人生まだまだこれからさあ!

老いた駿馬は馬小屋に伏すも志は千里にあり。烈士は暮年なるも壮心止まず。人生まだまだこれからさあ!
 
2011/03/22 18:07:32|Pre 旅 (旅行事前)
飲まば酒 飲まば紹興酒 湘南の春(太原、介子推)




ハイパーレスキュー隊、自衛隊、

それに現場の作業者 

み〜んな頑張っていますね!

それにひきかえ 

あの安全保安院というのは

一体なにをやってんですかね〜?



満州料理の豚の角煮、満州餃子、

うまかったですね〜

紹興酒も

どうやらまた一つ新しく 梁山泊が

できたようです!


中国語を学ぶ会の春の旅行の

顔会わせの決起集会が

満州飯店でおこなわれました。

外は雨が降っており、

少し寒かったけれど、この中は

とても暖かく、フレンドリーな

空気が流れておりました!


ちょうど今頃でしょうか、

中国 太原地方 では“寒食”の時節

なのかもしれない!








「寒食」

             孟雲卿



二月江南花満枝  二月の江南

          花枝に満つ

他郷寒食遠堪悲  他郷の寒食

          遠く悲しむに堪えたり

貧居往往無煙火  貧居 往々にして

          煙火なし

不独明朝為子推  独り明朝

          子推の為のみならず



異郷の地で迎える寒食節は真に悲しい

明朝、煮炊きの火をあげないのは

別にあの非業の死をとげた

介子推(かい しすい)を弔う

ばかりではない。

ひどく貧乏暮らしで 

炊く米がないのだから。



春の闇

      眠れずに聞く

               雨の音






「介子推 寒食 伝説」


春秋時代 晋国の公子 重耳 は

跡目争いにまきこまれ、亡命の

諸国放浪の旅にでる。

亡命は19年の長きにわたり、

その間、父恵公からの刺客に

幾度となく狙われて、棒術の

達人である介子推に助けられた。

なお飢えた重耳に自分の腿の肉を

切って与えた との話もある。

「割股奉君」

ところが、重耳が帰国して君主の

位につくと、功を忘れ顧みられなかった

ので、介子推は悲憤して、

太原市の南の方にある

山西省介休県の綿山に老母とともに

隠棲する。その後文公となった重耳は

後悔し迎えを出したが何としても

山を出ず、やもうえず山を焼いたが

介子推は木を抱いて焼け死んでいた!

文公は悲しみ その日がくると

火を使うことを禁じたという。

これが寒食節の由来とされる。



寒食節は本来、太原地方の

地方的風習であったが、しだいに

定型化し中原地域さらには、

長江流域へと広く普及した。そうな



しかし、冷たい中国料理はくえないな〜

暖かい満州料理はうまかったよ〜




人生の

     途中の如く

            蟇(ひき)出づる







(後記)

豚肉大好きさん!

満州料理店かもしれない?

場所は八間道路の国道一号線に向かって

左側 眼鏡市場の前にあたります!




春垂るる

      豚の角煮に

              紹興酒




行ってみたら!
















2011/03/20 19:39:22|俳句中心
馬の顔に  碁石並べる  君子蘭




今日は あるところで ず〜っと

囲碁を打っておりました。

もう 頭は馬鹿になっております。

なにっつ もとからだろう だって?

ちげえねえ〜!




前頭葉を

        鍛えて左脳

                  朧月





もう 酔中不覚 夢の中 状態です。



万愚節(ばんぐせつ)

           碁盤の上に

                  人の顔





“万愚節”とは エープリルフールの

ことです。

あとしばらくですね〜

おぼろな春は必ずきます!

今夜は満月 朧月ですね〜




三人で

         囲碁を打つ

                  一人静




一人静(ひとりしずか)

 は花の名前です

白い 清楚な 一見はかなげな 

そんな花です。

この俳句は我ながら久し振りに

よくできました。

見る人が見ればわかるはずです!



