続人生まだまだこれからさあ!

老いた駿馬は馬小屋に伏すも志は千里にあり。烈士は暮年なるも壮心止まず。                かすみ食へどまだ仙人になりきれず
 
2015/11/22 19:17:01|自作 詩
味残し打ち過ぎを避く冬銀河






囲碁の日

比較的寒かったですね〜

囲碁を充実して打てました!


妙手高手吃住強着神無月



味残し打ち過ぎを避く冬銀河




打ち過ぎを避けたらその後

飲み過ぎてしまいまいた

全勝でした、もっとも二局でしたが!










「風の四季」

      2013.11.11.

            はぐれ雲




春になれば 春一番の舐めて

夏になれば 青嵐にかじられて

秋になれば 芋嵐を食って

冬になれば 木枯らし一番を飲んで


神無月仮想の里で酒を酌む


    


芭蕉忌がもうすぐですね


芭蕉忌や李白の如く瓢然と   



















2015/11/18 22:03:02|漢詩 訳詩
小夜時雨新幹線の近くなる





難転の実が早朝に薄赤く

ゴミ出しは早朝、東天の白々として


今、雨が降っております。

すこし寒い感じがしており、

熱燗が欲しいところでございます。

寒くなると新幹線の通る音が

近くに聞こえるようになってきます。



小夜時雨新幹線の近くなる









「也许」

        (現代)汪 国真


也许,

永远没有那一天

前程如朝霞般绚烂


也许,

永远没有那一天

成功如灯火般辉煌


也许,

只能是这样

攀援却达不到峰顶


也许,

只能是这样

奔流却掀不起波浪


也许,

我们能给予你的

只有一颗

饱经沧桑的心 和满脸风霜







「もしかして」

        (訳詩)はぐれ雲



もしかして

前途は

絢爛たる輝きに満ちた朝焼け

そんな日は永遠に来ないかもしれない



もしかして

前途は

火のように光り輝く大成功

そんな日は永遠に来ないかもしれない



もしかして

ず〜っと

ただこうしているだけで

頂上まではよじ登れないかもしれない



もしかして

ず〜っと

ただこうしているだけで

大きい波を起こせないかもしれない



もしかして

あなたに残るものは

激動の世を経てきた傷だらけの心と

顔に刻まれ舐め尽してきた辛酸の跡

ただそれだけなのかもしれない






















2015/11/17 15:29:00|漢詩 訳詩
寝酒飲む李白はすでに夢のなか




芭蕉 奥の細道の冒頭より


“月日は百代の過客にして、行きかふ

年もまた旅人なり。舟の上に生涯を

浮かべ、馬の口とらへて老いを迎ふる

者は、日々旅にして、旅を栖とす。

古人も多く旅に死せるあり。予も、

いづれの年よりか、片雲の風に誘はれて

漂泊の思ひやまず、海浜にさすらへ、

去年の秋、江上の破屋に蜘蛛古巣を

払ひて、やや年も暮れ、春立てる

霞の空に、白河の関越えんと、そぞろ神

のものにつきて心を狂はせ

道祖神の招きにあひて、とる物〜〜〜”



昔は自然や文明上の環境により、旅を

するのも、命がけであったようである!

それがゆえにまた魅力も

大きかったのであろう。

もっとも昨今においても、

テロの横行、世情不安な状況は

命がけに違いないのではあろうが!



以下に李白の人生観を表すのによい

漢詩を載せますが、

島国の詩人(芭蕉)と

大陸の詩人(李白)の人生のとらえ方の

差を一考するのも面白いものである!




