人生まだまだこれからさあ!

老いた駿馬は馬小屋に伏すも志は千里にあり。烈士は暮年なるも壮心止まず。人生まだまだこれからさあ!
 
2012/03/04 13:27:06|紀行
風光る虎尾の先の旅順口




びっくり大連四日間 B


いよいよ日露戦争の世界へ

先ずは 韓行恕さんを紹介しよう!

旅順白玉山にて 日露戦争の語りべ

をしている 日本人以上の上手な

日本語を使い説明してくれた。

80歳を超えているという。

           写真 上


旅順口 白玉山展望台より

海上右側が 老虎尾半島

左側が黄金山 間の海峡が旅順口

日露戦争ではここを封鎖しようと

白瀬少佐が夜霧にまぎれ船を沈めに

いくがロシアの砲撃で戦死した話は

坂の上の雲の一場面でしたね〜

結局三回にわたる封鎖作戦は

成功しなかったようです。


そもそも旅順は遼東半島の最南端に

位置し、海を隔てて山東半島と

向かい合っている。

渤海湾の喉にあたり 京畿の門戸

といわれ戦略的にきわめて重要。

漢の時代から 沓津 馬石津

獅子口 などと呼ばれていたが、

明朝初期 明の軍隊がこの地を

回復すべく、海を渡って平安無事に

獅子口に上陸したので、

これを記念して、

旅途平安、順調到達の意味を込め

旅順と改称したそうな!

今後 ず〜っと平和な時代が

続いてほしいものですね〜



風光る虎尾の先の旅順口
















2012/03/03 21:32:56|紀行
スースークワイスースイー茄子うまし

びっくり大連四日間 A


夕食の後このまま寝るのはちょっとな〜

泊っているホテルの周りを散策

すこしまだ飲みたいと

ちいさな小吃店を覗いたら

ほっぺの赤い女の子 

ここに入るかと爺さん三人入り込む

刀削面 2ケ 炒飯 1ケ

茄子の何から炒め 1ケ

ビンビール 二本

食後 なので完食とはいかず

三部食とかなり残りました!


イーゴン ドーサオチェン ?

全部で いくら と聞いたら

スースー クワイ

そうかいそうかい44元だなと

コイン四個と40元を出したら

コインは返却された ウイ〜シェンマ?

どうして?

スースイー クワイ スースイー 

そうかい スースイー スーシイー

40元だとよ〜

あ〜あ 植木等になった話でした!


スースークワイスースイー茄子うまし







それにしても安かったな〜

うまかったな〜




(後記)

コメントありがとう!

大連はきれいなところでした。

赤レンガもそうですが、特に海岸線が

中国とは思えないくらい風光明美

まるで伊豆の海のようでした。

アカシアの咲くころにはきっと

観光客で賑わうことでしょう!

魚はうまいし、また行ってみたい

と思います。

しかし 中国語はむずかスイーダースー


         謝!謝!












2012/03/03 20:27:41|紀行
コンクリートの坂の上に春の雲



びっくり大連四日間 @


大連観光とオプションの旅順近辺の

日露戦争の戦跡等に行ってきました。


大連の星海広場にはコンクリートの

左右に広がる広大な坂があり。

その上に白い雲が浮かんでおりました。

坂の上の雲ですかね〜 写真上


コンクリートの坂の上に春の雲




鉄路鍋炉安装工程公司と言う処に

亜細亜号というおおきな機関車が

保管されておりました。

説明書きによると、

満州鉄道会社所属 1934年運行

開始 長春ー釜山、

新京(長春)−大連ーハルピン 

等々 中国東北地方を中心に

高級豪華列車として運行された

そうな。川崎重工で12台つくられた

ということです。

こういうのは夢がありますね〜

当時の発展途上国の意気込み息吹が

感じられますね〜


疾駆する亜細亜の果てを春の月













2012/02/25 6:52:34|Pre 旅 (旅行事前)
天気晴朗ならずして春あらし



天気晴朗なれども波高し


まことに小さな国が、開花期を

迎えようとしている。

その列島の中の一つの島が

四国であり、

〜〜〜〜

城は松山城という。


春や昔十五万石の城下かな


(小説「坂の上の雲」の出だしである。)



