ポーランド出身の画家モイズ・キスリング、 「花束」と「コンポートの中のフルーツ」
どちらもなんて事も無い?!本当はそんなこともないのだけれど、鮮やかな透明感のある色彩にまずは心を奪われ引き込まれてしまいます。
コンポートも不安定なところに留まりいつ果物が転がりおちるか分からない、また、いつ熟して腐るかわからない状態で私達見るものはその一部始終を見守るように仕組まれているかの様です。
キスリングは移ろいやすい物の中にも普遍を見出せないかと悩んでいたようで、こんな事を考えていた人がいたなんて私には考えも及ばなかったことです。
ルネッサンス時代の絵画は殆どが移ろいやすい俗愛と普遍的な聖愛の対比が多く、かろうじてジョルジオーネの「聖愛と俗愛」の真ん中で両者を混ぜるキューピットはいるけれど、
どうしても心引かれてしまう俗愛に普遍を見出す錬金術を試みたキスリングに私もその続きの夢を引き継ぎたくなってしまいそうです。
その安定を望まず不安定さのままを受け入れることが出来ればもしかしたら可能なのかも知れません。キスリングは謎が解けたのかなぁ?! |