今日、Aさんがハンドルを握る軽トラが、下り坂をバックで駆け下りてくる。立ち止まった私の横をかすめてすぎるその瞬間、「やばいっ!」と心で叫び、「Aさん、ブレーキ!ブレーキ!」口で叫んだ。両手は咄嗟に胸の前で祈りのポーズをつくり、目は見開こうか、つぶろうか判断に困って天を仰ぐ。
下り坂の終点には私の愛車が停車しており、その1m前でAさんの軽トラが間一髪止まった。事情を聞いたところ、エンジンがかからないため、バックで押しがけのようなものをしたとのこと。エンジンをかける行為とブレーキをかける行為を、同時に行うのは少し難しかったのではあるまいか。咄嗟に叫んだり、祈ったのは年配のAさんの体を案じてと言うより、愛車の大破が予想されたため。「あー、よかったあ、無事でぇ。」と胸をなでおろしたのは、無傷の愛車(トラちゃん)のシートに身を沈めた(?)とき。冷酷クラモンは、他人に厳しく、自分の愛車をこよなく愛する人間なのです。「あー、ほんとに、よかったぁ。」
《写真》特別想い入れのある花、キンモクセイ。今年は祝いの席には間に合いませんでした。この写真の誰かが切ったありえない切り口が、気になって仕方ありません。
我家周辺を担当する配送業のS男子は、いま巷で一躍有名となったそれとは、別物だ。足で走っている瞬間はこの数年間、目撃したためしはないし、私の軽トラが自宅前にあるときは、配達の時間指定は一切無視して呼鈴を押す。あまりのアバウトさにあきれているこちらには全く頓着せず、おやじ的発想の軽口はご丁寧に必ず残していく。さらにさらに、と攻め立てればきりがないが、万が一本人が特定されS本部からお叱りを受けたり、クビにでもなったらかわいそうなのでこの片で辞めておこう。つまりは、今脚光を浴びている方たちはほんの一握りなんだし、人間(不器用なおっさん)くさいS男子も広い心で受け入れよう、そう自分に言い聞かせるクラモンでした。《写真》今年はすっかり遅くなったけど味噌の天地返し。点前味噌ですが、もうだいぶプロの味です。
仕事に畑に、まとめ家事。欲張りすぎるんだろうなあ。休息や気分転換とは無縁で、ひたすら走り回る週末。明日が少しでも楽になれよと、今日を生きると、エンドレスで走り続けるループに迷い込んでいきます。
いけませんね。いけません。クラモンのいい加減さが売りなんですから。明日は野となれ山となれ。今日のために今日を生きよう!
《写真》正直なもので3年目に立派な実をつけた我家の栗。「お疲れさん!」の自分へのご褒美は、ランチの後のマロンケーキ。ん〜。生き返るぅ。
5月に生まれ7月にまだまだやんちゃだったカマちゃんが、10月、成人(?)した姿でこの日記に再々登場。
軽トラ荷台のホロであれほどくつろいだ姿を見せるのは、あのカマちゃんに間違いない。じ〜っとのぞくと、ちょっと照れたように片手をあげて「ち〜すっ。」と言った。
なぜ、ゴミでごった返している、この荷台で生息できるのか?高速走行時の風圧、くらもん暴走時の衝撃はどのようにやり過ごしているのか?視線を合わせて聞いてみるが、「いや〜、なんか居心地よくってえ、ここお。」なぜかカマっぽく、交互に手をなめなめ答えるばかり。
冗談のようで、本当の話。くらもんウソつかない。
久しぶりに茅ヶ崎で飲む。知人Aが知人Bに「くらもんの豚の角煮、おいしいんだよ」と話していた。それを聞いて私がちょっと驚いた。そうか、以前はよく、家に人を招いて振舞っていたっけ。
それを聞いて知人Bがちょっと意外な顔をしてこちらに視線をむける。「え?くらもん、料理するんかい!?」。
相当昔の手料理を覚えていてくれた知人Aに感嘆しつつ、くらもんを語る際に頻繁に使われる枕詞の「こう見えて・・」という説明を聞いているようでまったく聞いていない知人Bに「ふんっ」と鼻を鳴らす。秋風が日本酒をぐっとおいしくする。洒落た陶器のぐい飲みが、次から次へと空になる夜。
《写真》近所の畑のおじさんがコスモスをつんでわけてくれた。それだけで、一日持つくらい幸せになる。