホテルでの朝食
宇喜田秀家の住居跡とお墓
展望台からの景色
 一周道路のすごい形
  飛行機からみた一周道路
黄八丈の工房
 機織機
  10億円かせぐフェニックス


 







2025/04/13 13:52:00|ぶらぶら歩き
まだマシかと思うしかない

言うことが ブレすぎて なんなんだ!

トランプの一貫性のない 政策に翻弄されてる

中国からのスマホ PCは 145%関税の対象外だと

気が狂っているとしか 思えない このおじいさん


リーマンショックに比べれば まだマシなんだろうけど

株価の急落で 吾輩は当然赤字に落ちた



八丈島の出来事の続き

樫立ふれあいの湯から 夕食を探し始めることに

まず この温泉に来る途中で 見かけた

牛丼を売りの キッチンカーに立ち寄ろうと

探したのだが 影も形もなかった

まだ 18:50過ぎなんだが

どうも 我々の前を走る車が キッチンカー風なんだ

残念としか 言えない


それから 途中のスーパーで 弁当を買おうと

立ち寄ったら おばさんに すべて売り切れたと

言われて がっくり! おにぎりなら2個あるよと言われ

100円の梅おにぎりを 1個買ったよ


次に もうひとつの あさぬまという スーパーへ

ここでも 弁当は売り切れで 友達は

バナナ ヨーグルトなどを 買い込んだ


じゃー 最初に決めてた 名代一休庵へ 行こうと

場所を探したら 車で2分と 極近だ

最初から ここへ行くべきだったと反省


薄暗い中に お店はあって 中で女性客が食事中

我々も 中に入って 注文しようとしたら

お客さん オーダー時間が過ぎてますと

今 19:32 で オーダーは19:30までだった

たった 2分で 天ぷらそば定食を逃した

気分的にも 落ち込んだ


それなら 最後の手段で 梁山泊という居酒屋へ

ご飯は 食べられたが 居酒屋なので 定食はない

ご飯+たこのてんぷらで 1650円

やはり この島の物価は高い


ホテルに戻り 暖かい日本茶を飲んで 一息ついた


翌朝は 早朝5:00過ぎに 散歩に出た

長くなるので 写真を見てね



TVを見てたけど お米の価格が高いのは

自民党+農林官僚の 農業政策の失敗だね

それに献金でつながる 農協も役者だよ

裏で癒着の 自民党+農協なんだね



写真
スーパーあさぬま
 梁山泊
  晩飯
朝散歩でホテルの裏手(壁などなく 出入り自由)
 鬼殺しの石碑
  底土港
港から八丈富士
 朝日が2枚
底土船客待合所
 乗船チケットの窓口
  灯台の釣り人

 







2025/04/12 13:35:00|ぶらぶら歩き
ぶらぶら八丈島

ぶらぶらと言っても 移動は車がすべて

街角歩きなど 無理! 街角がないんだ


八丈富士から降りてきて この山の周遊道路を走ろうと

標高500mほどの きれいに舗装された道を一周

車は走ってないし 他に見るようなものはない

放牧された 牛をみつけたので 停車した

黒い和牛ですね 上の斜面にも 茶色の牛が 食事中

この山一帯は 放牧エリアのようだ


北西に 孤島のような 八丈小島が浮かんでる

以前は 人が住んでたようだ 絶壁の島みたいだが

2つの村が あったという まことにもって神秘

最盛期 513人が住んでた

小学校 中学校が それぞれ2校あったとも

高校は 八丈島高校へ進む 

小島の生活レベルは低く

電気 水道 医療施設がない

過疎化が 激しい

教育の質が 低い

などで 1969年3月31日 全員離島を敢行した

先祖の遺骨も抱いて持ち出したようで 島は無人島に



ホテルへ向かう

リゾートシーピロスという トロピカル的な作り

確かに リゾート的だよ

吾輩 こんなホテルに宿泊は ホアヒン以来


夕食の場所を探すが 和食を食べられる店がない

一応 ここはどうかと 決めて 

まずは 友達が行きたい 温泉へ向かう

海が一望の 露天風呂なんだが 山の反対側にあって

遠そうなので 少しは近い ふれあいの湯へ


この温泉 町営なのか 島民に一番人気だという

そのせいか おばさんが ひっきりなしにやってくる

男性よりも 女性が多いのには 驚く

おばさんに聞いたら ここが一番だという


泉質は ナトリウム塩化物

重篤な腎臓の病気は 禁忌だ

料金は 300円と安い

受付の方は おばあちゃんでした

続きは また




兵庫県の新規採用 46%が辞退したとか

まーそうだろうね 知事だけでなく 県庁全体に

はびこる パワハラ体質に嫌気がさしたのだろう

どうやって この悪癖を治すのか?

