クマ
カンチャンと言えば、「ハードワーク!」。
2007年、昨年後半に引き続き、菅野将晃氏が監督に就任。それと浅野哲也氏がヘッドコーチに就任しました。また、この年からクラブスローガンが掲げられるようになりました。2007年のスローガンは「蹴志 Best mind」でした。
この年の入団選手は、非常に多彩(?どう表現したらいいのだろう)でした。まずは、やっぱりFC東京から完全移籍のジャーンでしょう。FC東京でモニ(茂庭照幸選手)とCBを組んで数々の賞を獲得した選手でした。入団当時はまだ30歳。ワタシは「まだまだ、やってくれるにちがいない」と信じておりました。 それから、清水から期限付き移籍で入団してきた斉藤先生(斉藤俊秀選手)でしょう。前年は、怪我と年齢のためなのか公式試合への出場数が激減していました。後は山形から竜太(原竜太選手)、広島へ期限付移籍していたチュウ(中里宏司選手)の復帰(湘南では、期限付移籍から復帰することは非常に珍しかった)、出戻り選手で名良橋晃。 ちょいと遅れて(6月)助っ人外人としてエド丸(エドゥアルド・マルケス選手。登録名はエドワルド・マルケスだったかな?)、大卒新人でヤマ(山口貴弘選手)が入団してきました。変わったところでは、ドイツ3部のSVアイントラハト・トリーアから鈴木伸貴選手が加入しています。 そうそう、忘れてはいけないメンバーがいましたね。のちに「湘南乃星」となる大介(菊池大介選手)がユースから(当時はまだ16歳の高校生でした)昇格しています。大介はこの年の7月7日第26節ホームの福岡戦でJ2リーグ最年少出場記録(16歳2ヵ月25日)となりました(この試合は0−2で負けましたが…)。
この年のJ2は、J1からC大阪、京都、福岡が降格してきており(横浜FC、柏、神戸が昇格)、去年に引き続き全13チームでの4クール総当たり(クール毎に1回休み含む)で52節の長丁場でした。
湘南の2007年度リーグ戦績は、23勝8分17敗、勝点77で6位となりました。 2002年を最後に、毎年負越してきましたが、ついに勝越しに戻ることができました。前年度の11位から考えれば大躍進の年だったと思います。
あと当時、齊藤先生やジャーン、ノゾム―さん達、怪我や年齢で前所属を解雇された選手たちがバリバリにスタメンを張ることができるようになったことから、「湘南再生工場」の異名を取ったりもしました。
「暗黒の時代」から脱出できたきっかけは、やはり何といっても、ジャーンと斎藤先生の加入によるディフェンス力の向上でしょう。 最終的な失点数は55失点。前年の失点数87に比べるまでもなく、素晴らしい成績でした。(最終順位が1位だった札幌の失点数が45、続いて2位東京Vが57、3位京都が59、4位仙台が54、5位C大阪が55(7位以下は全て60以上) なんといっても失点が少なく、完封勝ちが結構多かったはずです(正味48試合中13試合を完封勝ち)。
これに対して得点は72得点。前年は61で大きく上がっているわけではありませんでした(エド丸はサッカー選手としては高評価だったのですが、ガンガン点を取るというような選手ではありませんでした)。 贅沢を言えば、もう少し得点が欲しかった。この年は、両サイドが安定せず(サイドを得意とする尾亦の調子が上がらず、新加入した名良橋晃(たぶんサイドの強化として獲得した)は結局出場1試合にとどまった)サイドからの攻撃が今一つだったと記憶しています。
この年の総得点のうち半分以上の45点を加藤望(10点)、原竜太(11点)、アジエル(12点)、石原直樹(12点)の4人が叩き出していました。
対戦成績的には全12チームと4回対戦しましたが、勝ち越せた対戦チームが、大体下位のチームばかりでした。1位の札幌には2勝1分1敗で勝ち越したのに、2,3,4,7、9位のチームに負け越していました。
後は、何より2007年のニュースとして、石原直樹の開花でしょう。先にも書きましたが、チーム得点王(アジエルと同数)となっています。
前任の栄治監督にはスーパーサブ的な起用をしていましたが、監督が菅野さんになってからFWのレギュラーとして固定されました。アジエルのスルーパスにいち早く反応するFWとして得点を重ねていきました(この年は原竜太も同様なタスクで得点を稼いでいましたね)。
そしてもう一人、田村雄三。湘南に入団してからいつもDFとして出場していた田村雄三が、2007年の第4クールの途中あたりからでしょうか、ボランチで使われるようになりました。後は、原竜太かな、この年だけだったけれど二桁得点を挙げています。
