60代 なるようになるさ!なんとかなるさ!なんとかするさ!

70代になったけど タイトルはそのままで
 
2017/06/29 13:50:00|ぶらぶら歩き
こちらが本当の街道では?大平宿

今の県道から 南に延びる道

これが 昔の街道筋ではないかと

わたしの感じですが


南への道の 両側には

民家が ずっと並んでいるし

一番奥には 神社があるし

これが 大平宿だと思う

友達に聞かないと 判りませんが


ここが 特徴的なのは

宿場の町並みと言うか 江戸時代の民家が

そのまま残っていること

そんな場所は 全国にもないとか

確かに そんな雰囲気が漂う

昼間よりも

夜の暗闇 静寂 寂寞さに

引き込まれそうだ

それは ”木枯らし紋次郎” へと

つながっていく



本日のちょい話

先日 菅官房長官の会見で

食い下がった 女性記者がいた

東京新聞の記者だ

何度も 何度も 質問を

繰り返す


わたし ”こうでなくっちゃ” と

感心してました

大手新聞など 突込みが甘い


頭に来た 菅官房長官の 一手は こうだ

警察組織を 使った 身辺捜査を命令

前川事務次官と 同じ構図の 印象操作

すると 読売新聞にリークだ

まだ 新聞には出ていませんが


ただ 指示した内容が 細かい

彼女のハイヤーの使い方(取材以外)

警察などへの 贈り物をしているか など

国のNo2が これを指示するとは!

彼女はぜんぜんやってません と言う

器の大きさが 現れた!



今 モンテッソーリ教育が 脚光に

あの 藤井四段も受けたことで

100年ほど前に 完成された教育法

端的に言えば 長所を伸ばす

自主性 独立心 知的好奇心を育む


この教育を受けた 有名人

Amazon創立者 Google創立者

ドラッガー ジョージ・クルーニ 

ウイリアム王子 ヘンリー王子など



写真
元の街道と思われる道 2枚
民家
民家とその内部


本日の行動記
市民病院へ(3時間ほどかかりました)






































 







2017/06/28 14:14:00|ぶらぶら歩き
今どの時代に立っている?大平宿

徳川 明治 大正 昭和 平成と

時代は 変わっているのだが

今の 大平宿は どの時代にいるのだろうか?


民家の屋根は 木の皮で

葺かれている

藁葺(わらぶき)屋根なら 徳川時代か

明治時代だろう


だが 大平宿は 稲作が出来ない

1140mと 標高が高く

気温が 上がらない

山からの 水も冷たいのでしょう

そう 藁が出来ないのだ

だが 木はいっぱいある


宿の中心には 大平宿の石碑

右 きそ道 左 いいだ道 とある

そばの駐車場横の道を 案内してくれたのは

その奥にある 小学校 中学校に

通った 友達だ


友達は ”ここが運動場”

今は 雑草が生え 周囲は木で囲まれて

その横に ”大平学校跡” の石碑だ

”ここが講堂で、音楽とか・・・” と

案内してくれる

古びた校舎だ

外壁は 木製

ガラスに 周囲の木々が写る

校舎入り口に ひとつの電灯が

少し前まで キャンプが 行われていたようだが

今は 無いようだ

児童の声は なく

静寂です

部落総出の 運動会があったのだろうね

運動会は 学校の花形行事


小学校が出来たのは 明治6年

明治36年には 生徒数90名

友達が入学した当時は 何人いたのだろうか?


冬 雪が降ると 道は通行止めだ

麓から通う 先生は 歩いてくるしかない

授業は 自習時間になるのだと

友達が言う


明治42年 木曽谷に中央本線が走ると

この大平宿も 栄え 戸数70戸を超え

明治29年には 郵便局も

大正9年 定期バスが開通

伊那谷の人たちは この峠を越えて

電車に乗っていた

だが 大正12年 飯田まで電車が開通

徐々に 大平宿は廃れていくことに


本日の知ったかぶり

トンネルから 来たとき

一番最初にある 民家

これが 大原屋

今は 飯田市でカレー屋を

やっている

友達の家から そう遠くないし

カレーを 食べたかったね



本日のちょい話

何とかならないものか

お粗末極まりない 防衛大臣


”防衛省 自衛隊 防衛大臣も

自民党を応援しています” ときた

自民党だけなのだ

すると それ以外の国民は

応援しませんと言うこと

生命・財産を 守りません ってこと?