寝酒飲む李白はすでに夢のなか







「 春夜宴従弟桃花園序 」

           (盛唐)李白



夫       それ

天地者     天地は

万物之逆旅也  万物の

        逆旅(げきりょ)なり

光陰者     光陰は

百代之過客也  百代の

        過客(かきゃく)なり



而       しこうして

浮世若夢    浮世は夢のごとし

為歓幾何   歓をなすこといくばくぞ

古人取燭夜遊  古人燭を取りて夜遊ぶ

良有以也    まことに故あるなり



況       いわんや

陽春召我以烟景 陽春 我を召すに

         烟景をもってし

大塊仮我以文章 大塊 我に仮すに

        文章をもってするをや



会桃花之芳園  桃花の芳園に会して

序天倫之楽事  天倫の楽事を序す



群季俊秀    群季の俊秀は

皆為恵連    皆恵連たり

我人詠歌    我人の詠歌は

独愧康楽    独り康楽に恥ず

幽賞未己    幽賞未だやまざるに

高談転清    高談うたた清し



開瓊筵以坐花  瓊筵を開きて

         以って花に坐し

飛羽觴而酔月  羽觴を飛ばして

         月に酔う



不有佳詠    佳詠 あらずんば

何伸雅懐    何ぞ雅懐をのべんや



如詩不成    もし詩成らずんば

罰依      罰は

金谷酒斗数  金谷の酒斗の数に依らん






「春夜 従弟の桃花園にて宴会を開く」

          (訳詩)はぐれ雲



 もとより

広大な大自然は 万物の旅籠なり

流れる時は 絶えることなき旅人の群れ


 そうして

浮世の命は夢のよう

喜怒哀楽の時間も どれほどあろうぞ


 昔の人の

燭をとりて 夜も遊び楽しむは

それなりの 訳のあること


 ましてや今は

心浮き立つ陽春

霞棚引く 自然の誘いは

我をして 詩を書かせんと

詩材と文章を 与えてくれる


 桃花匂える庭園に集い

肉親間の楽しみをのべよう


 ここに集う

我がDNAの俊秀たちは みな詩才あり

彼らのできばえは 我をも超える

深き静かな 驚きに

談論の興 ますます盛ん


 宝玉のような宴席は 花の下

杯を飛ばして 月に舞う


 すぐれた詩歌 あらずんば

高雅な心 なんとしょう


 もし

詩ができなかったなら

罰杯の数は 金谷園にならいましょう〜







 金谷園とは

西晋の貴族 石崇(せきすう)は、

当時の洛陽城から西北約10KM

現在の洛陽市からは東北約15KMの

金谷澗に沿うた景勝地に 金谷園という

別荘を作り、そこでの酒宴では、

各自が詩を創って、胸のおもいを述べ、

詩が出来なければ、罰杯を飲ませた。

「もしあたわざる時は 罰酒三斗」

斗 は さかずき の意

したがって 罰酒は さかずき三杯

ということになる。

以上が「金谷酒斗数」のいわれです。



















2015/11/12 22:41:20|自作 詩
独酌はとおに慣れたる夜長かな




昨夜

パソコンがダメになって

画面が黒

電源入れたり切ったり

ESCおしたり

いろいろやってみても変わらず

反応なし

娘に電話してもなおらず わからず

と言うことで


今朝

もいちど弄り回して

しょうがない ヤマダ電機へ

もっていこうかなと準備をしたが


その前にメーカーに電話した

東芝PCあんしんサポートへ

言われた通りいろいろいじる


そうして

ひっくり返して

左下の方にある小さな穴

そこを針状のもので突っ込めと

やってみた

そうして復元をはじまたら

動き出したのだパソコンが

っということで元に戻りました


めでたしめでたし!




パソコンと自分の歯とどちらが

大切か? と言えばそれは歯であるが

パソコンも今の吾輩にとっては

ウエイトがかなり高い

しょうがないね〜



独酌はとおに慣れたる夜長かな











「散歩の帰りの焼鳥屋」

      2013.11.12.

            はぐれ雲



柿の木に月がかかって

夕焼けが地球の空に

長い長い雲が棚引いて

富士山も雲がかり

月のきれいなよるだから

散歩の帰りの焼鳥屋

煮込みのもつのやわらかく

大根しっかり色づいて

熱燗二本できりあげて

散歩の続きと思ったが

すっかり夜の冷えてきて

月寒し 星寒し 風寒し

やっぱりここも冬なんだ〜



自分の体温が上がると

相対的に温度差が大きくなって

寒く感じるものである。

熱燗二本でどれだけ体温上昇したのかな〜




















2015/11/10 23:12:08|漢詩 訳詩
初時雨深さの増した空の色






今日もどっちかってえと寒かった〜



初時雨深さの増した空の色  




中国語へ行くときは

雨が降っておりました

帰りには止んでいましたが〜

かなり冬らしくなってきましたね〜









「背影」

          (現代)汪 国真


背影

总是很简单

简单

是一种风景


背影

总是很年轻

年轻

是一种清明


背影

总是很含蓄

含蓄

是一种魅力


背影

总是很孤零

孤零

更让人记得清





「 後姿 」

         (訳詩)はぐれ雲


後姿

要するにとてもシンプル

シンプル

それは一つの風景


後姿

要するにとても若々しい

若々しい

それははっきりとしていて明るい


後姿

要するにとても味がある

味がある

それは魅力に溢れている


後姿

要するにとても寂しい

寂しい

それははっきりと記憶に残る
  




後姿と同じように

雲の容にも魅力が溢れておりますね〜