人生まだまだこれからさあ!

老いた駿馬は馬小屋に伏すも志は千里にあり。烈士は暮年なるも壮心止まず。人生まだまだこれからさあ!
 
2013/04/18 22:18:00|紀行
筍の欠伸の如く伸びちゃって



 建長寺 つずき



唐門(勅使門、重要文化財)

屋根が唐破風(反曲した曲線状の破風)

かなり金吉良金ですな〜



庭園(名勝、史跡)

建長寺創始者 蘭渓道隆の作

日本最古の禅庭園だそうな!



半僧坊

建長寺の鎮守 半僧坊大権現が

祀られている。境内の奥の奥

山の中腹にあり。

霊験あらたかで参詣者が絶えない。

上り階段の長いこと長いこと


は〜は〜ひ〜ひ〜辿りつけば、

烏天狗がたくさん迎えてくれましたね〜

たしかに相模湾一望 霞がなければ

景色好!でしょうな〜

天狗や烏天狗は日本各地に存在し

それぞれがそれぞれで〜

それぞれなんですね〜悪役善玉いろいろ

だけど〜


ここの烏天狗はどうみても善玉ですな〜

半僧坊と同様 霊験あらたかな

ようですな〜

おかげさまで帰りは楽でしたね〜

まるで背中に羽が生えたようでした〜




かえりは よいよい 竹林の筍も

すくすくでしたね〜





筍のずぼらに伸びる建長寺



筍の欠伸の如く伸びちゃって



筍の伸び過ぎちゃって喰えようか〜





















2013/04/18 8:05:16|紀行
春深し天下第一門の寺





円覚寺から建長寺までは北鎌倉の

メイン通路をのこのこ歩いて行くと

12〜13分ぐらいかな〜

建長寺の入り口に着く

“臨済宗 五山第一 建長寺” と

超大きな看板が入り口の門横に建って

おりました。

いかにも いかにも の感じだな〜

金髪サングラス姿の美人のお姉さんが

その前で疲れきって石けらに腰掛けて

おりました。

この門は天下門というらしい、

中に入るともっと大きな門がありました。

“巨福山”の扁額が掛っているから

これが総門じゃあな〜

そうしてこれが“三門”かな

重要文化財らしいからな〜

ほ〜 ついに 本尊地蔵菩薩に

おあいできましたな〜

仏殿の中に安置されておりました。

更に “唐門” 庭園 等々(後出)

まだまだ続くのである。


さすが 五山第一 広いのですな〜

門門門、、と門が多いんですな〜

奥深いのですな〜



春深し天下第一門の寺





建長寺縁起より

鎌倉五山の第一位、臨済宗建長寺派の

大本山。1253年建立。

鎌倉幕府五代執権北条時頼が建立した

我が国最初の禅寺です。

開山、創始者は蘭渓道隆である。中国の

高僧無明慧性に学ぶ。1246年来日。


建長汁 何と読みますか?

けんちんじる という 建長寺発祥の

料理だそうな!

宣伝もしっかりやってますな〜



ところで鎌倉五山とは


京都五山に対し、鎌倉にある五つの

大禅刹(ぜんさつ)をいう。

中国宋(そう)の官寺制に倣って

定められた制度で、その位次は、


一位、巨福山(こふくざん)

     建長寺(けんちょうじ)、

二位、瑞鹿山(ずいろくさん)

     円覚寺(えんがくじ)、

三位、亀谷山(きこくさん)

     寿福寺(じゅふくじ)、

四位、金宝山(こんぽうさん)

     浄智寺(じょうちじ)、

五位、稲荷山(いなりさん)

     浄妙寺(じょうみょうじ)

  の五山である。


そうですよ〜ただの五つだけじゃあ

ないんだよ〜

順位もきまっているんじゃ〜

建長寺が一位なんじゃ〜 とよ〜



そうさ〜な〜

一位じゃあなきゃあ〜だめなんじゃあ〜






















2013/04/17 15:06:00|紀行
山門の出入り口多々春疾風(はるはやて)




鎌倉世界遺産登録

なるか?  6月 だとね

行ってみました JR北鎌倉駅

吾輩はこの駅には始めて降りました。


駅を降りるとすぐよこが

円覚寺の山門への路

中へ入るとすぐ山門が見えました。

この山門さすがに禅宗質実剛健

古びた木質がまた飾り気のない

豪快なバランスを保っている。

四方八方どの方向よりも

通り抜けられる高さである。

来るものは厭わず、去る者は追わず。

禅宗とはこうあるべきだよな〜


しか〜し〜

そのまえのいりぐちで参観料は

しっかりと取られたけどね〜

まあ世界遺産は金がかかるからな〜




山門の出入り口多々春疾風





円覚寺は1282年北条時宗が中国より

無学祖元 禅師 を招き創建した。

時宗は18歳の時執権職に就き

蒙古襲来による殉死者を敵味方の

区別なく弔うために円覚寺建立を

発願されたそうである。


洪鐘(おおがね)

鎌倉第一の大鐘で国宝だとね!


