幻塾庵 てんでんこ

大磯の山陰にひっそり佇むてんでんこじむしょ。 てんでんこじむしょのささやかな文学活動を、幻塾庵てんでんこが担っています。
 
2023/04/19 5:00:00|文芸誌てんでんこ
アリギリスの歌 「てんでんこ」第17号用


ほんとうにほんとうのノート作家カフカのアフォリズム〈八つ折版ノート〉を読み返すたび、やはり遠い昔に聞き知った新約聖書の言葉を想い起こす。うろ憶えだが、ナザレ人はたしかこう語っている。

身を殺して魂を殺しえぬ者をおそれるな。身と魂とをゲヘナにて滅ぼしうる者をおそれよ。

何を言っているのかわかったためしがないのに、どうしてか忘れえぬ言葉として記憶に残る代表的なもので、今でも理解はできていない。信仰をもつ人に訊けば、正統派の教義での解釈をしてくれるのかもしれないが、あえて不明のままにしてある。

意味不明なのに、どうしてカフカの〈八つ折版ノート〉と直結しているのか……じつはその謎を解くためにカフカのノートを反復して読みたくなる堂々巡りぶり……。

ゲヘナは、エルサレム城壁の南にある地名で、古く幼児犠牲が行なわれたことから新約聖書では地獄の意になったという。

種々のノート類に、創作を含む文を書きつづけ、自分という存在は〈文学〉以外の何ものでもなく、すべてを〈文学〉にささげると宣言した作家は、たとえば〈八つ折版ノート〉にこう書いた――「剣に魂を突き刺されたときに肝要なのは――落ち着いて眺めること、血を一滴も失わないこと、剣の冷たさを石の冷たさでもって受け入れること。突かれたことによって、また突かれた後、不死身となること」

これまた何をいっているのかわかったためしがないのに、不可能性をめぐる作家の絶望的なたたかいぶりは、ナザレ人の剣に拮抗しうる稀有なものだったという思いが私の中にゆるぎなくあるのはどうしてだろうか。

1914年2月11日付の日記に、「激越な印象がぼくの心をひっさらって行く」と前置きした後、「どうして人は自分自身に火を点けて火のなかで滅ぶということができないのだろう? あるいはまた、命令が聞えなくてもその命令に従うということができないのだろう?」などと作家は書く。「激越な」記述にはまだ続きがあるのだけれど、身と魂を没入させた〈文学〉の結晶を、ゲヘナの火に投じる作家の原像をこのひとかけらの文に見出すのは難しくないはずだ。

M・ブロート宛に、日記、原稿、手紙などを「残らず、読まずに焼いてくれ」という趣旨の遺書を残したカフカは、熱読したキルケゴールの新約聖書の真理の剣に、幾度か「魂を突き刺された」と想像される。〈文学〉以外の真理に突かれたことによって、また突かれた後、不死身となった作家こそカフカである。

 







2023/04/12 5:00:00|文芸誌てんでんこ
アリギリスの歌 「てんでんこ」第16号用

アリでもありキリギリスでもある、あるいはそのいずれでもないカフカ的雑種として生きてきたアリギリスが、実存の最終ステージで、辛うじて標榜しうるとみなした「ノート作家」――。しかし、その「ノート」のニュアンスも雑種的という他ないようである。

アリギリスガマスターできた外国語はただの一つもないが、多和田葉子のいう〈カタコトのうわごと〉ふうの異語のカケラを好物のナッツ類のように食べる習癖は若年期以来のものだ。このナッツをたとえば「ノート」を発音すれば、東北ズーズー弁のネイティヴスピーカーお得意の訛りと思われるかもしれないが、ドイツ語のNot、そしてアリギリスの偏愛するデンマーク語のNødと並べてみるとイメージの雑種的つながりがみえてくる。

ドイツ語にもデンマーク語にも、英語のnoteと同じつづりで同じ意味の単語はある。ノート(ブック)は最もありふれた世界共通語の一つといえよう。アリギリスは読めもしないカフカの原典版全集の日記をあてどなく眺め暮らしていたある日、一九一三年の記述中、次のような一行に出くわした。

 Was für Not!

