チェチリア工房

ここは、工房という名の音楽室です。音楽は目に見えませんが、必ず何かを創造しています。天井が高く素晴らしい音響が自慢のスペースです。レッスンやコンサート その他、創作活動の発表にご利用ください。
 
2023/04/10 1:21:29|あれこれ
SPレコードで日本語のカヴァー曲を聴きました
本来はシャンソンやタンゴ、その他地域の民謡などだった曲を
日本語の歌詞で、
SPレコードで聴く会に参加しました
何とも言えない針を置いたときの音
藤澤嵐子のタンゴなど・・・・
ヴィクトロンというおおきな蓄音機で聴きました







2023/04/09 4:24:49|楽曲解説
スメタナとグリーグ 8 スメタナの活動
スメタナの活動

スメタナはボヘミアでの演奏旅行を行っていたが、サポートが充分に得られずプラハに戻っていた。
そこで、生徒に教えたり、室内楽の伴奏者として生計を立てていた、

24才の頃、スメタナは短期間ではあったが革命運動に傾倒していた。この頃、プラハでは政治の変化と動乱の風潮で民主化運動が起こっていて、この最中に、旧友のカレル・ハヴリーチェクに再開していた。カレル・ハヴリーチェクはハプスブルグ家の先制支配に終止符を打つことを主張していた。この中でスメタナは愛国的ながっきょくのシリーズを書いていた。
その中には
・プラハ大学の行進曲
・ヤーン・コラールの詞に曲をつけた「自由の歌」
がある

プラハがオーストリア軍の攻撃にさらされるようになるとスメタナは市民兵の一員として行動もした。しかし、ハヴリーチェクらが受けた国外追放や投獄は免れた。
作家であり、急進派であったカレル・サビナに出逢い、後に彼の提供するリブレットをスメタナは最初の2つのオペラに仕立てた。

同年、リストに手紙を書き、作曲活動の支援を依頼した。リストは金銭的な支援はしなかったが、スメタナのピアノ作品の献呈を受け、出版への足掛かりの援助をした。このことは後に始まる友人関係への原点となり、この年、12人の生徒でピアノ学校を創始した。その学校の評判は高まり、一時、チェコの民主主義を主張する者たちの間で流行した。
翌年、スメタナの音楽学校は後に結婚するカテジナの両親の家に移転し、著名な訪問者やリストの定期的な訪問を受けるようになった。フェルディナンド1世はここのマチネー・コンサートに出演したという記録がある。

スメタナとカテジナとの間には4人の娘が生まれた。

スメタナは革命に近い思想をもっていたが、フェルディナンド1世の常任宮廷ピアニストの職に就くことが出来た。

ピアノ学校で教鞭をとりながら、ますますピアノの為の楽曲の作曲に打ち込むようになり、後に「売られた花嫁」に使われる楽曲のいくつかもこの時期に作曲した。

・・・・・・スメタナはピアニストだったので、沢山のピアノ曲を作曲したようです。オーケストラ作品が有名なので、ピアノの作品を聴く機会もあまりありませんが、興味深いですね!

*画像はスメタナの肖像画





 







2023/04/08 1:27:25|楽曲解説
スメタナとグリーグ 7 スメタナの少年時代
スメタナはボヘミアの北部 リトミシュルというところで1824年に生まれた。当時、リトミシュルはオーストリア帝国領(ハプスブルグ君主国)であった。父親には前の二人の妻との間に8人の子供がいて、5人は幼少期を生き残った。両親には10人以上の子供があり、スメタナは3番目長男で兄弟の7人は成人になっている。父親は若い頃、ヴァイオリンをほんの少ししか習わなかったがおんがくの才能があり、友人たちと弦楽合奏を楽しんだりしていた。スメタナは父親からの影響を受け、幼少期化から音楽の才能を開花させ、6才で公の場で演奏をした。7才の時ボヘミア南部に移り住み、小学校に入学、後にギムナジウムに入学し、並行してピアノとヴァイオリンを習った。
父親が職業(ヴァルトシュタイン伯のビール醸造者)の第一線から退くと、ボヘミア南東地域の農場へ移ったが、適当な学校がなく、家族からはなれてギムナジウムに通うようになったが、ホームシックで勉強が手に憑かなくなってしまった。12才でカトリック修道会の学校に転校し、以降は幸せな少年期を過ごせた。この地で友人となったものの中には後にチェコの進歩派の作家となり、スメタナが大いに刺激を受けたハヴリーチェクがいる

写真はスメタナの生地 リトミシュルの城、この城内にあるビール醸造所でスメタナは育った







2023/04/06 3:10:40|あれこれ
にわか〇〇ファンでも・・・・ぜんぜんOK
WBCはたくさんのにわか野球ファンをつくった
私が野球好きなのを知っている友人たちは
メールで色々な写真を送って来てくれた

その友人たちはにわかWBCファン
にわかでも、ここはれっきとしたファン
その行動は私より数倍スゴイ
素顔の大谷
空港でキャリーケースをもっている佐々木
ヌートバーの私服すがたも写真に撮った
恐るべき行動力・・・というか
友人たちを突き動かしたWBCそのものに敬意を感じた
友人たちは、この間至上の幸福感を味わったし
夢中になる喜びをゲットしていた
ウキウキはなす彼女たちを見て私も楽しかった
なにか夢中になれるものを見つけた人は
それだけで自分と周囲の人間を幸せにするものなのだ

わたしもWBCは楽しんだ
病床の夫には薬以上の効果があった
これだけ、人々をひきつけたのには理由がある
野球の面白さに人々を誘ったのは魅力ある選手たち
そして魅力あるパフォーマンス
コンサート活動にもヒントになる

にわかファンでも
一瞬興味を強くもってくれれば
次の展開につながる
皆がにわかファンになるように・・・・
演奏者は日々の練習・調整を最優先して
勝負ではないまでも、自分の表現の後の
結果的なものに対して、
もっと真摯に取り組むべきなのだろう

・・・・これを私は今年の目標にしようと思います



 







2023/04/05 1:51:20|あれこれ
花の名前
桜や梅、五月、ミモザ 百日紅・・・・
今さらですが、私は、
木本のはなの名前をあんまり知らない・・・と気付きました。
昨日頂いた花は、
葉と蕾と花と
それぞれ、別に見たら
同じ木から生まれるものと想像つかない・・・・
絶妙な、神秘的とも言える取り合わせで
またもや、自然の創造の美しさに感激しています

花の事を知るのは
歌を歌うのに必要な知識の一つです

これを機会に覚えようと思います

実は、ハナミズキも自信もって言えないです
身近なとこからどんどん覚えたいです。

写真は昨日頂いた花です
名前・・・わかりません。教えて下さい!