今はまさに清明の時節でしょうか!
春うららかに山河草木光輝く、
人々の心も「清々しくも明るい」
蝶が舞う花の盛りを迎え、
雁は北へ帰る頃、昼は霞、夜は朧月
もぐらが化してうずらとなり、
虹が現れ始める。
二十四節季の一つであり、農作業も
始まる頃となったのである。
清明やさざ波に立つ鷺の足
青い空もぐらの穴からうずらの子
曲水の宴詩もつくらずに酔いにけり
生涯の今が何処でも花満開
桜の花は何処にでも咲いていますね〜
小さな公園にも、どこの川の土手にも
神社にも、民家の庭にも、
本当に日本人は
桜の花が好きなんですね〜
「清明日宴梅道士房」
(盛唐)孟浩然
(一)
林臥愁春尽 林臥して春の尽くるを愁へ
開軒覧物華 軒を開いて物華を覧る
忽逢青鳥使 忽ち青鳥の使に逢ひ
邀入赤松家 邀へて赤松の家に入る
(二)
丹灶初開火 丹灶 初めて火を開き
仙桃正落花 仙桃 正に花を落とす
童顔若可駐 童顔 若し駐む可くんば
何惜酔流霞 何ぞ流霞に酔ふを惜まん
「清明の日 梅道士の庵での宴会」
(訳詩)はぐれ雲
(一)
樹林に隠れ棲み、春の終わるのを愁い
軒窓を開けて、草花を見ていると
女仙西王母の使いという青鳥に逢い
迎えられて、仙人赤松子の庵に入る
(二)
仙薬を煉る竈に、初めて火が入り
三千年に一度実のなるという仙桃の花が
ちょうど今散っている
仙薬により不老になり、
童顔を保てるならば
どうして仙酒に酔えないことなどを
惜しむことはあろうか
流霞(りゅうか)〜仙人の酒のこと。
花満開
流霞(りゅうか)に酔いて
しまいけり
「 清明 」
(晩唐) 杜牧
清明時節雨紛紛 清明の時節
雨紛々
路上行人欲断魂 路上の行人
魂を断たんと欲す
借問酒家何処有 借問す 酒家は
何れの処にか有ると
牧童遥指杏花村 牧童遥かに指さす
杏花の村
牧童の指さす先は春の風
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