手の内を

     見せないで打つ

            田打蟹(たうちがに)





田打蟹は しおまねき という蟹です。

一本のでっかい はさみを 

おいでおいで と 振り回していますね〜

碁盤の上の田を打つそうですよ

嘘だとおもうなら論より証拠

誰か実験したら!

結果はおしえてね〜!

しかし 手の内なんて 有るんかね〜



かゆい目に

       薬をさしぬ

               彼岸河豚




なまいきに まだ花粉症なんです!

















2011/03/18 13:04:23|Pre 旅 (旅行事前)
白木蓮の 向こうに 青い空がある(洛陽)



しらぬ間に庭の白木蓮が

咲き始めました。

今日は快晴!

市の広報が計画停電の時間を

報じている。


テレビをつけると、

相変わらずどこのチャンネルも

評論家が顔を出して

テレビキャスターとともに

話をしている。


天変地異 問題や事件が発生すると

テレビ局が引っ張り出してくる。

よく居るもんだ。

最近の評論家は

地震評論家、津波評論家、

原子力評論家、

事故評論家、買占め評論家、

円高評論家、物流評論家、

今の花は計画停電のおかげで

省エネ評論家ですかね〜

いるもんですね〜

日本には評論家と言われる輩が、


そのような評論家には

ある特徴がある。

大きな間違いは言わず、

あたらずさわらず、

素晴らしいアイデアは

まず期待できない、

責任感はまず感じられない、


そうイメージとしては、

あの大相撲評論家、

大相撲八百長評論家

み〜んな そんな輩に

みえてならないのであるが〜


たとえ危険であっても困難であっても

少なくとも自分の目で現場を見てから

迫力ある評論をしてもらいたい

ものですな〜


これ以上言うと、

お前も評論家か〜 

なんて言われそうなので、

もうやめよう!



おおかたは

       テレビを見てる

                春愁









「代悲白頭翁」

           (初唐)劉希夷



洛陽城東桃李花  洛陽城東

            桃李の花

飛来飛去落誰家  飛び来たり飛び

        去って 誰が家にか落つ

洛陽女児惜顔色  洛陽の女児

            顔色を惜しみ

行逢落花長歎息  行く行く落花に

        逢って 長く歎息す

今年花落顔色改  今年花落ちて

            顔色改まり

明年花開復誰在  明年花開いて

            また誰か在る

己見松柏摧為薪  既に見る松柏の

        砕かれて 薪と為るを

更聞桑田変成海  更に聞く桑田の

        変じて 海と為るを

古人無復洛城東  古人洛城の東に

            帰る無く

今人還対落花風  今人また落花の

            風に対す

年年歳歳花相似  年年歳歳

            花相似たり

歳歳年年人不同  歳歳年年

            人同じからず

寄言全盛紅顔子  言を寄す

            全盛の紅顔の子

応憐半死白頭翁  まさに憐れむべし

            半死の白頭翁




此翁白頭真可憐  此の翁 白頭

           真に哀れむべし

伊昔紅顔美少年  これ昔は

           紅顔の美少年

公子王孫芳樹下  公子王孫

           芳樹の下

清歌妙舞落花前  清歌妙舞す

           落花の前

光禄池台開錦繡  光禄の池台

           錦繡を開き

将軍楼閣画神仙  将軍の楼閣

           神仙を描く

一朝臥病無相識  一朝 病に臥して

           相識無く

三春行楽在誰辺  三春の行楽

        誰が辺りにか在る

宛転峨眉能幾時  宛転たる峨眉

           よく幾時ぞ

須愈鶴髪乱如糸  須愈にして鶴髪

        乱れて 糸の如し

但看古来歌舞地  ただ看る 古来

           歌舞の地

惟有黄昏鳥雀悲  ただ黄昏 鳥雀の

        悲しむ有るのみ





有名な漢詩です。

作者 劉希夷(りゅうきい)は

今の河南省許昌市出身 琵琶の名手で

美男の誉れ高かったが、素行悪く、

終生官位につけなかった。

母方の叔父 宋之問(そうしもん)に

「年年歳歳〜〜」の句を譲って欲しい

と言われたが、拒絶したため、

之問の奴僕に殺されたという!



