幻塾庵 てんでんこ

大磯の山陰にひっそり佇むてんでんこじむしょ。 てんでんこじむしょのささやかな文学活動を、幻塾庵てんでんこが担っています。
 
2024/07/16 6:26:14|雑記
『漆の歴史』定本版


絶対少数〈定本版〉のための序

I don t like the book but wish it were
published and be damned to it.
―James Joice

 
 ボルヘスが編纂した世界文学選集『バベルの図書館』の22巻は彼自身の作品を収める。ボルヘスの意によるのではなく、とある「つつましい編集者」がバベルの図書館館長の特権を奪って叢書のなかにすべり込ませたものらしい。表題作「パラケルススの薔薇」を含む四つの短篇を収めたこの巻には懇切な年譜・書誌の他、1973年4月ブエノスアイレスの国会図書館において行われたインタヴュー「等身大のボルヘス」が併録されている。同インタヴューで彼は、友人たちから「詩の分野へのいわば闖入者であって、詩を書くべきではない」とたしなめられるにもかかわらず「自分の書く詩が好き」だと苦笑気味に語る。

『伝奇集』や『エル・アレフ』のような作品を創作しえた作家は短篇に関しても「このジャンルについては無能だと感じ」ると謙遜しているのだが、私がしがみつくのは「闖入者」としての詩への愛惜という一点だ。
 
 1988年自我のため息状の星雲をあつめたつもりで元初のカオス〈零〉より陰陽二元をかたどる限定二部版を作って以来、十二使徒≠かたどる限定十二部のprivately-printed booksに増殖するまで八年かかった。そして「九年の間は詩稿を筐底に蔵せよ」というホラティウスの言葉をかみしめる今、ようよう自分のイメージする定本版にたどり着いた。ボルヘスの処女刊行物が恵まれた「三十七人」という当方の目ざしていた読者数にある事情で届くことが可能になったからである。

 むろんこの歳月はただ押し流されたわけではなく、あのホイットマン『草の葉』を猿真似したような種々の改訂作業もなされた。「臨終版」まであとどれくらいの迷いの時間が私に与えられているか見当もつかないが、もはや「不出来」を気に病む必要もないだろう。

 これは一つの出土品(正確にはひとかけらのモノの集成品)と化してしまっている。今回奇蹟的な発掘の機縁を与えてくれたのはintegrityな編集・発行人……である。日本(大文字のJapan)文化が漆(小文字のjapan)の付着した縄文出土品を否定し去れないのと同様、この私の精神土壌(漢語・中国語にいう底土
()にあっても、詩人モドキの層――種類の違う詩器(短歌・俳句・現代詩)のヘテロなる積み重ね(を否むことはできないのだ。

 これはまた私の貧しい財産目録のようなものでもある。ボルヘス晩年の詩篇「財産目録」(『永遠の薔薇・鉄の貨幣』所収、鼓直訳)のはじめと終りに置かれた自問自答を引き写して、定本版刊行の心境にかえたい。
 
 梯子を寄せ掛けて昇らねばならぬが、一段が欠けている
 雑然と積み重なったもの以外に
 屋根裏で 何を捜すことができるというのか
 
 忘却のために 忘れられたもののために 私はこの記念碑を建てるのだ
 
 
某年 某月 某日
室井光広
 

『おどるでく 猫又伝奇集』(中公文庫)、さらには『エセ物語』(法政大学出版局)という奇蹟に次ぐ奇蹟に慄いていた一年ほど前に、私家版の詩歌句集『漆の歴史』を公刊したいという話をいただきました。
「やりたいと考えた以上のことができた、思い残すことはない」と言い切った本人の、思いを残す余地もなかった奇蹟をしめくくる最後の一冊です。


公刊の動きは何度かあって、その気配を察知するたびに公刊本のための序文を書き改めていたことを思い出し、筐底から探し出したのが、末尾に「某年某月某日」と記された、発行人が空白の序文でした。

この1本を加えると前書は8本になり、後書の3本と合わせて11本、前書と後書だけで冊子になると笑い合ったものなのに、さらに解題を加えるなどとは考えてもいないことでしたが、「限定十二部版」の編集人として一言あってもいいのかもしれないと思い直しました。

奥付の発行日7月29日は、林昭太さんが双子のように創られた『深夜叢書社年代記』と同日(頁数も期せずして同じ)、発行者として齋藤愼爾さんの名前の入る最後の本になるのだそうです。







2024/05/06 6:27:35|雑記
『エセ物語』書評 (金子昭)

 