このNotが、英語の否定形やnoteの‶縁語≠ンたいに思え、日本語訳全集をあたってみると、「なんという苦境!」とあり、たぶんカフカが特別の書き方をしているためだろう、同訳文には傍点がふられていた。この数行ほど前には、やはり傍点付きの「ぼくというみじめな人間!」という一行も見出される。

ドイツ語のNotやデンマーク語のNødは、音の近縁性からわかるように英語のneedに相当する。他に英語相当語をあげると、want、necessity、difficulty、trouble、misery、dangerなどなどである。なぜ、「必要、入用、要求、さし迫った事態、いざという時」と「不足、欠乏、貧困、貧窮」とが同居しているか、なんとなくわかる。 

さいごのさいごには他の草稿・作品類と共に焼却してほしいと遺言されたものではあるけれど、カフカが日記に対し並々ならぬ思い入れを抱いていたことはたしかだ。「ぼくというみじめな人間」にたえず襲いかかる「苦境」への実存的処方箋の一つとして、日記はどうしても「必要」欠くべからざるものだった。

ドイツ語のNot に相当するデンマーク語のNødは、じつは「苦境」と「必要」の他にもう一つ、木の実のナッツの意味をもつ。ナッツ類に目がないアリギリスが、特にこのデンマーク語を愛惜してやまない所以だが、ごく最近、大部の辞典をみてNødに「ばかもの」というさらにもう一つの意味があるらしいことを知った。天才作家のいとなみと区別して、Nød作家を名のる必要に迫られた次第だ。

 







2023/04/05 5:00:00|文芸誌てんでんこ
アリギリスの歌 「てんでんこ」第15号用


田舎者の私にはじめて読むことの奥深さを教えてくれたのは、高校の国語教師であった。十五歳の春に生家を離れて下宿生活に転じたばかりの田舎者のアタマでは、すぐには理解できないにもかかわらず、「何か重要なことが言われている」という感触のトリコになった。S先生は、国語の時間の初っ端に、職業人としての物書きへの不信感をのべた後、「それにもかかわらず」読むことと生きることとの不可分の関係について味わい深い口吻で語り、強い印象を与えた。この「それにもかかわらず」という実存的な接続辞は、六十代になった現在も、ヨミカキの宿業の中核にからみついた〈肉の刺〉でありつづけているようだ。

S先生の口から洩れた「重要な」言葉のカケラとして今も覚えているのが、〈耳が語り、口が聴く〉とか、〈好みは千の嫌悪から成る〉とか〈書いたものに完成はなく、発表は事故の結果〉というようなものだ。もちろん、他にもたくさんあったけれど、今この三つをあげたのは、最近読み直したP・ヴァレリーのアフォリズム(?)の中に再び見出されたからである。

S先生は、誰が言ったのかはさして重要でない口ぶりで、これらの箴言を、耳が語るように話し、私も口が聴くようなムードで受取った。当時の私のカルチャーショックじみた新鮮なオドロキをヴァレリーふうに表現すればそうなるだろうか。

本コラムにすでに複数回、「青春の夢」の仕事に言及した折、わたしは〈ノート作家〉志願者だと書き、たとえその足元にも及ばぬと当初からわかっていても、真似事だけでもと願った先達として、キルケゴールや他のビッグな著作家の名をあげたのであるが、ヴァレリーは含まれていない。〈ノート作家〉の大物といっていいヴァレリーを、若い時から終始気にかけ、断続的に読みつづけた「にもかかわらず」、なぜ、当方の矮小な実存の理想の先達リストの中からは外されているのか、明瞭な説明はできにくいけれど、死ぬまでぬけない田舎者の習性で、五十代にしてアカデミー・フランセーズ会員に推挙され、世界ペンクラブ議長をつとめ、国立地中海中央研究所長となったあげく逝去時には国葬で儀式がおこなわれたといった「名士中の名士」ぶりに気圧された事実を、どうでもいいこととはみなせない気がする。

ヴァレリーの書いた「内容」に田舎者は今でも、深く同意せずにはおれない。にもかかわらず、その実存のあり方を、キルケゴール、カフカ、ベンヤミンなどのそれと並べると、たちまち後者が「一つの好み」を形成する。ヴァレリーを「嫌悪」したことはないにもかかわらず、敬して遠ざける自分がいるのである。







2023/03/30 5:00:00|文芸誌てんでんこ
アリギリスの歌 「てんでんこ」第14号用
 


ニモカカワラズという関わり方が、道に迷う実存的な技術と不可分であることが、凡愚ノート作家にも遅れ遅れてわかってきた。単独的である他ない営みに沈潜する道を選んだにもかかわらず、公的とも私的ともつかぬアリギリスふう擬態雑誌をたちあげて、すでに十年近い年月が経とうとしている。

〈秋ちかき心の寄や四畳半〉

「元禄七年六月二十一日、大津木節庵にて」の前書があるこの句の作者(木節)は大津の医師で、わが幻塾庵の宗祖ともいうべき芭蕉の最期をみとった人物だそうだ。


蓑笠庵という異名もあるわが庵は、四畳半の茶室とはオモムキが違うけれど、「心の寄」なる表現におのづからひきつけられる。気心の合う人々が集まっている情景を詠んだこの句から数か月後の十月、〈旅に病んで夢は枯野をかけめぐる〉の句をのこして逝った――その芭蕉が追慕した西行の歌〈心なき身にもあはれは知られけり鴫立つ沢の秋の夕暮れ〉を思い浮かべる。昔、学校で習ったところでは「心なき身」は、出家してものの情趣を味わうということとは無縁となった身とする説があるそうだが、ここなる庵主がいつも口遊む芭蕉の歌〈捨てはてて身はなきものと思へども、雪のふる日は寒くこそあれ、花のふる日は浮かれこそすれ〉の「捨てはてた身」と明らかに呼応しているに違いない。