詩の趣旨は  赤字



今年花散って、美人の容色も衰え

来年花咲く頃、

誰がなお生きているか



年ごとに、咲く花は変わらないが、

年ごとに、花見る人は変わってゆく



老いぼれの白髪頭は憐れむ

べきものだが、

昔は紅顔の美少年だった



いったん病の床に臥してからは、

もはや一人の友もなく

あの春の日の行楽は何処へ行って

しまったか



かつて歌舞を楽しんだ場所も、

今はただ夕暮れとともに、

小鳥たちが悲しく

さえずっているばかりではないか



青春の移ろいやすさを嘆いた詩である。



海の音に

      はっときがつく

                春愁



春陰や

      ポケットテッシュ

                受け取らず



蟇(ひき)穴を出づ

        ときにはじめの

                あるらしき













2011/03/16 16:15:28|Pre 旅 (旅行事前)
花粉症 机の下の 埃かな(峨眉山)



曇ってきて、風が強くなってきました。

大地震 福島原発 の対応が心配

禍福はあざなえる縄の如し

転んでもただでは起きないしたたかさ

そんな気持ちで!




手の内を

      見せないで打つ

               春の闇




見せないとは言っても、

ないのかもしれないが、

こんなときほど なおさら

日本の未来のために、手の内を

なんとしても

創りだして行くことが必要なのかも!




「星落秋風五丈原」 拾い読み


四海の波乱 収まらで

民は苦しみ 天は泣き

いつかは見なん 太平の

こころのどけき 春の夢

群雄立ちて ことごとく

中原鹿を 争うも

たれか王者の 師を学ぶ


テレビばかり見ていてもね〜




成算胸に 蔵(おさま)りて


乾坤ここに 一局碁

ただ掌上に 指すがごと

三分の計 はや成れば

見よ九天の 雲は垂れ

四海の水は 皆立ちて

蚊龍飛びぬ 淵の外


三人で囲碁は打たないけれど




江陵去りて 行く先は

武昌夏口の 秋の陣

一葉軽く 掉さして

三寸の舌 呉に説けば

見よ大江の 風狂ひ

焔乱れて 奸雄の

雄図砕けぬ 波あらく


口も実力のうち か〜




撃たるるものも 撃つものも

今更ここに 見かへれば

共に夕の 嶺の雲

風に乱れて 散るがごと、、、、、、

、、、、、、、、、、、、、、、




土井晩翠さんも囲碁がすきだった

ようですね〜




飯蛸の

     飯食いたさに

              酒を買う






先日、李白さんと飲んでいたときに、

若い頃の話をしました。

彼は言っていました、若い頃の話です!

「俺は若い頃、本当に仙人になろうと

思っていた。それで、いろんな山で

修行したね〜 剣も習って、仙人になる

ための本も読んでね〜

そう まったく道士かぶれよ!

峨眉山も我が裏庭だったので、

よく行ったもんだ、随分修行した

つもりだったけど、結局だめだったね〜

仙人にもなれず、役人もクビになって

しがねえ〜詩人で終わっちまったな〜

それでもあの峨眉山はなつかしいな〜」




「登峨眉山」

            (盛唐)李白



蜀国多仙山  蜀国(しょくこく)に

          仙山多く

峨眉漠難匹  峨眉漠として

          くらべ難し

周流試登覧  周流(しゅうらん) 

          登覧を試み

絶怪安可悉  絶怪(ぜっかい)

          安(いずく)んぞ 

          悉くすべけんや


青冥倚天開  青冥(せいめい)

          天に拠って開き

彩錯疑画出  彩錯(さいさく)