本書は芥川賞作家・室井光広(1955 〜 2019)が遺した壮大な未完の実験小説である。私は幸いにも室井氏とは知遇を得ることができ、数多くの懇切なお手紙を頂いた。室井氏は惜しくも 64歳で急逝されたが、入院されている間も携帯電話(ガ ラケー)でメールのやり取りをさせて頂いた。最後に頂いたメールに私が返信した時、室井氏はもうすでに意識はなかった。そして2日後に帰らぬ人になった。このメールのやり取りは室井氏が主宰していた文学雑誌『てんでんこ』に掲載された。 

室井氏の没後4年目にして、川口好美氏はじめ文学上の友人・ 弟子たちの尽力により刊行されたのがこの遺著『エセ物語』である。物語は、バルザックの書簡からプルーストが引用した “ 誤植 ” 入りの「文章」を記したある人物の遺稿ノートを解説するところ(!)から始まる。その人物は「私」の双子の妹と結婚した外国人であるが、この「文章」もベンヤミンから取ったも のだという。いきなり最初から「これは何のこっちゃ!?」となってしまうが、読者はこれで音を上げてはならない。物語は この後、実に 750 ページも続いていくのである。しかし、これでも当初の構想の5分の3であるという。

ストーリーは有るようで無く、無いかと見えてまた現われ、 物語の中には虚実取り混ぜた文献からの博引旁証がなされる。 これはいったい小説なのかエッセイなのか。実はその両方なのである。これが『エセ(エッセイ)物語』のゆえんである(室 井氏はモンテーニュの『エセー(随想録)』にならってそう呼 んでいる)。上述のバルザックの書簡からして、19 〜 20 世紀 のフランスの文学者モンテスキューの作品からの「引用」らしい。『法の精神』を書いた哲学者モンテスキューのほうは有名だが、文学者モンテスキューはそもそも実在の人物なのか? しかもこれを書き写した人物は、「引用」の語を「陰陽」と “ 間違って ” 書いている。そもそも物語それ自体が、とてつもない『エ セ(似非)物語』なのである。

こまで書いた部分でも、まだ本書の最初の3ページほどを説明したに過ぎない。いや、これで説明になっているだろうか。 しかし、ここまでのところで気が付く人は気が付くであろう。 この物語の背後に、ジョイスやボルヘス、プルーストやキルケゴールが存在していることを。読者はこの迷宮のような作品の中を手探りで進んで行かなければならない。この手法は、室井氏の芥川賞受賞作の小説「おどるでく」(1994 年)でも取られたものでもあった。『エセ物語』は「おどるでく」の続編としても読むことができる。

この実験小説の見取り図は次の通りである。物語は三巻構成になっている(本来は五巻構成の計画で、各章が十干十二支で銘打たれ、全 60 章で完結する予定であった)。

「第一の巻」は、「室井光広」なる「私」が双子の妹の元夫だったユダヤ系の「重 ジユウ さん」による遺稿ノートを紐解きながら、自らの記憶を往来する話である。その記憶の「頭陀袋」がいつしか破れて記憶の「ずたずた袋」となり、どこまでが「重さん」でどこまでが「私」なのか、言葉のカオスの中へと読者は誘われていく。

「第二の巻」はエセ物語編纂人の三井幸という女性が「私」として登場する。彼女はかつて小説家志望の松井光晴 (通称マッツィ)と私塾を共 同経営し、一時期同棲していたことがあるが、今は鍼灸師の男性と神奈川県の某所で暮らしている。松井光晴なる人物は少し発音をずらせば室井光広である。三井幸は東北オクライリ村の マッツィ氏から届いた段ボール箱の中のノート類から、新たな「エセ物語」を 紡ぎ始める。

そして「第三の巻」では、やはりエセ物語編纂人の一人であ る八木タキが「私」として登場する。女性名だが終始「僕」と か「俺」という男性言葉で物語る(「私」で語ることもある)。 彼女は大学の獣医学部を卒業して松井ミーハー(光晴)先生の私塾に入門し、O・モロイ(おもろい!)氏なる諸井治という人物との交流を交えながら、やはり独自の「エセ物語」を語っていく・・・。

主人公が次々と入れ替わって自らの物語を語っていく書き方は、キルケゴールの『人生行路の諸段階』を連想させる。しかもこの物語の中にさらに小さな謎めいた物語(『エセ物語』の場合は和歌もどきの一覧表や歌舞伎めいたものまである)も含まれているところまでよく似ている。そして、これら三巻全体は決して話はバラバラになってはいない。「第一の巻」で登場した重 ジユウさんの遺稿らしき『東亜共通常用語三○○○語』が度々引用され、東亜(日本、中国、韓国)の三言語の統一した話し言葉の創成が目指されているようなのだ。

