緑が丘通信「新しい二宮の風」

「二宮と湘南」の自然と 「オープンな二宮町議会をめざす会」を「美しい街・緑が丘」から新しい風にのせて発信します
 
萱や葦の生い茂る山元便ボランティア
 写真は山元便の集合写真と作業の様子です。帰りに夢いちごの里(写真下)によってお買いもの支援です。
 
 次回の山元便は2月28日平塚駅20時出発、横浜天理ビル前21時30分の予定です。作業は桑の木の植樹作業です。
山元町では現在、桑の木の栽培を進め、伝統のからむし織の復活や、新たに桑茶の生産等、地域産業及び現地雇用の創設に向けて動き出しています。
現地では復興に向けての作業にまだまだ人手が足りておらず、ボランティアの力が求められています。
平塚駅NTT前20時出発で平塚に帰って来ますので平塚、大磯、二宮、中井、小田原の方の一緒に行きませんか。







被災地支援ボランティア山元町便

1月 31日夜行発〜2月1日で宮城県山元町にボランティアに行って来ました。
主催は神奈川災害ボランティアバスチームで二宮町災害VC協議会も企画協力のコラボ便です。
 
今は無人のJR坂元駅に7時に着き(写真:現地社協ボラセンに行く前に)そこから現地ボラの「語り部の会」の案内で中浜小学校を案内して貰いました。
 中浜小学校は奇跡の釜石とたたえられた釜石東中学校、鵜住居小学校と並ぶ奇跡の山元版で山元町は平地が広がっていて高台までが遠く避難しても間に合わないと学校長の判断で保護者の引き取りを拒否し屋上の物置屋根裏部屋(写真下)に避難させた。90人の子供が逃げ込んだ散乱した当時のままを見せて貰いました。この場所は遺構として残されるそうです。
 
私達が行った作業は秋に草刈した個人宅の草のかたずけ作業で枯れ草を袋詰めにしました。そこの場所には2軒、家があったそうですが草の量が多く9時〜14時30分の作時間で終わらないかと心配しましたが やっているうちに作業にも慣れ24名のチーム力で終わらせる事が出来ました。
山元町は一度は重機で整地したものの震災から3年、宅地だったところがボウボウに草が生えています。特にカヤや津波が運んだ葦が生茂って残っている家と家の間のあっちこっちの宅地が枯草で覆われていました。その一角をやって来たわけです。
 
今回は産経新聞記者も横浜からバスに乗り込み同じ作業をしながら同行取材で3月8日か9日の新聞に震災の特集記事が組まれるそうです。
山元便ボラの様子は神奈川災害ボランティアバスチームのフェスブックに詳しい記事が載っています。







2014/01/29 21:07:54|中年低山・山紀行
大山北尾根(2)

静寂の大山北尾根、地獄沢周辺はみつまたの群生地、蕾が大分膨らんでいました。







2014/01/29 21:03:16|中年低山・山紀行
静かな尾根道、大山北尾根(1)
 1月29日(水)破線ルートの大山北尾根を歩いて来ました。
年末、ヤビツ周辺はすごい雪でしたが
もう溶けてしまって道路には全然、雪がありませんでした。
出発が遅くなったので日の出を菜の花台で見てからヤビツに行きヤビツから大山山頂まで1時間10分、下山を大山北尾根を地獄沢まで2時間、
地獄沢からヤビツ峠まで車道を1時間歩きました。
 
 破線ルートで道があるか心配だったのですが所々に足跡があり迷う所もなく静かな尾根道を楽しめました。標識はほとんどありません。
地獄沢の登り口には最近、つけられたと思われる大山登り口の標識がありました。
北尾根は静かな山歩きが出来、地獄沢周辺はみつまたの群生地で蕾が大分、膨らんできていました。
 
ヤビツ峠7:10⇒大山山頂(8:20着・8:40発)⇒西沢の頭⇒ミズヒの頭⇒分岐(鉄塔の先、右が一の沢峠、標識が県道とある方が地獄沢)10:10⇒地獄沢10:40⇒ヤビツ峠11:40

写真左、下は菜の花台からの富士山、右は大山山頂からの富士山です。







2014/01/28 22:39:49|湘南と二宮の自然
今日の吾妻山、夕景
今日の吾妻山の夕景は奇麗だった。富士山も日没(16時50分)も見られた。

写真を撮って急ぎおりて横浜県サポで開催のKSVN理事会に出るため17時25分の電車に乗った。