人生まだまだこれからさあ!

老いた駿馬は馬小屋に伏すも志は千里にあり。烈士は暮年なるも壮心止まず。人生まだまだこれからさあ!
 
2011/05/07 15:08:34|紀行
晋祠にて 水の源 夏は来ぬ(学ぶ会10)



晋祠(しんし)は太原の郊外にありました。


晋祠を観光地として売り出そうと

農家より田畑をめしあげ

広大な公園などを整備したが

観光の利益はそれほどでもなく、

近隣の百姓達がムシロ旗をたてて

抗議のノロシをあげた とか

ガイドの話

古来 土地と水は農耕民族にとって

死活問題 生命の源

日本でも同じですよね〜

その後どうなったかはしらず。



魚沼こしひかり のルーツはここに

あったのか などと言うと

次の話しの信用度が極端に落ちるかも

こしひかりというよりも

田んぼのルーツかな〜

四角い沼と十字の橋はまさに

田の字だよね〜




庭園に

       心のなごむ

                 新樹かな







晋祠(しんし)は

周の成王の弟である 

唐叔虞(とうしゅくぐ)を祀っている


成王が弟の虞と庭木を使い

「これを以ってお前を封じよう!」と

儀式の真似事をしていた

宮殿に帰ると 宰相が「虞さまをどちらに

封じましょうか?」と

成王は驚き「私は遊んでいただけ」と

宰相「天子に戯言なし!」 と

その頃 かの有名な周公丹が唐を征伐し

帰ってきたので、虞を唐に封じ

唐叔虞 とした。成王はまだ小さかった

ので、周公丹が摂政となっていた。

その後 その地は

汾水の支流である晋水が

流れていたので、国名を晋としたそうな

それからず〜っと後 晋は三つに分かれ

趙 魏 韓 となり 

それぞれが戦国の七雄となる。

この三国を 三晋 と言う そうな!



成王の親父は武王と言い、牧野の戦い

で勝ち かの悪行の限りを尽くした

殷の紂王(ちゅうおう)妲己(だっき)

を滅ぼし 殷周革命を成し遂げた。

酒池肉林や炮烙(ほうらく)の刑等で

有名ですね。太公望や周公丹 等が

活躍していた頃の話です。

今から はるか3000年以上もの昔の

ことであります。中国古代史のおさらい

でした。





はるかなる

        時は過ぎたり

                  青葉風
















2011/05/06 18:59:24|紀行
平遥に 黄酒ありて 桐の花(学ぶ会9)


平遥古城は

それなりに きれいにしてあり

それなりに 由緒ある店も多く

それなりに 景観もよくて

それなりに 伝統芸もあるらしく

それなりに 落ち着いた街であり

また来て見たいな〜っと思いました!


写真は上から

街んなか


由緒ある “昇源黄酒”の 

     造り酒屋の跡継ぎおやじ


マッサージ店(二階)一階は飯屋

獄 悪いことをすると お仕置きされる

         最悪は死刑かも



夏は来ぬ

        伝統技に

                切り絵あり


切り絵も有名らしい 

みんな沢山買っていた



酔いもまわり マッサージ店の中

中国語の研修の為

おねえさんに 話しかけると

後ろのほうで 笑い声が聞こえる

随分歩いたから、きもちええ〜


話しかけると、どうやら 

鍛え上げた魔法の指に力が入るようだ

イタッツ イタッ イタ〜


脚を しごかれて〜 しぼられて〜

夢心地でございました!



しごかれて

          脚筋痛し

                  初夏の風




平遥古城はいいところだから、

また来ることにしよう!

そのときは、あの跡継ぎおやじと

いわくつきの銘酒“昇源黄酒”に

どっぷりと浸りたいとおもう。




由緒ある

        昇源の酒

                  夏来たる















2011/05/06 10:21:18|紀行
平遥は 金融の街 黄金週(学ぶ会8)



平遥は

清代末までは山西商人の拠点であり

中国金融の中心地であった。

平遥古城には14世紀明代始めに

造営された街並みがそのまま残っている。

城壁も残り、中国の典型的な城郭都市が

形成されている。


春秋時代は晋に、

戦国時代は趙に属していた。


清代末期、平遥には

大きな票号(金融機関)が二十数家あり、

中国全土の半数以上が集まる

金融の中心地であった。票号は各地に

支店を置き、金融業を営んでいたが

中でも19世紀初頭に設立され、

「匯通天下」として名を馳せた

「日昇昌」は中国最大の票号として

有名である。


匯通天下 の 匯の漢字分解すると

氵(みず) 隹(かさなり、ぐるぐる回る)

匚(囲いの中)


即ち 匯の字は

“水が重なり集まり囲いのなかで

ぐるぐる回っている”そうして

水は お金 なのでしょう!

為替を組む等の意味もある。

つまるところ “金は天下のまわりもの”

ということでしょうか!


「日清戦争で日本に破れ、巨額の賠償金

をとられたので、その後、

日昇昌はなくなった。」

とガイドは言っていたが、、、、


我輩は考える 

おかげで今の中国の発展が

あるのではないのかと

「金は天下のまわりもの!」

ぐるぐる回って中国に、そのうち

日本にもまた大量に回ってくるでしょう!



それにしても 紙幣を天秤ばかりで

計るとはね〜















2011/05/05 19:35:09|紀行
陽炎の宿 平遥古城 洪善驛(学ぶ会7)



次の目的地は山西省の平遥

河南省からバスによる大移動

しばらく走ると、夕暮れには早い

のであるが、薄暗い


バスは新しい高速道路を快調に走る

途中 大規模な火力発電所が沿道にあり

白煙を上げておりました。


時は晩春から初夏

霞か雲か煤煙か わけのわからぬ

旅のそら

やがて すっかり日が落ちて

それでも民家の灯火まばらにて

人の存在ありやなしやと気になって


やっぱり広い国なんだな〜っと

実感するのでありました!



平遥古城は世界文化遺産になっており、

今夜の宿はその中に在りました。



平遥洪善驛 

ping2 yao2 hong2 shan4 yi4

宿の名前です。

驛 は うまや、えき、

馬を乗り継ぐところ、宿場 そんな意味

HOTELというよりは

旅籠(はたご)の感じかな〜

すこぶる風情のあるいいところでした。


特に

入り口の奥に入り口がありその奥にまた

まるで万華鏡をのぞいているようで

あります。

のぞくのが好きな我輩ではありますが、

のぞききれないほどの奥深さ!

紅い貼り紙 紅い提灯

カーブして反り返る屋根の形

これぞ中国 中国の美ですね〜




万華鏡

       紅色紙の

               初夏の宿


















2011/05/04 19:30:57|紀行
白馬駄経 子供の遊ぶ 牡丹苑(学ぶ会6)


白馬寺

天竺から摂摩騰と竺法蘭という高僧が

白馬に経典と仏画をのせて、洛陽に入り

朝廷に迎えられ、創建した寺です。

西暦67年 後漢の二代皇帝 明帝

の時代でした。

中国にとっての 仏教の夜明け でした。




初夏(はつなつ)や

        白馬の騎士は

               印度人






洛陽のガイドさんはこの辺りが

中国の中心で、古来 中原 といわれたと

しきりに言っておった。

挙句の果てに

ここ河南省では

“中不中?”という言葉をよく使う!

そうな


どんな意味なのかな〜

“真ん中ですか〜、あたってますか〜、

いいですか〜” 

そんな意味なのかな〜


もし、そんなふうに聞かれたら

我輩は すぐ“不中!”とこたえるかも、

我輩の へそ は

常に真ん中に居ない

いつも曲がって外れている ので〜