街角で無料で配っていたのは、ティッシュだけじゃなくて、ぬくもりでした。
バスを待ちながら眺めていたら、そのカエルくんのやさしさやぬくもりがじわーっと伝わってきて、
この着ぐるみの中の人は、本当に素敵な人なんだろうなあって久しぶりに心がぽかぽかしたよ。小さな子供たちや笑顔を忘れた老人、疲れた大人の顔を覗き込んで、心の隙間にすっと入り込んでくる。私は「これ2個目だよ」って言ったら「いいのいいの、どうぞどうぞ」ってジェスチャーで応えてくれた。(彼はバス待ちの列にもせっせと配って歩いてました。)
あのカエルの中の人と話してみたいなあって、思いながらバスに揺られた午後でした。
《写真》あのカエルくんと記念写真撮りたいって言ったら、一緒にいた身内に「はずかしいからやめて!」と怒られました。ならば、せめて、この一枚を。
自慢ではありませんがこの私、苦手なものをたいそう山積みにして生きてきました。が、
どうせ一度きりの人生、「苦手なものほどチャレンジし甲斐があるんじゃないの?」と、数年前から、一年に一つくらいのスピードで克服を試みています。で、これが案外、面白いくらいうまくいきます。「だめでもともと」的、力の抜け具合が良いのでしょう。一生だめだろうなあと思っていた××が、今わずかながら光が見えてきました。
まだ、当面××は秘密です。逆上がりとか、跳び箱とか、25mクロールとか、そんなレベルの話ですが、(↑全て未克服事例)本人は、結構のりのりに喜んでおります。
《写真》お客様のご要望あらば、満開の梅もきります。蕾がたくさん残った枝は持ち帰って、玄関に飾りました。ここ数日3月なのに梅づくしです。
つまるところ、我々は宇宙にある地球という星の上で、生まれたり、死んだり、泣いたり、笑ったり、怒ったり、戦ったり、必死に繰り返してる、そんな生命体なんですね。
宇宙からみたらちっぽけかもしれないけれど、一生懸命、その体をじたばたさせて。
そういう、なんというか、大きなスケールに心を切り替えないと、押しつぶされそうというか、やりきれないというか、そんな一日が終わります。それでも、過ちを繰り返そうとする人たちに、どうすれば、気持ちを伝えることができるのか?静かに、声を荒らげたりせずに、向き合えないものなのか?
生きるために必要なものはお金より先に、命であること。もう原発はやめませんか?
《写真》何もないんです。日常の仕事の一こまなんです。でもこれが、日々の暮らしなんです。
雨上がりにサンダル履きで庭にでたら、なんていうか、もう言いようのない、新鮮な空気が肺一杯入ってきて、こんな空気は山の上でも珍しいんじゃないかって思うほどすがすがしくって、パックにつめたら、販売できるんじゃないかってくらいおいしくって、これ以上の清浄はないっていうこらい潔くて、
今日のこの空気を、みんなと共感したいと心からおもい、あわててこれを書いています。もしこれを見た人は、外へでて吸うべし!すうべし!スウベシ!
記憶の範囲では初体験のインフルエンザ病み上がりで、くらくらしてるけど健康のありがたみをかみ締めているクラモンでした。
毛糸の帽子を被り、足裏と背中にホカロンをしのばせ、ありったけの衣類をザックからひきずりだして身にまとえど、手の震え止まず、鼻水は制御不能に、地下足袋の底からの冷気が脳天に突き抜ける。
例年2月は、ほとんど仕事はしないのに。年寄りたちに引きずり出され、身を削る。
「こんなこと好きでなきゃ、できません!」ぶつぶつ言いながらも、せっせと現場にかよう冬のクラモンでした。
《写真》箱根・風祭の仕事の帰りに。シイタケの原木、綿帽子。