岸壁の母とは第二次世界大戦後、ソ連の抑留から引き上げ船で帰ってくる息子を待っている母親の総称。 ソ連からの船が着くたびに見られる光景だったそうだが、時の経過につれ、決まった顔ぶれが桟橋に立つ姿が見られるようになり、マスコミが取り上げ、映画化された。
二葉百合子がうたった「岸壁の母」のモデルは実在の人物で、待たれていた子供は養子、娘を相次いで亡くした末に家主であり資産家であった家からもらった息子であった。昭和25年から、ナホトカからの船が着くたびに舞鶴の岸壁に伏すこの帰還を信じて、6年間、立ち続けた。その間、昭和29年には死亡理由認定書が発行され、31年には戦死告知書が東京都知事より発行された。
だが、平成12年に慰霊墓参団が上海で生存している(本人名義の身分証明書を持っていた)息子を確認した。(この人物が本当に身分証明書の人物であったかは未だに疑問視されているが・・・) 岸壁の母は昭和56年享年81歳で死去。息子は母が自分の事を待ち続けていたことも、知っていたが、「死んだことになっており、今更帰れない」と帰国はしなかったそうだ。
文芸春秋に「岸壁の母」49年目の新証言が掲載された。
この歌が実話だったということは、初めて知った。 ソ連からの引き上げの様々なドラマは、私の小学校の担任が引き上げて来た軍人だったから、良く聞かされた。
いま、現実に起こっている戦争も含め、思いは複雑で重たい。 戦地に赴く者も、送り出す者も、また待つ者も、帰ることも ひとたび、戦争の中に入ってしまえば、単純な問題ではない。 |