この当時の菅野監督によるチーム改造のコンセプトは、基礎体力を向上し、走れるチームを作る。前線からの守備をベースとした、攻撃的なチームを構築する。だったと記憶しています。(でも結局は、アジエル中心のチームでしたが…しかし、現在の゙監督が推し進めたチームコンセプトの基礎となったと思います。)そして、これがうまく機能しだしたのです。
最後に2007年は、NPO法人湘南ベルマーレスポーツクラブにフットサルクラブができ、この年の9月よりスタートしたFリーグへJリーグ唯一のクラブとして参戦しました。 (Fリーグは、最初のうちは、結構観戦に行っていたんですけど、あまりの成績の悪さにだんだんと足が遠のいてしまいました。なにせ、'13-'14シーズンの4位が最高で、それ以外はいつも下位!(10チーム中8位とか12チーム中10位とか…)でも最下位になったことはないですね。)
2008年は、菅野将晃監督が続投。菅野体制2年目となりました。クラブスローガン は「志闘 〜 HEART & HARD 〜」でした。
左サイドバックのレギュラーを務めていた尾亦弘友希がC大阪に移籍。 新加入選手としては、福岡よりリンコン、新潟から三田光、FC東京から阿部吉朗、山形から湘南ユース出身の臼井幸平、期限付き移籍で浦和から大山俊輔、完全で中村祐也、大卒新人として立命館から永田亮太、早稲田から島村毅が加入しました。 永田亮太は入団からコンスタントに公式戦に出場していましたが、島村毅は大学時代のポジションであったFWからDFにコンバートされ、2008年は全く公式戦に出場しておりません。
しかし、得点源のリンコンが7月に怪我のため登録抹消。8月にブラジルからトゥットを獲得。だけどトゥットは怪我がちで結局7試合しか出場していません。でも、5得点しております。(怪我なくコンスタントに出場できていれば…惜しまれます) 途中、C大阪からカレカを獲得。しかし1試合出場して1得点したところで中東マネーで引き抜かれてしましました(8月1日入団、8月19日退団。orz オイオイ)。 その後ガーナ人のナザ(当時18歳)をC契約で取りましたが、鳴かず飛ばずでした。
この年のJ2にはJFLから熊本と岐阜が上がってきて15チームとなりました。J1からは、広島、甲府、横浜FCが落ちてきました。
この年の広島は、ほんとーに強かった。31勝7分4敗の勝ち点100!でぶっちぎりのトップでした。湘南との対戦は0−2、2−5、0−2でボコられました。唯一得点できたのは18節6月6日のアウェー。76分に5点目を叩き込まれ、5−0で負けていて、その後に石原直樹と永里源気の気合の得点で、何とか2−5で試合を終了しました。 当時、対戦するたびに「レベルが違う…」って思っていました。もちろん「いつかきっと…」とも思っていましたが。
湘南は、リーグ戦は最終節まで昇格争いに絡んでいましたが(計算上は)、19勝8分15敗勝ち点65で最終順位は5位となりました。 第1クールは8勝1分5敗でまずまずの成績でしたが、第2クールが5勝5分4敗、第3クールが6勝2分6敗と、第1クールの成績を維持できず、何しろ39節アウェー広島戦、40節ホーム熊本戦、41節アウェー山形戦の3連敗が痛かったなぁ。
あと、88回天皇杯3回戦で当時北信越リーグ1部だった松本山雅FCと対戦。前半に原竜太が先制するも、すぐに柿本倫明に返され1−1のまま延長戦に突入。延長戦でも得点できずにPK戦となり4−5で敗戦となりました。 去年まで湘南の戦車…じゃなかった選手だったカッキーにやられた一戦でした。
2008年は、田村雄三が開花した年だと思います。前年にDFからボランチへコンバートされ、めきめきと伸びていきこの年開花しました。
後は、7月27日ホーム熊本戦で、菊池大介がJ2最年少ゴールを記録しました。
カンチャンは、2007年、2008年と続けてJ1昇格争いを繰り広げましたが、それぞれ6位、5位と昇格を逃し、責任を取る形で2008年限りで退任されました。
ワタシは、現在の湘南ベルマーレ(湘南スタイル)があるのは、菅野監督のおかげだと思っています。
2000年以降、連綿と続いて来た湘南の歴史の中で、連続して一つの方針「ハードワーク」を推し進め、走れる選手を育てたことに大変感謝いたしております。
菅野将晃監督、本当にありがとうございました。 |