妙香池(みょうこうち)

有名な庭園だとよ!

虎頭岩とはどれかな〜























2013/04/14 6:20:54|
ニューロンの燃えだしそうな焼栄螺(やきさざえ)





「呉の都をかえりみる」


         (訳詩)はぐれ雲


遠いとおいはるかなむかし

呉王夫差の支配したこの地には

今や空しく水面を

春のかすみがおおうのみ


香草かおる小道にも

絶えて人影なくなりて

蘭の葉っぱの紅のみの

かすかに目立つばかりなり


春はかつての華やかな

歌舞音曲のさんざめく

宴楽の地を忘れずに

今なお哀惜するかの如くにて


毎年真っ先に

花を咲かせているのは

西施の館 館娃宮の跡地だとか





呉の都は姑蘇(こそ)今の蘇州

越の都は会稽(かいけい)今の紹興市

にあった。


呉王夫差は父の闔閭(こうりょ)が

越との戦いで傷を負ったことから

死んだので、臥薪嘗胆のすえついに越を

打ち破る。

ところが慢心して、功臣

伍子胥の言を聞かず、逆に伍子胥に

死を賜る。

その後、越からもらい受けた

西施と館娃宮で宴楽に耽った。


一方越王句践は会稽の恥をそそごうと、

肝を嘗めて復讐心をつのらせ、ついに

名参謀 笵蠡(はんれい)とともに

呉を滅ぼしたのである。


当然そこに世界的な美女西施が色どりを

添えるのである。


笵蠡(はんれい)のその後の生きざまも

興味深いものがあるのである。


蘇州の西北には呉王夫差の父

闔閭(こうりょ)を埋葬した虎丘があり、


蘇州の西南の霊厳山寺には呉王夫差が

西施を迎えるために建てた館娃宮の跡

があるそうな

館娃(かんあ)とは美人を住まわせるの

意味がある。



写真の碑には

「蘇州に遊びて、虎丘に遊ばずんば

悔事なり」と書いてある:






ニューロンの燃えだしそうな

          焼栄螺(やきさざえ)



漱石にうがいをさせる黄砂かな



タオル持ち眼鏡を洗う目借時



地球には触れぬがよかろしゃぼん玉



花の雨中山北路北の果







「 呉城覧古 」


            (中唐)陳雨



呉王旧国水煙空  呉王の旧国

            水煙空し


香径無人蘭葉紅  香径 人無く

            蘭葉 紅なり



春色似憐歌舞地  春色は歌舞の地を

            憐れむに似て


年年先発館娃宮  年年 先ずひらく

            館娃宮


















2013/04/12 18:13:31|俳句中心
噛み殺す欠伸ひとつや目借時



我が家には

紫木蓮もいる。いま咲いている。

白木蓮にくらべ一カ月ほど

遅れているようだ。

しかしもう散りそうだけれど。

白木蓮はまだ葉がでないときに

白い花だけが天に向かって咲くが、

紫木蓮は葉の中に咲いている。

どうも我が家の木蓮は白も紫も

もう二十年以上前になる

どっちも同時に植えたのだが、

白木蓮にくらべ紫木蓮は育ちが遅い。

なぜなのか

こんなことがそれなりに気になるのだ。




花びらの舞うや一片紫木蓮





はらりと一片の花びらだけが

仲間たちから離れて

くるりと回って地に墜ちた。

白いほうを上に向けて落ちている。

紫木蓮の花びらは

紫色が外側で内側は白色なのである。




「著莪の花」というきれいな花がある。

シャガ (射干・著莪)

アヤメ科 アイリス属 [別 名]

コチョウバナ (胡蝶花)

[花言葉 ]清らかな愛、決心、反抗。

[名前の由来]ヒオウギ (中国名)

のことです。

「 射干」 に由来。

俳句の世界では 「著莪」 の字を

あてるようです。夏の季語


中国名では

紫胡蝶zi3hu2die2

射干she4gan1

鳶尾yuan1wei3

などと言うらしい。

きれいな花である。



先日 俳句の帰りに見せてもらった

ので、写真を撮っておいた。

          (上から三枚目)




著莪の花その大きさはこれくらい




我が家の庭には

十二単の花も咲いている。



噛み殺す欠伸ひとつや目借時