人生まだまだこれからさあ!

老いた駿馬は馬小屋に伏すも志は千里にあり。烈士は暮年なるも壮心止まず。人生まだまだこれからさあ!
 
2013/04/24 19:39:00|俳句中心
烏啼かず月も落ちない寒い春 丹田に力を入れて鳴く蛙





北鎌倉駅の前の 円覚寺の境内に

居士林 という建物がある。

ここで座禅修行ををさせてもらえる。


居士林 は在家修行者の座禅道場である。

明治十年洪川禅師によって正伝庵に

創立されたのが最初である。

現在の建物は昭和三年東京牛込にあった

柳生家の剣道場で徴心居士寄進により

移築したものである。


と書かれた看板が建っておりました。




丹田に力を入れて鳴く蛙




臍下丹田(せいかたんでん) 丹田は

臍(へそ)の下らしいから

蛙(かわず)の丹田はどこなのかな〜?


蛙の腹と寒山の腹とはどちらが

大きいか?



こんどは建長寺の境内 長い長い

境内の奥へ十五分ほどかかる

半僧坊道の途中に 寒山と拾得 が

ふたりそろって立っておりました。

中国の蘇州の寒山寺から

どうやら出張してきているらしい。

そのまんま腹出して

風邪ひいちゃうよ〜 日本の春は

今年は特別寒いのだからね〜


“月落烏啼霜満天〜”の石碑も

持ってきたって?

重いのにね〜 ごくろうなこった!




烏啼かず月も落ちない寒い春





上の半僧坊のあたりでは、

烏は居なかったけど、烏天狗が

たくさん遊んでいましたね〜




















2013/04/21 11:15:00|
熱燗の欲しくなるよな寒い春  四月末氷雨の如き雨の降る





昨日は寒かったですね〜

実家へ両親の墓参りに行ってきた。

朝から寒かった、帰りはさらに寒くなって、

雨が降ってきた。

その上湘南新宿ライン午後6時前

東海道線の架線が燃えており消火活動

の為停止  と 2.5時間も

新川崎で待機させられてしまいました。

「穀雨」だったのだが、まるで酷雨でした。

今日も寒いですね〜

世の中どうなっちゃってるんかね〜




熱燗の欲しくなるよな寒い春




寒い春氷雨のような雨の降る










「 霊厳寺 」


           (中唐)白居易



館娃宮畔千年寺  館娃宮畔 

            千年の寺


水闊雲多客到稀  水広く雲多くして

            客到ること稀なり


聞説春来更惆悵  聞くならく 

            春来 更に惆悵


百花深処一僧帰  百花 深き処

            一僧 帰ると







「 霊厳寺 」


           (訳詩)はぐれ雲



館娃宮(かんあきゅう)のかたわらに

千年も建っている寺


池は広大 雲たちこめて

訪ねる人は まずいない


聞くところによると

春からさらに悲しいことに


百花乱れ咲く山中で

一人の僧が土に帰った




遠い遠いはるかな昔

呉王夫差と絶世の美女西施が

あるひとときを享楽のうちに過ごした

館娃宮(かんあきゅう)跡のかたわらに

千年も建っている霊厳寺


僧侶の死を「帰寂」と言う。

本詩の最後の一字「帰」は「帰寂」

のことである。


詩意は


春の花々は華々しく咲いているのに

ますます寂しくなってしまう。


ということのようである。




僧一人死んで寂しき春の果























2013/04/19 21:02:26|紀行
夏めくや烏天狗の飛び交いて




鎌倉半僧坊大権現縁起

明治中期の建長寺住職 おおぞら霄

かん貫どう道和尚は、ある夜お坊さん

のような、また俗人とも見える白髪の

老人と山中で出会い、その翁が

「私を関東のいずれか清浄な処に招いて

くださるなら、その処いよいよ栄え、

ありがたいことが絶える事がない。」

と告げ、フッと姿を消してしまった

霊夢を見られました。


このお姿こそ半僧坊の眞姿で、

建長寺の鎮守に相応しいと、

自ら奥山の方廣寺(静岡県浜松市

引佐町奥山 臨済宗方廣寺派大本山)

にお出向きになりご分身を願われ、

明治二十三年五月、建長寺の内で

最も景色の勝れた勝上?に安置され、

直ちに堂宇を創建して現在の

鎌倉半僧坊本殿の礎を築きました。





《参照》


奥山半僧坊大権現縁起より抜粋


面相あくまで赤く、

高鼻乱髪白衣に身を包み、

金色の袈裟を肩に木杖を携え、

その姿あたかも猿田彦そのままの

一老人を夢幻裡に見た瞬間、

暁声に夢破られた夢を見ました。

この姿こそ、禅師御入山時邂逅の老人

の姿に違いないと観じ、

ここに如意円満の方寸一尺一寸を

基準とし謹刻された一体が、現在


の奥山半僧坊の御眞体であります。

(「奥山方廣寺記」より)



だそうな だから烏天狗が沢山いる

のだね〜 納得 納得


猿田彦が烏天狗に似ていたのか

はたまた烏天狗が猿田彦に似ていたのか

羽が生えていて、鼻がくちばしのようで

やっぱりこれは烏じゃの〜




夏めくや烏天狗の飛び交いて























2013/04/19 6:47:37|紀行
浄智寺には夏の椿がよく似合う




四位の浄智寺

吾輩のくたびれ過ぎた脚でさえも

12〜13分でしたかな〜

建長寺からの時間

ほぼあの飯屋のおばちゃんの

言う通りでありましたかな〜


森閑とした趣深い山門まえの路

おもむきがふかいですな〜

脚の疲れもすっかりとんでしまって、

オゾンにまみれて生き返りました!




浄智寺縁起


執権北条時頼の三男宗政が二十九歳の

若さで1281年に没したが、

宗政夫人が一族の助けを得て寺を

おこし亡夫と幼少の師時を

開基にしたらしい。


開山には、中国の名僧 丌庵普寧と

仏源禅師大休正念と 日本僧の

真応禅師南州宏海 の三人が

名を連ねている。臨済宗円覚寺派




浄智寺には夏の椿がよく似合う






北鎌倉は禅宗の街でありましたね〜

これで鎌倉五山のうち、三山を

参詣したことになる。





またまた宿題ができましたな〜


それは当然 鎌倉五山の残りの

二山を参詣すること。


さらには どこかの寺で

座禅を組んでしばし俗世をはなれて

真の自然に遊びたい。

なまぐさな生活を多少なりとも

超越してね〜



ということかな!



















2013/04/18 23:14:05|紀行
夏近し酒旗の風吹く建長寺




建長寺の前の蕎麦屋で

昼飯を食う。




夏近し酒旗の風吹く建長寺



禅寺や鎌倉ビールのうまさかな





円覚寺も建長寺も山門の古ぼけ具合は

乾ききっちゃって素朴過ぎたが

花はきれいでしたね〜

特に牡丹の花は今が見どころでした。




禅寺の中国の花春惜しむ






これで 一位 二位 の寺を

訪ねたことになる。


次は四位の浄智寺へいくことにする。

店のおばちゃんに聞いたら、

14〜15分ですかね〜


酔った勢いで

ふら〜り ふら〜り〜

歩きだしたのである〜

そうだな〜あの天狗の羽を

もらってくるんだったかな〜




牡丹咲く禅寺に咲く昼下がり