60代 なるようになるさ!なんとかなるさ!なんとかするさ!

70代になったけど タイトルはそのままで
 
2017/11/28 14:36:00|ぶらぶら歩き
駅員さんの一言で飛び乗りました

浜松市内の 旧東海道

特に 目立ったものはなく

浜松アリーナを 過ぎて

シティーホテルも 近づいた


板屋町交差点を 左折すると 浜松駅

旧東海道は まっすぐだ

遠州鉄道の 高架橋下

今回 旧東海道歩きは ここで終了



高架橋の下を 歩いて

遠州鉄道 第一通り駅へ

ここで 珍しいものに 遭遇した


切符を買ったのだが

自動改札に 切符の口がない

しばし 悩んだが

駅員さんの 窓口へ

そしたら

切符に 鋏を入れてくれた

40年ぐらい前の システムだ

なつかしい!


ここから 遠州鉄道の終点

西鹿島駅に向かう

沿線は もっと 田舎の雰囲気だと

思っていたのだが

違ってました


終点で降りて 天竜浜名湖線に

乗り換えるつもりで

駅員さんに 尋ねた

”どうやって乗り換えればいいですか?

二俣本町(隣の駅)に 行きたいのですが”

駅員さん

”今 電車は出たばかりだよ

バスで行った方が早いよ

すぐ バスは出るよ”

駅員さん

私の背中を 押すように

駅舎の外まで 出てくる

”あのバスだよ”

左の方に バスがあった

すでに 乗り始めてる

急いで 駅舎の写真を撮る

構図なんて どうでもいい


走って行って 飛び乗った

席につくやいなや 出発した

おじいちゃん おばあちゃんばかり

地元の人たちなんでしょうね

どこに行くのだろうか このバス?


さー 困った

どこで 降りたらいいのかな?

キョロキョロしてたら

運賃表を 見つけた

それで バス停を確認することに

二俣本町の名前の バス停があった

ここにしよう

なんとかなるだろう


やがて バスは天竜川に

架かる橋に出た

おー なかなか良いね

橋を越える頃

”次は北鹿島” のアナウンス

おじいちゃんが ボタンを押して

立ち上がった

どうしよう? どうしよう?

えい ここで降りよう

わたしも 立ち上がった


降りたは いいが

ここは どこだ?

天竜川は 目の前にある

のんびりと 話しこんでる おばさんも

(続)




写真
浜松アリーナ 浜松駅
遠州鉄道第一通り駅
鋏が入った切符
西鹿島駅と駅員さん 天竜川の橋


本日の行動記
ロイヤルで水温計
ヤマダ電機でプリンターインク

































































































 







2017/11/27 13:55:00|ぶらぶら歩き
富士山が頭を出してる 東海道53次

天竜川の橋を 渡る

北の方に 雪をいただいた山が

あの形は 富士山でしょうかね

でも 一応確かめたい

前方から 国土交通省の方(?)が来た

あれって富士山ですか?

そうです

ありがとうございます


わたし的には 富士山を見た

最も西の地点になった

天竜川の橋の上

コンパスで 確認すると

北東方向だ


渡り切ると 浜松市東区

休憩所で 休む

ここで ブログを投稿

サイクリストが 5人ほど

通って行った

天気が 快晴で最高


川沿いに 歩くと

六所神社

このあたり 江戸時代は

賑わっていた場所らしい

木材などの物流 渡し場への交通

の拠点だった

中野町と 呼ばれていて

東海道中膝栗毛にも 出てる


神社の 入り口付近 

この辺りに 明治に作られた

木造の橋があった


旧東海道を進む

旧い造りの 民家

”明善記念館”


昔 天竜川の治水に尽力した

豪農の邸宅

裏手には 石造りの蔵があって

現在は デザイン学校??

(続)


本日のちょい話

我々60代は 

デキュムレーション世代と 呼ばれるそうだ

お金を引き出す世代 decumulation


”人生100年時代”

60歳代の男性の 20%が 91歳まで

女性の20%が 96歳まで 生きる時代


では この世代の人たちは

何歳まで生きることを 想定して

経済面な 対応をしているか

多くの人たちは 84歳

平均寿命に 近い


また 収入を得るために

社会とつながっているために

働き続けたい人は 70%いるが

実際は 28%程度

わたし的には 高い数値だと思いますが

(続)



写真
天竜川橋から富士山 浜松市に入る
休息所 昔の橋
六所神社 昔の木橋跡
明善記念館


本日の行動記
大掃除モードに























 







2017/11/26 14:58:00|ぶらぶら歩き
空中露天風呂を目指したが 筑波

筑波山の 帰りは

露天風呂に寄って 疲れをとる

これですね


今回は 空中露天風呂のある

筑波グランドホテルへ 行くことに

したのだが・・・

駐車場に 入ったら

ホテルの人 曰く

”平日 日帰り温泉は やってません”

落ち込んだ

NETでは そんなこと 書いてない!


それなら 帰ろうとなった

だが 途中で もう一軒の温泉へ

寄ろうと言うことに

Uターンして

筑波温泉へ

こちらの露天風呂

眺望が 良くないのだ

でも 文句を言っても仕方ない


ホテルの 受付の女性

にこやかで 良かったです

地元の雰囲気が 出てます


温泉は 単純温泉

地下 1353mまで 掘削して

湧き上がる 温泉を使用

温泉は 温泉!


