藤沢嵐子(ふじさわらんこ)という凄いタンゴ歌手がいた・・・・ということを以前、アルゼンチン育ちのカチョ先生が言っていたことを思い出し、調べてみた。
本名も 藤沢嵐子 1925年生まれ 東京音楽学校入学 しかし、当時(昭和18年)情報局の達しにより オペラやクラシック音楽はNG,歌える曲は、ドイツリートと日本歌曲のみだったそうだ。
原孝太郎と東京六重奏団の専属歌手となり、二葉あき子の前歌歌手となった。しかし、生活の為に流行歌の歌手になることは自分に向いてないと決断。タンゴを演奏する、早川真平の率いるオルケスタ ティピカ東京の専属の歌手となった。後に黒柳徹子にタンゴに曳かれた理由を聞かれ、「力強く、荒々しいところ」と答えている。 藤沢嵐子は1曲をとことん勉強したあと、しばらくほっておくのだそうだ。しばらくして、発酵した頃合いにとりだしてみると、いい感じになっている・・・のだそうだ。アナリーゼにかける時間が長いほど良いというわけだ。 やがて、日本に、タンゴブームが起こり、タンゴはおおくのファンを獲得するようになり、藤沢嵐子は民放各局で自分の放送番組を持つようになった。 1953年、勉強の為渡ったアルゼンチンで、9月21日エヴァ・ペロン財団主催のエビータ追悼コンサートに急遽出演、ペロン大統領の前で歌い大喝采をあびた。アルゼンチンでは自伝のドラマが作られるほどの人気だったが、次第にアルゼンチンでのタンゴが下火になっていった。 日本では、オルケスタ数のピークで、藤沢嵐子は親しい安いメロディの新曲を数多く歌った。 タンゴは、本場では男性が、愛する女性にフラレ、絶望の中で歌う表現が一般的なのだそうだが、藤沢嵐子は繊細に心に秘めた悲しみを歌いあげる表現で、独自のタンゴの世界を開いていた。そのことが新鮮さにつながった。 南米ツアーではどこでも大人気を博したが、 その後、タンゴブームはおわり、1971年のコンサートを最後に歌手活動を休止した。
タンゴ100年の記念の年にカムバックし、サルガン、ピアソラ、ラサリ。モーレス、トリポディ・・・と共演し、周囲を圧倒する歌唱を聴かせた。
1991年、歌手活動に完全に終止符をうち、新潟県長岡市で市井の人として世性をおくり、2013年8月22日88才で永眠されたそうだ。
カチョ先生から、スペイン語の歌い方の参考として、勉強するようにと、教えてもらった。スペイン語を歌うことに関して、アルゼンチン人より、かっこよく言葉をつかっているのだそうだ。オリンピックも終わった詩、次なる鑑賞の対象として、藤沢嵐子を色々聴いてみよう・・・・命日も近いし・・・ |