※ リウマチと距離をおく俺がいた ※

[リウマチと距離をおく俺]は、俺の人生そのもので、リュウマチは、完治治療ない。40年も恐ろしいリュウマチに苦しめられたが、最近では体と相談しつつ、旅行など実行。ときどき、リュウマチが頭を上げてきたら、我慢のみ。その恐ろしい激痛の治まるのを待つだけ。ブログは快適な心の治療をしてくれる。
 
日本リウマチ財団設立20周年記念式典に参加して
(日本リウマチ財団設立20周年記念式典に参加して)
 リウマチ財団やリウマチ友の会は、余りよく知っていなかったのですが、財団のホームページを見ていたときに記念行事を横浜で開催する事を知ったのです。
妻と共に記念式典に自由客として参加いたしました。
厚生労働大臣のご挨拶を期待しましたが、代理人の代読で大変残念な思いをしました。
また、当日はリウマチの関係で全国で貢献された人達の「大臣感謝状」の贈呈式も併せて行ったのでした。
私達の目的は「市民公開講座」を聞きたかったのでした。
大学の先生の講座で大変判りやすく自分にとっても理解でき内容も充実し、聞いて良かったと思いました。
先生方のご努力によって、また制約会社の人たちの研究がかなり進み、今では、「治療もー生物学的治療法」なども開発され、著しい進歩が見られました。
これらによって、私達も苦しみから解放されてくるのかと思うと、感無量でした。
今日は、参加したことが自分にとっての幸せ感を感じました。







I先生は?
(I先生は?)
 I先生との出会いは、1996年だったと思います。
先輩から、Y病院のI先生はリュウマチの名医と言われるほど、世界的な先生だ、と聞いていました。
I先生にお会いしたときの印象は、中肉中背で体育会系列の先生だと思いました。
顔は黒いし、腕っ節は太くてすごい先生と思いました。
ある日、私が会社の都合でどうしても行けなくなってしまったときでした。
妻に変わって、薬の調達を頼みました。
しかし、I先生は「診察に来られない人には、薬の調合はできない。」との一言だったようでした。
このことは、医者としては当然のことであり、先生がこれを行ったことは極当たり前のことと思いました。
このことがあって、I先生をしっかりと信頼し、ついて行く決心をしました。
このこと以来、決して今までも代替え診察はすることはなくなったのでした。
過去にお会いした先生は、妻にいって貰っても何も言わず薬の調合をします。
これも過去のデータとかわらない調合でした。
あ・・・I先生に出会って心から安堵した瞬間でした。
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そして、今は?
(そして、今は?)
 2008年9月25日現在は、体調はすこぶるいいとは言い切れませんが、まあまあという感じでしょう。
理由は、昨日は内科医院ですがk先生にいわれました。「血液検査は、腎臓が弱っていますよ。」でした。
私は、頭が「がーん」です。つまりショックなのでした。
しかし、これから食事療法をしっかりやれば・・・・・・・・・・
と言うことなので、いま調べている所です。
確かに言われると、塩の摂取量がたっぷりと取っていたような気がしました。
昨日から、塩分超控えめの体制を取り始めました。
何とか、腎臓には今後しばらくは持って貰わないと、大変なことになってしまいます。
要注意です。赤信号まではいかなくても・・・・・・・・・・・
折角、リウマチ関係は回復した感じはしますが、薬によってかなり
腎臓への負担がかかっていたという感じです。
これは、いまリウマチ情報センターに問い合わせているところです。
皆様も私と同じ病気を持っていらっしゃるならば、いつも注意に勝る事は、ありません。
体を大事にかわいがってやらないと困りますので、いろいろ調べながら調整してくださいね。
もう一つは、心のケアーです。心まで病んでしまうといけません。
趣味を幅広く、出来ることだけをやって暮らしていけばいいと思っています私は。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
では、皆さんも元気で、私も元気で生きていこうと決断しています。
出来ることを、出来ることをやればいいと思っています。・・・・
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入院前には旅行(スイス編)
(入院前には旅行スイス編)
 今度の手術は、大変だ。
両股関節がいかれてしまい痛いし、歩きにくいし、辛いので早めの決断でした。
ならば、手術前には旅行をしなければで、今度はスイスへいくことにしました。
妻は、スイスは山の、散歩が多いい行程なのでやめたほうが・・・
であったが・・・・・・・・・・・・
でも「大丈夫だから行こう」と私が勝手に決意しました。
スイスは、自然がいっぱいだ、原っぱは花盛り、みどりいっぱいの農場、家々の窓際には、必ずお花が咲き乱れていました。
きれいの一言です。また、登山電車でゆっくりと3000m超の山々へゆっくりと「出発進行です。」・・・・・・・・・・・・
少し歩く事が重なってきました。その頃から、足から股関節までが震えだして、徒歩が出来にくい状況になってしまいました。
これで山歩きは断念し、登山電車も往復乗っての下山でした。
旅行人の話しでは、とてもきれいで楽しかったようでした。
私達も、これで結構楽しんでいましたよ。・・・・・・・・・・
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入院前には旅行(ハワイ編)
(入院前には旅行ハワイ編)
 リュウマチは、「痛くて、辛くて、厳しくて、苦しくて」言葉を並べるといっぱいあるが、立ち向かって健康を取り戻すためには、「努力と忍耐力」の二文字だと私は思います。
痛さも「ただ痛いのではなく、うずく痛さというか、表現が出来ません。
私は、今はこの病気を退治できたかなと思っています。
しかし、薬は毎日欠かさない努力をしています。
理由は、リュウマチは完治しないからと認識しています。
毎日が、快適に過ごす事が出来るのは、自分の周囲の人達のお陰であると感謝して生活をしています。
振り返ると、最初の両足の手術の前に、妻が
 「おとうさん、手術前だけどハワイへ行こうか?」と思いがけない言葉が投げかけられました。
私は「えー・・・・・・」しばらくして「行けるのー、行こう。」
とまとまりました。
妻とこんなびっこちんばの私とハワイへ行けるなど、夢にも考えて居ませんでした。突飛な話しだったので・・・・・・・・・・・
その後、娘まで一緒に行けることになりとってもうれしく涙がでる思いでした。
うれしー・・・・・・・・・・・