有り余る時間を楽しく過す極意を知った友人らとの交流の場。 環境にやさしい趣味の世界へどうぞ。 趣味は現役の時から持つと人生が倍に楽しめます。
 
2013/02/11 20:43:03|船の思い出
船の思い出・・・奇遇な出会い

船の思い出・・・奇遇な出会い
 
オーストラリアの何処の港かは覚えていませんが、JEBSENSの船を見つけました。しかもBORGNESと同じ造船所で建造された船です。一回り小型の21,000DWTバルクキャリア「SWIFTNES」です。
エンジンはPC(ピールスティック)16PCZ2V400です。
Sno.315 昭和47年5月25日の引渡しでした。中間軸受、船尾軸受やプロペラの設計を担当しました。
こんな異国でしかも岸壁が直ぐ隣りです。既に満載喫水まで積載し出港寸前でした。別れを惜しみながら船舶電話での交信を懐かしく思い出します。
 
シニア延長も終わり退職直前の2009年3月26日、「船の科学館」に行きました。現役当時から一度は行きたいと思っていましたが、造船業務から離れ陸上関連の仕事であったため機会を作れずにいました。
実物大の鋼製ブロックが展示された横にガラスケースに入った「SWIFTNES」を発見しました。懐かしさで胸がグッと詰まりました。
不思議な縁です。赤い糸に結ばれているとはこのような事かと暫し佇んでいたことが鮮明に思い出されます。「船の科学館」も閉鎖(縮小展示?)となり時代の流れを感じます。造船業界の再編成も行なわれています。当時の後輩たちが立派に引継ぎその航跡は決して消えてはいません。
 
写真ー1
積荷作業中の「SWIFTNES」。ほとんど満載状態です。クレーンブームが立てられ作業中であることがわかります。
 
写真ー2
タグボートに引かれ岸壁を離れる「SWIFTNES」。僚船同士が汽笛を鳴らしお互いの航海の無事を祈ります。ファンネルマークが辛うじて識別できます。
 
写真ー3
「船の科学館」、造船部分の展示箇所。「SWIFTNES」の模型が展示されています。船尾近くの一部分が切取られています。ブロックを取外した様子を示しています。写真の奥にある赤い構造物が原寸大の鋼製ブロックです。ブロック建造の実例を示す展示でした。
 
写真ー4
模型の説明書きです。
 
試運転の様子や設計段階でのエンジンメーカ(社内の別事業部)担当者とのやり取りも鮮明に思い出します。







2013/02/10 20:20:05|船の思い出
船の思い出・・エネルギ問題・・オイルショックの余波

船の思い出・・エネルギ問題・・オイルショックの余波
 
本船に戻るなり、船長に呼び出されました。
コーチャン!燃料代が高騰中。港ではステベ(港湾労働者)のストライキ。本国からは何時までにパナマを通過するんだ?との打電(モールス)到来。私も困っているんだが・・・・。
ゆっくり進むのにはシリンダーカット(減筒)運転は出来ないかな?との相談でした。発電機も3機中1機は使用禁止とするにはどうしたらよいか。とのお達しでした。
 
馬の背中で揺られている場合ではありません。
機関長が新任に替わったばかり。当方と同い年の30歳。
歓迎会中、CAPからのお呼び出しでした。
 
早速、ページを開きました。減筒運転・・・TG(過給機)が故障したときの運転方法。発電機の同期投入の方法など、マニュアル運転の仕方を眺めるうちに、酔いも醒めます。
あとで知り得たことですが、機関長の相談相手としてしコーチャンが耐えられるかを試験したんだとのこと。
部下を信用できないでどうするの!!と言いたいのだけれども我慢の一徹。
新進の機関長はそれなりの立派でした。
立場により役目を果たすことが重要。今更ながら勉強した次第です。
 
