プッチーニ(写真)のオペラ「蝶々夫人」はわかり易いストーリー展開で美しい旋律、上演時間も長すぎず、初心者にもわかり易い。 特にプッチーニは旋律そのものが美しく、オーケストレーションも効果的なので、一つの音楽として味わい、楽しめる。ストーリーとしては、特に女性の立場としては、複雑な想いが付きまとうが、作品を把握することは、私の立場では大切なことだ。
原作はジョン・ルーサー・ロングの小説「蝶々夫人」で、その芝居はロンドンで大ヒットした。それをみた、ニューヨークの戯曲家で劇場主ベラスコがこれを戯曲化した。プッチーニは渡英中にこの芝居を見て感激し、日本に行ったことはないが、オペラにすることを思い立った。作曲にあたり、イタリア公使夫人の協力を得たり、日本の民謡や音楽を取材し、その旋律をモチーフにしたりした。パリ万博で川上貞奴に会ったという説もあるそうだ。
オペラの中で蝶々夫人は15才。没落士族の娘で家計の為、長崎で芸者になっていた。ピンカートンは一時の気まぐれで結婚式をあげ、一児をもうけた。蝶々夫人は一生を賭けた恋と一途に思いを寄せた。舞台はかわり、数年後、蝶々さんは帰国したピンカートンを待ちわびる日々。そこで「ある晴れた日に」がうたわれる。
その後のストーリーではピンカートンが帰ってくることを確信している蝶々夫人が悲しい現実を知り、子供をピンカートン夫妻に渡す決断をし、自らは自害する。
音楽は何の疑いもなく信じている自分の思いを強く確信している場面を描く。それから、それが現実ではなかった事を受け入れ。最愛の子供を手放す決意、名誉に死ぬ決断をする場面へと 展開して行く。その表現の手法には本当にひき込まれる。
今回は声楽ではなく、オカリーナでその「ある晴れた日」を演奏する伴奏を弾く機会に恵まれた。歌詞なく表現する器楽でのこのアリアだ。しかも、演奏するのは男性。
プッチーニは幼少期に父親と死別しており、叔父の厚情を受けて育った。父親亡き後の母親が、プッチーニがオペラの題材に選ぶ悲劇的な女性と被るような気もするが・・・・私の想像で。根拠は無い。プッチーニにとって、マダム・バタフライは単純に題材にすぎなかったのか、自分の人生に登場する女性の影響がなるのか、ないのか・・・きょうみ深い。
私が目指す演奏としては、ピアノ演奏をプッチーニの書いたオーケストレーションに近づける事と確信を持ちながらも作品としては、不安を感じさせる要素が否めない事を巧く音色で表し、歌い手ならぬ、オカリーナ演奏者波多野杜邦さんの描く表現を100パーセントサポートできるように・・・・。したい |