作者・室井光広の言語に対する愛好は相当なもので、東アジ アの言語だけでなく様々な欧米語がこの物語の中で日本語と交差しあう。しかも、日本語の中で室井氏が軸足を置くのは、自らの出身である福島の会津方言である(登場する重要な地名の多くが東北地方のもの、ただし架空の地名であるが)。室井氏 はヨーロッパの東北弁たるデンマーク語やデンマーク文学に親近感を抱いており、『キルケゴールとアンデルセン』(講談社、 2000 年)という大部の評論をも書いている。

本書を通読して思うのは、文学というものがいかに無償の営みであるかということだ。『エセ物語』は東日本大震災を跨いで書き続けられた。室井氏は震災以降、商業誌からきっぱりと袂を分かち、自ら「単独者の組合」たる「てんでんこ」なるグルー プを作り、そこを舞台に創作活動を行った。そして、壮大な実験小説である『エセ物語』もまた、クラウドファンディングによる心ある多くの人たちの支援があって、作者没後4年目にして刊行に至ったものなのである。

 
(グローカル天理 2024年4月号 図書紹介)







2024/02/23 6:17:34|雑記
『エセ物語』書評 (中村三春)

週刊読書人(2024年2月16日)に中村三春さんの書評が掲載されました


掛詞・縁語は古典和歌を生み、地口やかばん語やもじり(パスティーシュ)はナンセンス文学を生んだ。ルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』や、ジョイスの『フィネガンズ・ウェイク』、谷川俊太郎の『ことばあそびうた』、さらに国境と言語を跨いだ多和田葉子の『エピソフォニー』なども思い浮かぶ。
一方、書物に関する書物、あるいは、そのものの物語よりも、テクストの情報やそこに介在する人物の情報の列挙・類聚と注釈・言及に重点が置かれた作品がある。フローベールの『ブヴァールとペキュシェ』、ナボコフの『青白い炎』、遡ればダンテの『神曲』……。
ノースロップ・フライはこのようなスタイルに百科全書的形式と名づけた。同じものをジョージ・P・ランドウならば〈ハイパーテクスト〉と呼んだだろう。

『エセ物語』は、それらのすべてに似てそのどれでもない、空前の新奇な作品である。

とはじまり、

『エセ物語』を〈オクライリ〉にしないための努力を描く物語がオクライリにならず、クラウドファンディングの支援もあってこのように刊行されたことは、現代の文学にとってまことに僥倖であった。

と結ばれる文章を読み、「それらのすべてに似てそのどれでもない」
というフレーズがずっと響いています。







2024/01/23 12:35:00|雑記
『エセ物語』書評 (田中和生)
                            こゆるぎの浜 2024.1.22.6:50



失われた祖語を求めて

田中和生

 ついに刊行された、日本語による文学的散文の試みとして空前と言っていい、室井光広の長篇『エセ物語』をどう説明したらよいだろうか。分類上は小説となるだろうが、作中でたびたび言及されるとおり、作者が作品の規範としているのは随筆というジャンルの先駆けとなったモンテーニュ『エセー』(1580年)であり、また表題の響きは日本語の古典文学『伊勢物語』(900年前後?)を連想させる。ただはっきりしているのは、「エセ」物語が「似非」物語であるように、これは読者が作品で展開される物語に心地よく身を委ねられる類の書物ではないということである。

 比較の入口としてわかりやすいのは、世界文学史上でモダニズム文学の最も重要な作品のひとつ、アイルランドの作家ジェイムズ・ジョイスによる長篇小説『ユリシーズ』(1922年)だろう。作品はジョイス自身を連想させる作家志望の若者「スティーブン・ディーダラス」を蝶番とし、二十世紀ダブリンにおける「オデュッセウス」に擬された中年男性「レオポルド・ブルーム」を描き出しながら、ホメロスの長篇叙事詩『オデュッセイア』(紀元前8世紀頃)をなぞる三部構成になっている。一方の『エセ物語』もまた三部構成だが、少しややこしいので先に作品の概要を確認しておこう。