写真ー1
新任機関長の着任歓迎会。
手前の方が機関長、30歳。その向こう保証技師30歳。その向こう1st航海士と奥様。4thエンジ。
 
写真ー2
TG故障時の運転方法のメモ。
 
写真ー3
発電機同期投入方法のメモ。設計と製造と運転と保守の役割を総て出来ればこれほど強いものは無い。
 
新任機関長曰く「呉越同舟・同舟異夢」と言う言葉を知っているかい?英国も日本も同じような島国。その育ちではないか。助け合っていこう。日本の造船の原点はグリニッジにあるよね。Dr.平賀譲を知ってますとのことでした。







2013/02/09 22:38:40|船の思い出
船の思い出・・・郷に入ったら郷に従え

船の思い出・・・郷に入ったら郷に従え
 
オーストラリアでは港に着くたびに、イギリスからの移民の友人を訪ねる機会に恵まれました。
バンバリー、エスペランス、ブリスベーンと航海は続きます。
途中、どの港かは忘れましたが港湾労働者のストライキに遭い1週間ほど足止めを食いました。
乗組みは直ちに上陸の相談をし始めます。船長は早く出港し係船料をミニマムにと考えていますが、このストライキは全国一斉ですからたまりません。
 
写真ー1
牧場を訪ねました。見渡す限りの平原に馬を放牧し、農業を営んでいます。イギリス東部の田舎町から移住したとのことでした。
左端が親父さん、右端が息子さん。水は貴重で、雨水を樋により脇のタンクに集めています。
 
写真ー2
埃だらけの農道をぶっ飛ばし帰還したところです。大きなセダンで、隣りの席との距離が3mくらいある車でした。右ハンドルでしたから運転は直ぐに出来ました。フロントガラスの上の庇は自作品だそうです。修理工場は100kmほど走らないと無いそうで、ほとんどが自前での修理となるとのことでした。
 
写真ー3
別れる前に記念撮影。「また来いよ」との言葉に「イエス、アイ ウィル!」と応答したことを覚えています。
 
写真ー4
馬も別れを惜しむかのように首を垂れています。夕刻までには本船に帰還しなければならず、別れを惜しみながら帰途に着きました。







2013/02/08 20:25:37|船の思い出
船の思い出・・・積荷中は暇

船の思い出・・・積荷中は暇
 
係船中の後姿です。荷物を積んでいないため舵の上部が見えています。
オーストラリアでは入港した船に日本人が乗っていると地元の新聞かラジオで知らせがあったそうです。
早速、地元に嫁いだ日本人の奥さんから本船に招待の連絡が入りました。
後日訪問することにしました。
 
乗組みの友人が郊外に住んでいるとのことで訪問しました。素朴な方でした。馬小屋の周りにはハエが一杯飛び回り小さな頃の実家の風景を思い出します。
 
写真ー1
係船中の本船。港湾施設を使い積荷中につき特に用事はありません。
夕方になるとピザを取ったり、牡蠣の料理を食べに行ったりと暫くぶりの休日の感じでした。
ビールのジョッキをキンキンに冷やしてビールを注ぐという飲み方を知ったのがオーストラリアでした。
 
写真ー2
友人の牧場で馬乗りの練習中です。左の方が地元の友人です。
 
写真ー3
はるか向こうまで自分の牧場だと紹介してくれました。まー、とにかく広いですね。







2013/02/07 21:24:45|船の思い出
船の思い出・・・シンガポール経由オーストラリア

船の思い出・・・シンガポール経由オーストラリア
 
バンコクで荷を降ろし、シンガポールでバンカリング(燃料搭載)し、オーストラリアのパースに向います。
シンガポールを沖から眺めると、海水面にビルがズドンと建ち並んでいる光景でした。エンジン停止中の点検作業が結構忙しく、残念ながら写真は撮れませんでした。
 
シンガポールからジャワ島の東側のロンボク海峡を通過しました。バリ島を眺め快適な航海でした。
地図帳を拡げ、太平洋戦争や軍艦建造の書物で知った島の名前や都市の位置を再認識した次第です。
 
やがてオーストラリアに近づきます。早朝のこと、デッキに出るとはるか向こうに茶色の大陸が見えます。
港に近づくにつれ石垣のような防波堤が見えました。おそらく工事中の防波堤だと思いますが、今グーグルで見ると港に出っ張った立派な防波堤が出来ています。
 
パースのフリーマントルに到着です。