「なぜ人はこんなにもお花見に惹かれるのか」と考えてみた。
場所取りをして、混雑を承知で集まり、時には寒さに震えながらも、私たちは毎年同じ行動を繰り返す。
合理的に考えれば、もっと空いていて快適な楽しみ方はいくらでもあるはずだ。
ここで思い出すのが、ダン・アリエリーの『予想通りに不合理』だ。
人は「社会的価値」と「市場価値」を無意識に行き来する。
お花見はまさに社会的価値の世界だ。
場所取りの労力も、混雑の不便さも、「みんなで春を感じる」という共有体験が上書きしてしまう。
だから私たちは、不便さを“コスト”としてではなく、“思い出”として受け入れてしまう。
さらに「ピーク・エンドの法則」も当てはまる。
満開の瞬間と、帰り際の余韻。
この二つが体験の評価を決めるため、多少の寒さや混雑は記憶から薄れていく。
結果、「やっぱり来てよかった」と感じ、翌年も同じ行動を選ぶのだ。
桜は数日で散る。だからこそ価値があると感じる「希少性の錯覚」も働く。
実際には毎年来る春なのに、私たちは“今しかない”と感じてしまう。
こう考えると、お花見は単なる季節行事ではなく、人間の不合理さを美しく映し出すイベントだ。
満開の桜の下で、少しだけ自分の心のクセに気づく。
そんな視点で眺めると、今年の花見はもう一段深く味わえるかもしれない
