知人のタケノコ山で1時間がんばる。コンテナに山積みのタケノコが玄関を埋め尽くす。
下ゆでしたり、切ったり、しょうゆで煮たりするうちに、視覚情報だけで、私の満腹中枢が「もうだめ」信号を送ってくる。残念ながら、タケノコ下処理作業は幸福感とは程遠いところにあるようだ。口の中に繊維質の触感が充満して、パンダはつねにこの触感で満たされているんだなあと、改めて思う。我々の主食が米から笹やタケノコに代わったりしたら・・・。想像しただけで、目の周りが黒くなりそうだ。
幸福感は、ほりあげる瞬間と、知り合いに配った時の「ありがとう!」を聞いたときにMAXになる。だから、いくつかの苦行を強いられても、また来年もタケノコ山で鍬を振るう。そんな来年が、あたりまえに迎えられたら、本当にうれしい。
ドリカムの曲の中で好きな曲の1フレーズ。♪ あなたのようになれたらとあこがれる〜その想いが力をくれる私には、まったくないものを沢山持っているKさんに、♪ あなたのようになれたらとあこがれる〜その想いが力をくれるKさんがボーカルで参加するライブに、行ってきました。「全身、輝いてる」彼女から、今日は、少し、力をもらいました。
《写真》ちなみにボーカルは写っておりません。
ストレスの少ない生活が続くと、ちょっとしたストレスに打たれ弱くなって、かつて、ケンザンの岩山をわらじで歩けるくらいタフだった自分が、憧れの存在に思えてくる。
適度なストレスはあったほうが良いらしい。だけど、今のそれはかなり低級で、ださい。と、自分で思う。そんなダサいものに、自分の心がかき乱されるのがわかるから、余計、情けない。もう少し、高尚な、乗り越えたら、達成感のあるようなストレスを、自分に課してあげたいと思う、今日この頃なのです。
《写真》↑あってもなくても、日本酒はおいしい!!
「ああ、わたくしも、ずいぶんと老けてしまって・・・。」と、感じる今日この頃。「そうだ!宇都宮へ行こう!!」と、かばんに着替えを詰め込んで北へ向かいました。懐かしい駅に降り立ち、古い仲間たちと顔を付き合わせた瞬間、10〜20才分(付き合いの古さに応じて)、即座に、かつまったく躊躇なく、その上お金もかけずに若返りました。「なあんだ!簡単じゃん!」
足掛け3日、身を置く場所を日常と変えてみるだけで、こんなにも心が腕白さを取り戻せるとは思いませんでした。思い出話だけでなく、「体のどこそこが調子悪い」とかいった同世代特有の悩みをこぼすわけでもなく、みんなそれぞれ”がんばっている”オーラ交換ができたことが、ものすごくうれしかったよ。一度の人生で、オーラ交換できる人間って実は限られていて、せっかくだからその”えにし”、つなげていたいなあと思います。
「クラモン襲来警報」が発令されたであろう頃に、いきなりこのブログアクセスが増加したのは偶然でしょうか?今回、会いたくても会えなかった人が実は沢山いて。やんちゃな私に戻りたいときに、また会いに行きたいと思います。住んだこともなく、餃子もほとんど食べたことがないけど、知り合いが沢山いる、宇都宮へ。
天の声だとは思うんですよね。「あんた、たまにはアクセルもどせばっ!」って。
耕運機をかけていて、思いっきり腰をひねりました。限られた持ち時間の中であせっていたこともあったでしょう。耕運機がけの前に土方で大量の土嚢袋を運搬したから、そのときすでに限界直前まで達してたのかもしれません。先月のインフルエンザに続いて、仕事に穴を開けた罪悪感。飲み会の誘いも断り、自分の唯一の取柄すら失った絶望感。(「誘われた飲み会は、断らない!」というポリシーを貫いてきた取柄↑)
おかげさまで、普段省みないわが庭に目が向けられ、気づかずに咲き誇っていた花たちを愛で、はからずしも春を満喫できました。
神様の粋な計らいか、はたまた鎌で間違ってちょんぎってしまったミミズさんのたたりか。明日までは、おとなしく、引きこもります。
《写真》満開の桜は、撮り飽きたので。