ハイパーレスキュー隊、自衛隊、
それに現場の作業者
み〜んな頑張っていますね!
それにひきかえ
あの安全保安院というのは
一体なにをやってんですかね〜?
満州料理の豚の角煮、満州餃子、
うまかったですね〜
紹興酒も
どうやらまた一つ新しく 梁山泊が
できたようです!
中国語を学ぶ会の春の旅行の
顔会わせの決起集会が
満州飯店でおこなわれました。
外は雨が降っており、
少し寒かったけれど、この中は
とても暖かく、フレンドリーな
空気が流れておりました!
ちょうど今頃でしょうか、
中国 太原地方 では“寒食”の時節
なのかもしれない!
「寒食」
孟雲卿
二月江南花満枝 二月の江南
花枝に満つ
他郷寒食遠堪悲 他郷の寒食
遠く悲しむに堪えたり
貧居往往無煙火 貧居 往々にして
煙火なし
不独明朝為子推 独り明朝
子推の為のみならず
異郷の地で迎える寒食節は真に悲しい
明朝、煮炊きの火をあげないのは
別にあの非業の死をとげた
介子推(かい しすい)を弔う
ばかりではない。
ひどく貧乏暮らしで
炊く米がないのだから。
春の闇
眠れずに聞く
雨の音
「介子推 寒食 伝説」
春秋時代 晋国の公子 重耳 は
跡目争いにまきこまれ、亡命の
諸国放浪の旅にでる。
亡命は19年の長きにわたり、
その間、父恵公からの刺客に
幾度となく狙われて、棒術の
達人である介子推に助けられた。
なお飢えた重耳に自分の腿の肉を
切って与えた との話もある。
「割股奉君」
ところが、重耳が帰国して君主の
位につくと、功を忘れ顧みられなかった
ので、介子推は悲憤して、
太原市の南の方にある
山西省介休県の綿山に老母とともに
隠棲する。その後文公となった重耳は
後悔し迎えを出したが何としても
山を出ず、やもうえず山を焼いたが
介子推は木を抱いて焼け死んでいた!
文公は悲しみ その日がくると
火を使うことを禁じたという。
これが寒食節の由来とされる。
寒食節は本来、太原地方の
地方的風習であったが、しだいに
定型化し中原地域さらには、
長江流域へと広く普及した。そうな
しかし、冷たい中国料理はくえないな〜
暖かい満州料理はうまかったよ〜
人生の
途中の如く
蟇(ひき)出づる
(後記)
豚肉大好きさん!
満州料理店かもしれない?
場所は八間道路の国道一号線に向かって
左側 眼鏡市場の前にあたります!
春垂るる
豚の角煮に
紹興酒
行ってみたら!
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