バオバブの木

 
2005/12/11 9:46:25|その他
身近な歴史「金子堅太郎伯爵」
教科書や本で読む歴史は少し遠く、どこか他人行儀な顔だ。
が、実際の祖父や祖母の体験談から紐解いて見ると、
100年前程の歴史は自分の手の届く所にあるような気がする。

自分の祖母や祖父の幼年期は、大正。
まだ江戸末期・明治の人間が存命で時代色が残っていたからだろう。
祖父母たちは昭和の戦争を乗り越えてきた世代でもある。

祖母の思い出話からの興味深いエピソード。

母方の祖母(母の母)は横須賀の生まれ。
横須賀の葉山一帯は当時から別荘地であり、祖母も若い頃
(行儀見習いも兼ねて)そのような家へ奉公にでていたそうだ。
(現在、祖母が奉公した金子伯爵邸及びその一帯は、葉山しおさい公園になっている。)
よく「金子伯爵のお屋敷で・・」という話を聞いていたので、ある時調べてみたところ・・。

伊藤博文らと共に八景島で憲法草案・児玉源太郎らの下で日露戦争時、学友ルーズベルトを通じてアメリカの支援を取付ける事に成功・書記官長時代、帝国議会一回目より速記術を取り入れ、議事録を残す・マハン「海軍戦略」を翻訳し、日本に持ち込む、等。

横須賀の普通の老婆の思い出話から、明治のストレートど真ん中!(驚)

仕方が無いことだが、教科書には何にも載ってない。(手元の高校の日本史教科書で確認)
ブツ切れの言葉と年号だけが並んで面白みが無い。
歴史は記憶であり、繋がらなければ意味も意義も無いかと思うのだが・・。
色々と難しい事情もあるんだろう。

しかし、身近なこういきっかけで調べていくと、驚く程簡単に歴史のストーリーが繋がっていく。
パズルの断片を見つけてはめ込むようで面白い。

金子邸で奉公時代での、良く聞いた話。

屋敷には伯爵は留守がちで奥様とお嬢様が住んでいた。お嬢様は体が弱かったので、
仕事の際、大きな物音を立てぬよう、注意を払った。
戦争前に朝鮮半島で鉄道の株を沢山持っていたようだが、敗戦後株がどうなったか知らない。
    等、興味深い話もあった。

金子堅太郎氏と奉公先の葉山の金子伯爵とが同一人物と長いこと気付かなかった・・。

もっと早くに気が付いていれば更に詳しい話も聞けたことだろう。

祖母が亡くなって、来年の正月2日で三年が経つ。

金子堅太郎→http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E5%AD%90%E5%A0%85%E5%A4%AA%E9%83%8E




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偶然ですね
私の母(大正元年、1913年生まれ)が
やはり金子堅太郎伯爵のお屋敷に奉公に行っていました。昭和10年に結婚しましたのでそれまでの何年かと思われます。母は逗子生まれで叔母が大正天皇にお使えしていたみたいでその縁でお使えしていたようです。朝はコーヒーtパン、ハムエックとのこと。結婚の記念品や奥様からの手紙などが残っています。

タミオ  (2019/04/15 15:18:25) [コメント削除]

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