1月 31日夜行発〜2月1日で宮城県山元町にボランティアに行って来ました。
主催は神奈川災害ボランティアバスチームで二宮町災害VC協議会も企画協力のコラボ便です。
今は無人のJR坂元駅に7時に着き(写真:現地社協ボラセンに行く前に)そこから現地ボラの「語り部の会」の案内で中浜小学校を案内して貰いました。
中浜小学校は奇跡の釜石とたたえられた釜石東中学校、鵜住居小学校と並ぶ奇跡の山元版で山元町は平地が広がっていて高台までが遠く避難しても間に合わないと学校長の判断で保護者の引き取りを拒否し屋上の物置屋根裏部屋(写真下)に避難させた。90人の子供が逃げ込んだ散乱した当時のままを見せて貰いました。この場所は遺構として残されるそうです。
私達が行った作業は秋に草刈した個人宅の草のかたずけ作業で枯れ草を袋詰めにしました。そこの場所には2軒、家があったそうですが草の量が多く9時〜14時30分の作時間で終わらないかと心配しましたが やっているうちに作業にも慣れ24名のチーム力で終わらせる事が出来ました。 山元町は一度は重機で整地したものの震災から3年、宅地だったところがボウボウに草が生えています。特にカヤや津波が運んだ葦が生茂って残っている家と家の間のあっちこっちの宅地が枯草で覆われていました。その一角をやって来たわけです。
今回は産経新聞記者も横浜からバスに乗り込み同じ作業をしながら同行取材で3月8日か9日の新聞に震災の特集記事が組まれるそうです。
山元便ボラの様子は神奈川災害ボランティアバスチームのフェスブックに詳しい記事が載っています。