          描き出すかと疑う

冷然紫霞賞  冷然たる

          紫霞(しか)の賞

果得錦嚢術  果たして錦嚢の

          術を得たり



雲間吟瓊簫  雲間に 

          けいしょうを吟じ

石上弄宝琴  石上に

          宝琴を弄す

平生有微尚  平生

          微尚有り

歓笑自此畢  歓笑

          此れよりおわる



煙容如在顔  煙容

          顔に在るが如く

塵累忽相失  塵累(じんるい)

          忽ち相失う

儻逢騎羊子  もし騎羊の子に

          逢わば

携手凌白日  手を携えて

          白日を凌がん






「 峨眉山に登る 」

            (訳詩)はぐれ雲




蜀国(しょくこく)に 仙山多けれど

峨眉の 深遠なること

他に 較べるもの無し

登高し あまねく遊べど

深き不思議は 述べ尽せない



深青(しんせい)の峰 天空に拠り

不思議な彩(いろどり) 絵画の如し

棚引く紫霞(しか)を 愛でて

ついに得たり 仙家の秘術



雲間に 玉笛(ぎょくてき)を吹き

石上に 宝琴(ほうきん)を弾く

平生(へいぜい)の 微かな楽しみ

歓笑して 心残り無し



顔前(がんぜん)に 雲海迫り

俗世(ぞくせい)は とうに忘れし

もし葛由(かつゆう)仙人に 遭わば

共に手を取り合って 太陽をも越えよう






騎羊子(きようし)

葛由(かつゆう)仙人のこと。

羌(きょう)の人。周の成王の時代

木を刻んで羊を造り、それを売っていた。

あるとき羊に乗って蜀の地にやってきた。

蜀の王侯貴族達が追いかけて行って

綏山(すいざん)に登って行った。

綏山は峨眉山の西南にあって、

きりもなく高い。霧はあるのだが、

際限もなく高い という意味です。

跡をついて行ったもの達は

誰も二度と帰らず

みんな仙道を得たそうな!

列仙伝に伝えられる

“羊に乗った笛吹き男”

左慈、修羊公、黄初平、等とも言い

それぞれ多くの逸話がある。

何しろ 仙人だからな〜




羊に乗って

       紫霞(しか)の棚引く

                   峨眉登山















2011/03/13 12:40:21|その他
春の大鯰  瑞穂の国を  飲みつくす


M 9.0に修正!

未曾有の国難 こうゆう時こそ

日本民族の底力を

みせたいものですね〜





それにしても ひどい被害

がんばってもらいたい!









三国志の諸葛孔明の住んでいた

草蘆が観光地になっている。

ところでこの三顧の礼の草蘆は

現在の何処にあったのか?


「諸葛亮伝」によると

亮、南陽のケ県に家す。

襄陽の城西二十里、号して

隆中という

後漢末の住所なのである。


ということで古い話は

滅茶苦茶になってなおさら

大陸的な中国のこと

場所なんていくらでもある!

そんなわけで


湖北省襄はん市 と

河南省南陽市 が

隆中の臥竜岡(がりゅうこう)の

草蘆は おらが市に在るのだと

主張しあっているようである!







紫雲たなびく 洞の中

誰そや 碁局の友の身は


其の隆中の別天地

空のあなたを眺むれば

大盗競ほひはびこりて

あらびて栄華さながらに

風の枯葉を掃ふごと

治乱興亡おもほえば

世は一局のなりけり



蒼天はドームの如く

陸地は碁局に似たり

世人は黒と白に分かれ

往来して栄と辱とを争う

其の世を治め世を救う

経綸胸にあふるれど

営利を俗に求めねば

岡も臥竜の名を負ひつ

乱れし世にも花は咲き

花また散りて春秋の

遷りはここに二十七


高眠 遂に永からず

信義 四海に溢れたる

君が三度の訪れを

そむきはてめや 知己の恩

羽扇 かんきん 風軽き

姿は替えで立ちいづる

草蘆 あしたの 主やたれ





諸葛亮孔明 臥竜岡を出る

いわゆる 草蘆三顧 三顧の礼

の話ですね。

ときに孔明二十七歳

劉備四十七歳でした!