本心でない 弁明は不要!



それと バニラエアー航空

これも 似たようなもの

車イス生活の人に対し タラップを

腕のみで 這い上がらせた

人として 社会人として

普通 見ていられないでしょう

わたしでも 手を貸しますよ

でも バニラエアーの従業員は

まったく平気だ


人権 尊厳の問題でしょうが

会社 従業員の根っこが

腐っているのでしょうね

誠意のない 謝罪は不要

こんな航空会社は 乗らないのが一番



写真
大平宿石碑と地図
小学校がふたつ
メイン道路沿い


本日の行動記
なし






























 







2017/06/27 13:36:00|ぶらぶら歩き
圧倒される大平街道 飯田

大平(おおだいら)街道

旧くは 奈良時代にあったらしいが

その当時は けもの道程度だ

少し南には 東山道が走り

神坂峠(1569m)を 越えて

木曽谷から 伊那谷に通じる

今で言うと 中央アルプス越えだ


今回 昼神温泉に入った後

大平街道にある 大平宿へ向かった

なぜ?

友達が そこで生まれ 育った場所

すごい所らしい


国道256号で 南木曽町に入る

右手に折れて 県道に

ここから 曲がりくねった山道が続く


10分ほどで トンネルの前に

トンネルには 木曽峠の表示

地図では 大平峠 だ

そばには 大平街道の石碑

ここは 1350m


トンネルを越え 進む

下り道で 2台ほどの車に遭った

こんな(辺鄙な)所に 何で来る?

本当に 民家とかあるのだろうか?

だが 走ること10分 突然の民家だ

でも 崩れかけている


友達が ここに自宅があったと

教えてくれた

今は 更地だ

火事で 家が燃えたらしい

少し進むと 平地の場所

ここが 大平宿の中心地

標高1140m

ここに立つと 

何かに 圧倒されますね

何かは 判りませんが

宿の話は 明日にでも・・・


さらに 進むと 飯田峠

標高1235m

ここから 出るわ 出るわ

車の前に 野生の猿が


数分おきに 猿の集団で

6回ほど 遭遇です

幸い 襲ってはこないですが

エサをやったら とんでもないことに

なるでしょうね


飯田市街地が また遠い

道は狭く 曲がりくねってる

秘境的でしょうかね


大平街道

街道が出来たのは 1754年

江戸幕府中期

中仙道の 妻籠宿に抜けるため

飯田藩が 作った

同じ年に 開墾されて

出来たのが 大平宿場町

宿場町の最盛時は 28戸180人が生活

安政3年なので 友達は生まれてない


こんな感じの 街道は

野麦峠(街道)ですね

20代の頃 行きました

”峠” ってのは 何かあるのでしょうか?



写真
大平街道の石碑 トンネル
木曽峠の表示 南木曽の道標
大平宿の十字路
飯田峠 野生の猿


本日の行動記
なし



























































 







2017/06/26 13:31:00|低山を歩く
落雷事故の石碑に手を合わせ 富士見台

11:27 下山を始めます

下りは 萬岳荘の管理人さんが 勧める

神坂(みさか)山1685m を目指します

ただ 道標がないらしいので

注意しながら 降りることに

地理院の地図にも 出ていません


途中 神坂山を見ると

それに続く道が クッキリだ

なんだ どうってことはない


神坂小屋近くで 左の道へ

誰も こちらに来る気配はない

ケルンが 積んである

その先に 落雷遭難の碑

まず 手を合わせます


昭和30年8月3日 旧神坂村の中学生が

キャンプ中 突然の雷雨にあった

分かれて テントに避難したのだが

ひとつのテントの支柱に落雷

中学生4名が 感電即死

引率教員などが ケガに

予測不可能の災害と 判断された


だが 石碑のある場所が 落雷地点なら

そこはピークに近い

今なら 容易に落雷を 察知できる

そんな事故が あったとは 知りませんでした

わたし まだ幼稚園かな?


そこを過ぎると 南アルプスの展望が開ける

仙丈ケ岳 北岳も


神坂山から 降りてくる人が ひとり

われわれも 神坂山に登る

いやいや あきらめましょう


11:50 萬岳荘のちょっと下に 降りてきた

そのまま 下る

分岐からは カラマシコースへ向かう

ここは それなりの傾斜がある

13:22 登山口に降りた


ここで なぜルートを間違えた?

