幻塾庵 てんでんこ

大磯の山陰にひっそり佇むてんでんこじむしょ。 てんでんこじむしょのささやかな文学活動を、幻塾庵てんでんこが担っています。
 
2021/09/26 12:59:00|その他
9月27日 トークイベント
  吉田文憲『ふたりであるもの』       こゆるぎの浜 9/24 5:39



双子のライオン堂のイベントのお知らせ
   
         
    オンライン

   【無料配信】2021/9/27(月)19:00〜 
   室井光広著『多和田葉子ノート』『詩記列伝序説』
   刊行記念トークイベント(出演:藤田直哉×川口好美)








2021/08/05 12:32:04|事務長雑記
桃太郎くん、近影



メゾソプラノの声楽家、山口尚子さんのファミリーにあって十年余君臨している桃太郎くん。

猫心と人心をとりこにしたという噂のチュールにさほど関心を示さないので、
せ〜っかく買ったのに……というわけで、3種類をお皿に並べてみた。

ご馳走を味わうべく正しく身構えした桃太郎くんだが、チュールならざるものをご所望のようで……


 







2021/08/04 12:13:32|事務長雑記
事務長の、いま



二枚重ねの毛皮(ダブルコート)をまとう身なので、得意とはいえない夏を迎えるのも、13回目となった。

この種の寿命は10〜13年と、短めだといわれているそうだが、今のところ業務に支障はない。

下僕が半減したつまらなさはある。気はきかないがマッサージの腕はあったので、四六時中なでたりさすったりを要請していたのだ。
しかたがないので見境なく、初対面の客人にも、マッサージを許可することにした。
腕を磨いてきてもらえればありがたい。


 







2021/07/07 5:55:42|庵主録録
庵主録録 その8
こゆるぎの浜 5.18 4:54


 
《1993年》
 

痛風の疑い、じつは無いと医師にいわれ、それをキッカケにアルコールを断つ。わたしの禁欲はこのようにあべこべの動機に基づくのがよい。ささやかに開設した社交界の扉も(れいの門番が登場して)静かに閉められるだろう。好意を寄せてもらったことが確認された段階でわたしは幽閉される。
かつて文芸レースに落ちた段階で職を辞したときにもあべこべ神の指令があった。
 
初体験で大切なことは、生んだモノにみつめられる感覚である。F氏の好意でわたしの眼前にならべられた映画やコミックをわたしは主体的意志で見なかった。私はそれらに照らされた。幽霊たちが、次々と、わたしのマナコにしみ入ってきた。それらはやがて、わたしの中でなんらかの‶計画″をたてるだろう。わたしはその企画をゆるす。
 
易が科学なら、わたしも科学者であり、易が神秘そのものならわたしも神秘主義者だ。易が祈りなら、わたしは信仰者である。それが道(タオ)ならわたしは倫理学徒である。それが生活の指針ならわたしは迷信にとり憑かれた者。いずれにせよ、わたしは、とりつかれたこと(ポゼッション)を隠さぬし、それが「財産」(ポゼッション)になったことをよろこぶ。わたしは文明としての西欧を崇拝しつづけてきた。哲学にしてもオペラにしても、まだまだ何も消化吸収したといえぬ。それでも、わたしはときに、あのユングのやり方で易に回帰する。つまり、身も心も西欧文化に浸りきったうえで、東洋ふうタオに帰依するのだ。
 
啓蒙主義的な言動をつつしむ。それが唯一の倫理綱領。成熟したのだから……というウナガシで啓蒙書を刊行したりするアヤマチ。アヤマチとはみえない決定的なサクゴ!
易のような主題についてすら、長年チンセンすればすぐに啓蒙的言動をしたくなる。入門の扉を背負いつづけることの困難さ、それをさらに負って。
 
エリオットをまねてわたしもマニフェストしておこうか。政治的身分としては百ペルソナの一員。文学的にはサンボリスト。哲学的には(あるいは宗教的には)ユング派。
 
編集者F氏が、わたしの生計のゆくすえを案じて占星術をめぐる解説書を出版してはどうか、とまじめに話す。この事態を、わたしは、気に入っている。「でも、なんでも、やり方次第ですよ」ありがたくて泪が出た。
 
サンボリストとしてのしょうせつ家志願! 詩人=翻訳家としてのしょうせつ家宣言!
「おどるでく」と「そして考」はその手始めとなろう。たとえボツになっても、だ。







2021/07/01 5:44:04|庵主録録
庵主録録 その7
こゆるぎの浜 6.3 5:08


《1993年》

洞穴に入る前の冬構えを他者がやってくれるアリガタサ。おんひゃくしょうの子孫ではあるが、一種の流され王の身上。F氏が何を思ったか今度はコミック・セレクションを手づから自宅より運んできてくれた。計33冊。「以下の順で」と教育指導付きで。

@「少年王者」「ジャングル大帝」A「つげ義春集」「必殺するめ固め」「赤色エレジー」B「火の鳥」C「Pink」「しんきらり」「嘆きの天使」「花咲ける孤独」D「薔薇色の怪物」E「ナマケモノが見てた」「シンプルマインズ」F「博多っ子純情」G「らんぷの下」「裸のお百」H「桜の園」「絶対安全剃刀」

映画を畏れる体験ののちは漫然とした絵を侮らぬ体験。風俗に対する態度をカタメル基礎。そこまで降りる。酒もタバコも女(?)も絶って、流され王はマンゼンと日をつなぐ。奇篤な人の‶持ってきてくれるモノ″をありがたくいただいて。
 
このへんで本を一冊だしませんか、などと声をかけてくれる奇篤な人の声も「正しい」のだろうか。その行為は絵になるのだろうか。はっきりしているのは、たとえそれが傍道の一つであろうと、なにか他者のだした書物として呆け王がながめる種となるのなら今「正しい」といえる、ということだ。
 
ワーグナーオペラの舞台のまばゆいヒカリにあてられたニーチェは偏頭痛が激化した。今、わたしにもまったく同じ症状が進行中だ。洞穴に伏して呻吟することしばし。
 
俳句にも短歌にも現代詩にも「うた」にも負けた。批評の刃にも負けて、その切っ先で自らを傷つけた。小説にも負けなければならないが少々時間がかかる。マケロマケロマケロマケロマケロマケロカエルみたいな大合唱。
 
ヤマトマケル――わたしの現代神話の主人公の名だ。どっさりと負ける――と、どっさりと何かがある日、訪れる。それを大切に応接せよ。
 
(負けの)コミニスト宣言。
 
今時、書物を刊行することなどにそれほどの価値はない、と家人にいわれてナルホド。
罪人意識が払拭しきれないと感じていたのだが、「それほど」のねうちのあるふるまいたりえぬという事実にうたれた。これもちっぽけな転回? わたしが何をしようと、要するに時代も真の他者も、どうということはないのだ。まだ生きていたのか? といった程度の反応すらない。

 







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