60代 なるようになるさ!なんとかなるさ!なんとかするさ!

70代になったけど タイトルはそのままで
 
2016/11/06 14:19:00|ぶらぶら歩き
行くつもりはなかったのだが

妙法寺で 話し込んだ 石屋さん

安国論寺から 富士山が見えると

この一言で 立ち寄ることに

全くの 想定外だ


安国論ですから 日蓮聖人ですね

その 立正安国論を執筆した場所が

ここにある 洞窟とある

1260年のことです

わたし 立正安国論を知りません


本堂の看板(?)に ”国安正立”の文字

そうか! と感じたね


さて 上に登るにはだ・・・

声がする方向に 向かう

降りてきた 男性が居た

”この上 見晴らしは良いですか”

男性 ”木があって ぜんぜんダメ”

え〜 そうなんだ

がっくりしながらも 上に歩いていく

わたしだ

若いカップルが 降りてきた

こりゃ ダメだね!


このお寺 後で知ったのだが

あの 土光敏夫さんの 菩提寺

めざしの土光さん

石播社長、東芝会長、経団連会長

土光臨調、 質素な生活は 特に有名だ 

”知恵を出せ、それが出来ぬ者は汗をかけ、それが出来ぬ者は去れ!”

わたしは Go Away  ですね

残念だ! 近くに行ったときに行こう



写真
安国論寺の山門
本堂と看板


本日の行動記
なし



 












 







2016/11/05 14:25:00|ぶらぶら歩き
そんなことがあったのだ  こけ寺

苔の石段が この寺の主役だ

外国の男性 ふたりが

法華堂の石段を 登ってる


この法華堂 文化年間(1804-1818)に

水戸家が 建立したとある

築200年だ


その前に あるのが 苔の石段

歩行禁止です

上から 苔の石段の写真を撮っていると

中年男性に 尋ねられた

”この上には なにがあるのですか”

わたし お寺のパンフを見せながら

”大塔の宮のお墓です”

聞くと ”納骨に来たのだと”

わたしの頭 ???


この方は 石屋で ここから

20分ほど 話しこんだ


二階堂の大塔宮の墓に行ったと 話すと

この方は 家が 浄明寺で 

小さい時 そこでよく遊んだ

鎌倉は 昔から 公園が少なくて

お寺が 遊び場だったと

拝観料など 取っていなかったので

出入り自由でしたから

今は 無理ですが


苔の石段は 鎌倉石で 作られていて

鎌倉石は 削れやすいので

以前は 歩けてのだが



今年 苔の石段の横にある 

幹が1mほどの 大きな木が 倒れ

下にあった お墓が壊れた

そのお墓を 修復したのが

石屋の この方で

今日は お寺に預けてあった

遺骨を 納骨するので 手伝いに来た

それで 昔を 思い出した

父親が お墓を移すとき

家に 遺骨が いっぱいあったのを


このお寺は 古いので

お墓とか 高いんでしょうね?

聞いたら そうでもないようだ


話してたら 苔の石段の下を

卒塔婆を持って 歩くお坊さんが見えた

”お坊さんが きましたよ”

”あ〜 それじゃ”

急ぎ足で 降りていきました

しばらくして 読経の声が

下から 響いてきます


わたしも 階段を降りる

途中で お坊さんと目が合った

くつ音がうるさいのでしょう

石屋の男性とも 目を合わせ

会釈して 別れます


いや〜 なかなか良い 妙法寺でした



写真
法華堂
苔階段(歩く若者)
倒れた木と歩く坊さん



本日の行動記
図書へ本返却




























 







2016/11/04 16:11:00|ぶらぶら歩き
ここにもうひとつのお墓がある

大町の 妙法寺の 山頂に

護良親王の もうひとつのお墓が

二階堂の 宮内庁管理のお墓と

どちらが 本当なのか?


さらに 山頂付近には

護良親王の 遺子である

日叡上人(にちえいしょうにん)のお墓

それと 母親である 南の方のお墓も


日叡上人が 両親のお墓を建てて

冥福を祈ったそうだ


護良親王のお墓から

鎌倉市街が 見えます

外国の若い男性ふたり

すぐ 山頂から降りてきました

誰のお墓とか 意味が判らないでしょうね



写真
山頂への道
護良親王のお墓
鎌倉市街
遺子と母親


本日の行動記
円覚寺の宝物風入・舎利殿公開













 







2016/11/03 14:29:00|ぶらぶら歩き
苔寺と呼ばれる寺に外国の若い男性 

松葉谷(まつばがやつ)妙法寺で

仕事をしていた 石屋さんから聞いた

このお寺 苔寺 と呼ぶそうだ

1253年に開かれた 元は法華経道場


お寺へ向かう道が わかり難い

道が狭く お寺は奥の方に ポツリと


それでも わたしの前に

外国の若い男性 ふたり

そんなに有名なのか?

よく見つけたものだ


総門(通行不可)横の 受付で

300円を払う

”上まで行けます” と言われたが

わたしは 何のことだか?

本堂周辺は 特に目立ったものは

ありません

本堂は 文政年間(1818-1830)に建立

なんだ〜 と感じたのだが


外国のふたりは どこへ行った?

あそこに 奥の方へ 向かってる

わたしより 知っているようだ

本堂の 右奥に 仁王門が

朱色が 鮮やかに

良い雰囲気になった


仁王門の横に お墓が?

変な場所ですがね

”薩摩屋敷戦没者の墓” とある

あの 1867年 薩摩屋敷焼き討ち事件で

戦死した 幕府・薩摩藩の人達の墓

芝三田にある この寺の支院にあったのを

ここに移したようだ



韓国の大統領の疑惑

大統領も 韓国という国も

文化・文明的に 遅れているのですね

何でなのでしょうか?

日本も 進んでいるとは思えませんが


大統領が 辞任すれば

少しは 救いようがあるのですがね!



写真
妙法寺入り口と総門
外国の方と本堂
仁王門
薩摩屋敷焼き討ちの戦死者墓


本日の行動記
なし

















 







2016/11/02 13:24:00|ぶらぶら歩き
もうひとつの舞台へ

太平記の始まりは

北条家(鎌倉幕府)との戦い

滅亡だ

その舞台へ 向かう


3度目の訪問なのだが

東勝寺跡 北条一族切腹の場所

ハイキングコースの脇にある

ひとりだと

寒気を 覚えるような・・・


1304年 北条高時 31歳

新田義貞に 攻められて

870余りの人たちと 自刃

政治をおこなわずに 酒池肉林と

遊びほうけた 結果だ

仕方ないですね


宝戒寺は 慰霊のために建てられたと

このお寺に行ったとき

高時の碑を 見た記憶が あるのだが

2度目には なかった

まぼろしかな?



左折し 住宅地の坂を 登る

そこにあるのが 宝戒寺トンネル

小町から 大町への 近道だ

めっちゃ 狭いトンネル

向こうから 歩いてきた人と

挨拶だ

市の職員の方かな


前にも 書いたが

このトンネルは 篤志家が作った

通行が 便利になるようにとの願い

なのだが

篤志家には 別の目的が

愛人宅に 行くためだ

明治の方の思いは

すごいね???


トンネルを抜けると

右側に ベンチがある

座って 昼飯だ

通る人も いないし

のんびりと・・・



写真
高時自刃の場所
東勝寺跡
トンネル


本日の行動記
銀行へ

















 







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