3人とも エンジニアなので

ここは 原因を確認することに


車道を 少し戻ります

1分ほどで われわれの歩いた場所だ

左手の道から 登ってきて

車道に出て そのまま左手に登って行った

ここで 右手を確認していたら

案内板にも 気が付いていた

やはり 分岐では道標とか 注意しなくては

これで スッキリしました


13:33 駐車場には まだ多くの車だ

下山 126分 コースタイム 120分なので

ほぼ標準タイムです


そこへ 若い3人組(女性2人男性1人)

朝 ここで見かけた人たちだ

朝の出発は 我等が 早かったが

コースを間違え 追い抜かれたようで

頂上では 彼らが降りてくるときに挨拶

降りてきたのは 我々が先とは???

追い抜いた記憶はない


わたし 男性と目が合った

何か話をしないと

むっつり おじさんになる


どこかで抜きました? 

萬岳荘で 休憩していたとのこと

そこで 抜いたのだ

男性 阿智村の方

女性ふたりは 駒ヶ根の方

これから 温泉ですか?

そんな予定はない とのこと

地元の方ですからね



本日の知ったかぶり

Googleの人は メールを使わないそうだ

え〜っ って感じだが

みなさん チャットを使用する

これが 最も早い コミュニケーションだと

たしかに 納得します


Gmailに チャット機能はある?

調べたら チャットありました

以前の会社でも 使ってましたね

仕事よりも Chat で!

ただ わたし 情けないのは

英語の入力が 格段に遅い!


落雷事故にあった 旧神坂村だが

元は 馬籠村 湯船沢村が 合併したもので

長野県の村だった

あの 島崎藤村の生誕地だ

昭和33年 馬籠地区は 長野県に

湯船沢地区は 岐阜県に編入

さらに 2005年

馬籠地区も 岐阜県に編入された

複雑な経緯は 住民の騒動を生み

大変だったらしい

地理的には 中津川市が近い


写真
下山を始める 神坂山
道を折れる ケルン
落雷の石碑 恵那山
カラマツコース 登山口


本日の行動記
なし











































































 







2017/06/25 14:15:00|低山を歩く
頂上で更新したかった 360度富士見

富士見台高原の 山頂で

ブログを 更新しようと

1回トライしたが ダメでした

再トライすれば 良かったが

下山時刻が 近づいたので 諦め

結局 下山後に更新


富士見台高原から 見えた

360度の眺望

中津川市発行の パンフを基に



上から 1枚目の左側写真

西方面 左手手前の山 前山1351m

    そのすぐ右側に 遠く 伊吹山1377mだが
    (生憎 見えません)

    右側に 白山2702mが見えるとか

右側の写真

北方面 木曽駒ケ岳  宝剣岳
      2956m   2931m

2枚目の写真

御嶽 乗鞍岳 笠ケ岳(ちょっと小さいが) 奥穂高
3067m 3026m    2897m                         3190m

3枚目の写真

麦草岳  木曽駒 宝剣 空木岳 南駒ケ岳
 2721m                       2864m   2841m

4枚目の写真 北東方面

甲斐駒ケ岳 仙丈岳 鳳凰山 北岳 間の岳 農鳥岳
 2967m         3020m   2840m   3192m  3189m  3050m

わたし 北岳 奥穂高 木曽駒ケ岳 宝剣岳は

若い頃に 登ってます



本日のちょい話

キレるのは 高齢者だけでないようで

国会議員も 怒りやすいようだ

認知症では ないだろうが

人間が 出来ていない

それにしても ”コノヤロウ!”

”テメー!” は 暴力団のチンピラだ



この女性 エリートコースを

歩んできたようだが

人間としての 素養は

勉強しなかったようだ

旦那は 国土交通省のキャリア官僚

普通の世界を 知らないのでしょうね


自民党の 魔の2回生は

ひどいね

女性問題 男性問題 お金問題

などなどだ

それでも 自民党の長老(元官房長官)

”こんな人は (自民党に)いっぱいいる”

”かわいそうに” と一言

一言だから 真実なんでしょうね



本日の行動記
なし






















 













 






 







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