風呂を出たら

太陽は 沈みかかってました



本日のちょい話

高度成長時代は 出世を

目標にしてきた 若い人たち

現在は そうではないようで

”出世しても 生存確率が上がらない”

との認識


どう言う意味なのか?

ひとつの企業で 昇進を目指すと

自分の将来が むしろ危ない

企業の先行きが 怪しくなると

自分もそのまま 危険になる

これが 生存確率低下らしい


たしかに 大企業にいても

いつ切られるか 判らない時代だよね

だから 大企業の一本足打法は

危険と言うことか?


有名大学 -> 大企業を 目指す選択は

今でも 存在しているようだが

そうでもないのだろうか



写真
筑波温泉の露天風呂


本日の行動記
なし



































 







2017/11/25 13:52:00|低山を歩く
いや〜怖かったのなんのって 筑波山

下の方から 音が聞こえてくる

筑波山ケーブルカーだ

これは 撮影チャンス

柵の間から 手を出して

カメラを 構える

おー 来た来た

シャッターを 押す


んー 何か 後ろにいる?

後ろを 振り返る

わー!! 

目の前に どでかいケーブルカー

やばい 轢かれる!

後ろに 跳び退こう・・・

振り向くが 岩の上にいる

自分を 発見

無理! 動けず

ゴー と音を出して 

降りていった ケーブルカー

九死に一生 ですね

表現力に 乏しい文章で情けない


筑波山神社まで 降りてきました

この神社の 表門

ちょっと 変わっていて

仁王像が 変だ

普通 金剛力士像とかの 仁王像だが

ここは 埴輪の装束をした像

なんで 埴輪???

一応 槍は持っているのだが

強くなさそう



本日のちょい話

先日 全ての能力は 遺伝で決まる

との記事を 紹介したが

それじゃ 凡人はどうしたら良い??

あきらめるしかないの?


学業だけは 努力で挽回できる

これは 幻想らしい

どうも 手立てはないようだ


幸い 凡庸な人は

社会で 多数派を形成する

この多数派の 人たちで

社会は 成り立っている

凡庸と 言われても

あなたは 何かをするために

生まれてきたのだ

これが 現実だと 言うが

現実???



写真
ケーブルカー(友達の写真も)
筑波神社本殿
表門 仁王像


本日の行動記
娘の送り迎え





















 





 







2017/11/24 14:15:00|ぶらぶら歩き
TVで放送してたので

昨晩 TVの歴史番組は

松平信康 を取り上げていた

それで なぜブログに書く?


その二日前に 信康のお墓に

行ってきたからです

場所は 二俣町 清龍寺(せいりゅうじ)

ちいさな お寺です

この寺の横に 神社があって

その前に 本田宗一郎ものづくり伝承館


道路から 狭い石段を 上がって

門をくぐり 右へ

本堂の前を 左手に行くと

お墓に通じる 石段がある

手前に 信康廟の看板


上がりきると 

一般のお墓が

山の斜面に 多く並んでるのが見える


右手の石段の上 木の柵

白壁で囲まれた 奥に

三つ葉葵の 赤い門

その奥に お墓がある

門の向こうは 見えませんが

家康と同じような 墓石なのか??

手を合わせます


徳川家康の長男

松平信康 21歳で 二俣城で切腹

私が知ったのは

山岡壮八の小説 ”徳川家康”


生まれは 駿府 (家康の人質時代)

母親は 今川一族の 築山御前

正室は 徳姫 (織田信長の娘)

9歳で (政略)結婚

長篠の戦で 戦功を上げていたのだが


徳姫は 築山御前と 仲が悪く

仲が良かった 信康とも 不仲に

徳姫が 父信長に送った書状に 

築山御前が 武田と内通していると

しかも 書状を持った使者が

信長に 弁明せず認めたことで

信長は 信康の切腹を求め

家康は それを命じた

(信康の”信”は 信長の”信”)


8月29日 築山御前を 護送中に殺害

9月15日 二俣城で 信康が切腹

遺骸は ここ清龍寺に葬られた

首級は 信長に送られ

若宮八幡宮に 葬られたとある


以上が 通説なのだが

これには 異論がある

そもそも 築山御前に

武田と内通する 力量がないし

信長も 築山御前に一言も触れてない

殺す 正当な理由が ない

それでも 殺害した(かった)


”安土物語” では ”家康の思い通りに・・”

信長が 言ったと書かれてる

殺せとは 言っていない

これから 考えるに

家康が 今川時代の

築山御前 長男信康を 亡きものにして

徳川家の団結を 図りたかった

これが 正しいのかも?

小説とは 異なりますが


築山御前との間に 生まれた

長女 亀姫は

新城城主 奥平信昌に嫁いで

66歳で 死去

普通に 一生を送った


清龍寺は 本田宗一郎の

遊び場所でした


写真
墓所への石段
墓所
清龍寺の門 本堂
お寺の井戸櫓 神社 伝承館


本日の行動記
なし
























































 







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