海の向うの天才たちから学んだ道に迷う実存のありようが歌われたものと勝手に解釈している庵主は、つまり、実存の道を〈非僧非俗〉と翻訳して現在に至っている。

世俗的なものから身をもぎはなす習練を死ぬまで怠らないと決意したにもかかわらず、花見に興じる人々同様に「浮かれ」てしまう自分を否定できない。

しかし蕉翁が人々と同じ心で花に浮かれたようにも思えない。芭蕉型俳文の系譜をうけ継いだ横井也有は『鶉衣』のなかで、「正しくして俗中に雅を失」わぬ蕉翁の文は、「たとへば、やんごとなき人の編笠・羽織にやつして、花のもとの床几によりたれど、田楽・団子に手をふれず、茶ばかり飲みてやすらひたるが如し」と評している。

わが庵で編まれる雑誌を支えつづけてくれた〈方人〉たちは、テンデンバラバラのてんでんこ党員にふさわしく各人各様の仕方で、俗中の「片隅」を愛する、とこれまた勝手に当方は想像している。読まれてナンボの市場原理がさし出す「田楽・団子に手をふれず、茶ばかり飲んでやすら」う心の寄りを共有する、と。しかし実際に庵で一同共に茶をすすったことすらないのである。いつモトノ野原にもどるかわからぬ「片隅」で、蕉翁をもどく一句をしたためる
――〈書をよけて月さし入れよ蓑笠庵〉







2023/03/29 6:10:20|文芸誌てんでんこ
アリギリスの歌 「てんでんこ」第13号用
2023年3月22日 05:50



「てんでんこ」第1号から第12号まで、各号の最終頁に置かれていた「アリギリスの歌」――幻塾庵ブログにふさわしい幻の第13号用
 

若年の日の希望通り、ノート作家に曲りなりにもなり了せた実感を抱く当方は、あらためてノートの定義をベンヤミンから乞食のようにモライ受け、ノートする。

といっても、ノートの正式の定義をベンヤミンがやっている文をさがし出したわけではなく、かれが「愛した作家」ヴァルザーやクラウスについての論の中から勝手に取り出した文をつないだものにすぎない。しかも当方のヴァルザーやクラウスの作品に対する知識は無きにひとしいばかりか、これらの作家がノート精神の体現者と直接の関わりがあるわけでもない。

「洗練された」「高尚な」形式を求める読者が、ヴァルザーにまずもって見出すのは、「ある常軌を逸した、何とも言いようのないだらしなさ」であり、「この無内容さが重量であり、とりとめのなさが根気であるということ、ヴァルザーの営みについての考察は、最後にこのことに思い至る」と、ベンヤミンは論の冒頭部で言う。

「それは簡単な考察ではない。というのも普通われわれは、多かれ少なかれ練り上げられた、意図された芸術作品のなかから、文体の謎というものがわれわれに立ちはだかってくるのを見るのに慣れているのに対し、ここではわれわれは、少なくとも外見上はまったく意図のない、にもかかわらず人を引きつけとりこにする、言語の野生化の前に立たされているからである。加えてここには優雅から辛辣まで、あらゆる形式を見せてくれる気ままさがある」(ちくま学芸文庫)

ベンヤミンが用いた「にもかかわらず」という実存的接続辞は、極めつきのノート作家カフカが愛用し、独自の考察を加えたものでもある。「言語の野生化」の前に立ち「気ままさ」を味わうための形式であるノートの精神に肉薄するわれわれもこの接続辞をアリギリス的なものと愛惜する。「無内容さが重量であり、とりとめのなさが根気であるという」ノートの根源を説明するのに逆説を強調する以外、方途がないと感じられてしまう。

ヴァルザー論にある「文体の謎」を理解するためにひらいたクラウス論にはこう書かれる――文体とは、通俗性におちこむことなしに言語思考の延長と拡がりを楽しむ力だ、と。

とてつもなく難解で、何度読んでも拒絶されてしまう印象の諸論考をはじめ、長大な学問的外観を呈する大著を含むベンヤミンの全著作を、アウラノート星座群として眺めつづけてきた。それらは、通俗性に決しておちこむことがないにもかかわらず、「言語思考の延長と拡がりを楽しむ力」の何たるかをめぐって「優雅から辛辣まで、あらゆる形式を見せてくれる」根源的ノートである。