今更ながら 無理だろうな! トップがあの方では



台湾で 旧人デニソワ人の化石が 発見された

これは 画期的だね

西シベリア アルタイ山脈で発見されたデニソワ人

同じ化石が 遥かに遠い台湾で見つかったとは

どうやって ここにたどり着いたのか?

謎である



写真
八丈富士の火口壁の縁から 火口を見た
放牧された牛
 八丈小島
ホテル
樫立ふれあいの湯




 







2025/04/11 13:29:00|低山を歩く
凄まじい風でしたよ 八丈富士は

まさに 孤島の山 って感じ

八丈富士は 海の中に立つ山で 海面下から考えると

1000mとか 超えているんでしょうね

周りは海なので 防風になるものは なくて

吹き曝し状態 パンフにはウインドブレーカ必須と

あったけど まさにそれを実感した

さらに 登山口で 警察の注意看板に

火口壁で落下事故が多発と あったけど

まさに それを実感する 頂上への登り

狭い 尾根道で 両側はがけで 落ちたら

終わりみたいな お鉢巡りの道だった


火口壁の縁から 八丈富士の頂上へ向かう

友達は 途中まで行くというので

我輩が先頭で マイペースで登り始めた

降りてきた方に 聞いたら

上はもっと風が キツイと言う


途中から お鉢巡りの道標が 建ってて

かなり 助かった

立って歩いていると 突風が吹いて

体がもっていかれることが 何度もあった

その度に ドキッとする

回りを見る余裕はなくて ひたすら登った

15分ほどで 頂上に着いた

ここでは 腰をかがめて撮影だ

立ったら 台風並みの強風に 飛ばされそう


帰りは 2度ほど ルートを間違えたが

なんとか 火口壁の縁まで降りきった

高齢者には ちょっときつかった


ここからの下りは 風が当たらないので 快適だったが

膝にきてるようで ちょっとだるい



八丈島の人から 聞いた話

ガソリンを含め 物価は高いと

確かに スーパのお米の値段 5400円ほどしてた

お米は 作ることができないのではと推測

火山灰の土壌なので 水持ちが悪い



イスラエルが シリアを空爆してるが

イスラエルに そんな権利はあるのだろうか

唯一の救いは シリアが反撃してないこと

イスラエルは ガザも空爆してて 死者多数

食料の持ち込み禁止は 1か月にも及んでいて

餓死する子供など 多数なのではと推察

トランプは すぐ戦闘停止とか 言ってたが

虚しい言葉だったね



写真
頂上へ向かう 狭く険しい尾根道


 







2025/04/10 13:43:00|低山を歩く
延々と続く階段の道

八丈富士854mを 登った時間は

登山口540mー火口壁の縁830m 

標準: 50分 我々: 42分

火口壁の縁ー八丈富士の頂上854m

標準:20分 吾輩(友達NG):16分

下り 火口壁の縁ー登山口まで

標準:35分  我々:25分

まだ YAMAKEI標準時間内で歩ける 体力を維持してる


登る道が 階段とは知りませんでした ずっとずっと

しかも ジグザグに登る道ではなく 直登ですよ

さらに 八丈富士は火山なので 地面は火山石ばかり

それで 歩きやすいように 階段にしたのだろう

さらに 人間が 土砂を崩すのを 減らしたいのも

ひとつだろう こちらがメインかも


登り始めに 登山届の看板があったので

友達が QRコードを読み込み 警察に登録した

なんでも 火口壁から落下する事故が 多いという

我輩 後に これを実感しました


途中 外国人3人家族が 降りてきた

こんにちは ニコニコと挨拶した

中間地点の道標? 640段 あと半分!

害獣避けの柵を くぐり

その後は 新潟から来た 高齢カップルを追い越し

14:53 火口壁の縁に 着いた

そこに立つと すごい強風が吹いてた

道標の横 くぼみで風を避ける 高齢女性がふたり

景色に溶け込んでて すぐに気づかずだ



島内は レンタカー移動だったので

地元の方と 話す機会は少なかったね

なので 地元の雰囲気を感じたのは 極わずか

やはり 旅は歩きが もっとも良いよ



公明党 自民党の国会議員に 知恵はないものか

また 税金を現金化して 国民に配ると言う

もう止めて欲しいよ この絶望的な愚策は

これを聞いただけで 自民党+公明党は

権力を持っちゃいけない 政党だと思ってしまう

報酬に見合った 知恵を出してほしいものだね



写真
登山口
 火山石の道
  登山届を提出
階段の登り道
 底土港(ホテルはここに)
  続く道
中間点の案内
 害獣柵を越える
  前方に高齢カップル
もう少しで火口壁の縁
 登ってくる友達
  縁に着いた(風を避ける女性)