幻塾庵 てんでんこ

大磯の山陰にひっそり佇むてんでんこじむしょ。 てんでんこじむしょのささやかな文学活動を、幻塾庵てんでんこが担っています。
 
2018/08/02 11:54:40|事務長雑記
涼風


食事時間以外は、ひたすら睡眠業務に明け暮れる昨今、
散歩に出て写真を撮ったと、送ってくれた人がいるって!
 
指二本でつかまえて「記念撮影」して放したそうな。
このときに生れた句は、「てんでんこ」第10号に掲載されるらしい。







2018/05/07 14:42:31|事務長雑記
祝! 『をどり字』


『天來の獨樂』に続く、井口時男さんの第二句集


 第一に、俳句〈俳諧〉は「俗」に徹することで、「雅」という惰性化した支配美学に対する批評を敢行したのだった。滑稽や諧謔もその批評性の実践である。
 第二に、私にとってはこちらの方が重要なのだが、五七五を単立させた「もの云えぬ詩形」としての近代俳句は、作品化に際して、つねに意志的な切断を要する。この切断が批評である。俳句は、その詩形そのものにおいて、空疎な饒舌の時代に対する反時代的な批評なのだ、と思う。
 むろん、批評性の尖端には自己批評がなければならない。だが、俳句ではその自己批評が一番難しい。どれほど緻密な自己点検につとめても、詩形が短すぎて、読者への効果を測りがたいのだ。
 しかし、幸いなことに、俳句の批評は批評で終わるのではない。「創造といふものが、常に批評の尖頂に据つている」(
小林秀雄「ランボオT」)。創造は跳躍であり賭けである。本書に収めた二四四句、私の自己批評の尖頂で、いま読者に向けて跳躍する。うまく受け止めてもらえれば幸いである。
我が俳句ーーあとがきを兼ねて より 







2018/04/30 12:44:49|事務長雑記
祝! 第10号


 

限定100部、非売の詩誌「森羅」10号を拝領

なんだか、めでたい
 
「てんでんこ」第10号も、10月10日に出る……らしい

寝て、待つ







2018/03/19 12:00:00|事務長雑記
〈大波小波〉事件


2月7日、「てんでんこ」発行元の七月堂からのメールの、用件のあとに「大波小波にてんでんこのことが書かれていました」とあった。

ネットで調べてみたら、1月25日の〈大波小波〉が「てんでんこ」を取り上げていると判明。

新聞を読まない知人に、緊急事態発見装置として東京新聞はとっている、ときいていたのを思い出した庵主が問い合わせてみると、「明日古紙回収に出すところだった」と、該当コラムが届く。

〈大波小波〉といえば、東京新聞の前身、都新聞の頃から続く名物コラムで、歴代の匿名執筆者にはそうそうたる人物が名を連ねているらしい。

《小さな文芸誌「てんでんこ」》という響きがよいのだそうで、事務所の壁には、事務長の写真と並んで〈大波小波〉のコピーが貼られた。

ところで「蟇蛙氏はだれ?」という疑問がふくらんでいくのを、しばらくはガマンしていた庵主が、匿名コラムに対するマナーも顧みず、「もしや、あなたが蟇蛙さんでは?」とあちこちに当ってみたものの、すべて空振り。謎が深まっているのだそうだ。

謎は謎のままに……?







2018/02/28 14:18:17|事務長雑記
森禮子さんの近作 その2


「てんでんこらむ」の常連執筆者でもある
日本画家の森禮子さんの作品
 
猫の日(2月22日)生まれの森禮子さんのもとには、
鴉に襲われていた子猫とか排水桝に紛れ込んでしまった猫とか
さまざまな窮地に陥った猫たちが集まってくるらしい
猫族にとってはホトケのような存在です

 







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