「敵艦隊見ゆとの警報に接し聯合艦隊は

直ちに出動 これを撃滅せんとす

本日天気晴朗なれども浪高し 」

       秋山真之の言葉です。



坂の上に立つはぐれ雲春の海




今日は朝から雨が降っております。



天気晴朗ならずして春あらし




まことにかってながら、明日より 

しばらくの間 

本ブログを留守にします。




日露戦争の戦跡の一部を

訪ねてきます。





日露戦争関連の漢詩を下に載せます。




「 爾靈山 」(にれいさん)

    (明治)乃木希典


爾靈山 

 嶮(けん)なれども 

 豈(あ)に攀(よ)ぢ難からんや

男子の功名 

 克艱(こくかん)を期す

鐵血 

 山を覆(おほ)ひて 山形改まる

萬人 

 齊(ひと)しく仰(あふ)ぐ爾靈山




二〇三高地が険(けわ)しくとも、

どうしてよじのぼることが

難(むずか)しかろうか。

男子としての功名のためには、

困難に打ち勝つことを決心している。

弾片と兵士の血が山腹を覆って、

山の形が変わってしまった。

すべての人は皆、

身命を抛(なげう)っての偉業に

爾靈山を敬い見上げている。






 「 凱 旋 」

            (明治)乃木希典
   


王師百萬 征強虜 おうしひゃくまん 

          きょうりょをせいす

野戰攻城 屍作山 やせんこうじょう 

          しかばねやまをなす

愧我何顏 看父老 はずわれなんの

かんばせあって ふろうにまみえん

凱歌今日 幾人還 がいかこんにち 

        いくにんかかえる





強虜〜驕虜とも書かれている

強いえびす 

 おごりたかぶったえびす 

 当時のロシアのことをさしている



皇軍百万、強虜ロシアをうち懲らす

 ため満州に出征した。

原野の戦い、要塞の攻略に

 戦死者の屍骸は山成したのである。

故国に持つ兵士の父老に対して、

 どの顔さげて会えようか。

勝ちいくさの歌をうたい乍ら

 今日故郷に帰るは百万人中

 何人いるだろうか。



このいくさでの日本兵の死者は

6万人と言われている。



 「金州城下作」

          (明治)乃木希典



山川草木轉荒涼  山川草木

            うたた荒涼

十里風腥新戰場  十里風 なまぐさし

            新戰場

征馬不前人不語  征馬すすまず

            人語らず

金州城外立斜陽  金州城外

            斜陽に立つ




 「新戦場」

         (訳詩)はぐれ雲



山川草木 荒れ果てて

見渡す限り なまぐさし

軍馬は動かず 息のむ将兵

金州城外 ただ立ちつくす




















2012/02/24 14:08:21|その他
花見酒 のれそれの味あれそれと




真穴子の故郷が

見つかったそうですね〜

日本最南端 沖ノ鳥島の南にある

海底山脈“九州〜パラオ海嶺”が

長年謎の中にあった真穴子の産卵場所

である。 とわかったそうだ!

孵化したばかりの“のれそれ”を

見つけたそうである。

これはすごいことなんですよ〜

象の墓場、金鉱山、ダイアモンド鉱山、

大油田、レアメタルの山、

超新星のしずく

等々の大発見に匹敵するのか

しないか するんだろ〜な〜


ところで“のれそれ”???なにそれ?

穴子の稚魚のことをいうそうだ!

吾輩の疑問はなぜ“のれそれ”なのかと

調べてみましたのれそれを〜

インターネットでなにそれによると〜

「のれそれ」の語源は、それ

高知で、アナゴ類の稚魚を「ノレソレ」

と呼びます。高知市付近ではノレソレ、

須崎市付近では

タチクラゲと呼ばれています。

地引網を引くと、ドロメは弱いので

すぐに死んで網にくっついてくる

のですが、ノレソレは、それ

そのドロメの上にのったり、

それたりしながら網の底に

滑っていきます。このそれ

「のったり、それたり」という

地引網の中の様から

こう言われているようです。だそれ


ついでにどろめとは、

いわしの稚魚(しらす)の事で、

土佐地方ではこれを「どろめ」と呼び、

珍味として古くから珍重されてきた。

名前の由来は、しらすが泥の中から

目をぎょろっと出している様子から

「どろめ」と名付けられたと言う説もあるが、

はっきりした事は分っていなどろめ。



ふるさとは海嶺

        のれそれの春の海




のれそれの旬は忘年会の時期だそうで

食べ方は 三杯酢で食べるのが定番!



花見酒のれそれの味あれそれと




吾輩のめんたま それそれ

最近弱ってきており、

どろめ になりつつある。

困ったもんだ〜 のれそれ 〜