 まず第一部は「一の巻」と題され、作者名は作者と同姓同名の「室井光広」と表記されている。ここは通常の小説として読んでいいという含みが感じられるが、つづく第二部「二の巻」と第三部「三の巻」は、作者名が「エセ物語編纂人」と表記されている。そしてそれぞれが十二章構成となっているが、陰陽五行思想の十干「甲乙丙丁戊己庚辛壬癸」と十二支「子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥」にしたがい、各章には「甲子」「乙丑」「丙寅」とつづく干支を冠した標題がならべられている。たとえば「一の巻」の第一章は「《甲子》むちゃくちゃティーパーティー」、第二章は「《乙丑》夜明けの晩に」といった具合である。本来干支は六十あり、十二章構成の三部立てなので三十六までしかないが、「後記」にも説明があるように、作者自身の構想では十二章構成となる第四部と第五部が本文に対する注釈篇として書かれるはずだった。

 その意味で『エセ物語』は、世界文学史上の傑作のいくつかがそうであるように未完の書物だが、本文だけが完成しているという事態はむしろ作品を小説的に味わうためによかったかもしれない。なぜなら本文の企図を受けとろうとするだけでもジョイスを参照する必要があるこの作品は、註釈篇を含めたかたちで完成されたときには空前絶後そのものの書物になっていた可能性が高い。では可能なかぎり、その小説的な本文の企図を明らかにしていこう。

 第一部「一の巻」は、作者自身を思わせる作家であった「私」が、特別な身内であったという外国人「重さん」が残した厖大な遺稿を整理し、エセーとも物語ともつかない『エセ物語』として編み直していくという趣向である。特別な身内だというのは、ユダヤ系アメリカ人と台湾系中国人の血を引く元医師「重さん」は、かつて「私」の双子の妹と結婚して「太」という息子をもうけたのち離婚したが、「私」の故郷である福島県会津を思わせる「哀野」にあった「アジア共生会」という組織の活動に携わり、作家となる以前の「私」を長く支援してくれた人物だからである。しかも日本語や日本文化に強い興味を示し、同音異義語のダジャレや連想を縦横無尽にくり出しながらあらゆることについて語り、五十代で突然死して膨大な遺稿を「私」に残した「重さん」は、その死をきっかけに作家を廃業したと語る「私」以上に「室井光広」的な存在であり、ジョイスの『ユリシーズ』で言えば「レオポルド・ブルーム」に相当する。

 作品全体でジョイスへの共感が示されているのは、作家となる以前の「室井光広=松井光晴」と同棲していた第二部「二の巻」の語り手「三井幸」、また「三井幸」と同棲していた時代の「松井光晴」が教えていた塾の生徒だった第三部「三の巻」の語り手「八木タキ」が語っていく内容の多くが、会津にあると思しき架空の「重利(ダブリ)市」での出来事とされていることである。おそらく「重利市」とは、作家志望の若者「スティーブン・ディーダラス=室井光広」が住んでいた、作家の内なるダブリンだろう。

 そして過去に人類が蓄積してきた膨大な言葉の引用のみで構成される、エセーとも物語ともつかない『エセ物語』の構想を「重さん=室井光広」から引き継いだ「室井光広=エセ物語編纂人」が記録していくのは、表向きには「重さん=室井光広」がどんな人物でどんな構想を持ち、その構想を作家となる以前の「室井光広=松井光晴」がどんな風に準備したのかという「ダブり」が多い「物語」だが、その裏側で「エセー」的に試みられているのは、日本語を蝶番にして中国語と韓国語との影響関係を含んで存在する「幻の祖語」(「三の巻」第五章「《壬辰》幻」)を見出す、果敢な言語的冒険である。

 ここでも参照したくなるのは、世界文学史上で空前の試みとなっているジョイスの長篇小説『フィネガンズ・ウェイク』(1939年)だ。作品は大工「ティム・フィネガン」の死と再生を入口としているが、その展開は「ウェイク(wake)」がアイルランド祖語であるゲール語で「通夜」を意味し、また公用語である英語で「覚醒」を意味することを下敷きにしている。英語を蝶番にして可能なかぎりの言葉遊び、二重含意などを駆使してあらゆる言語を飲み込もうとしたその記述は、難解すぎることで知られるが、あるいは『エセ物語』の出現でその試みが理解されていくかもしれない。

 まだ概要しか語れていないが、第一部が2008年から東日本大震災が起きた2011年まで「三田文学」に連載されていたこの作品は、ジョイスの『ユリシーズ』的な枠組みで『フィネガンズ・ウェイク』から言語実験的な記述を引き継ぎ、マルセル・プルーストの長篇小説『失われた時を求めて』(1927年完結)のように、どこまでも失われた祖語を求めていく。それは詩と批評と物語を綯いあわせた室井光広の文学的総決算であると同時に、日本語による世界文学の試みとして小説の枠組みを越え、モンテーニュや松尾芭蕉やキルケゴールの文章とならべられる文学史での評価を必要とする、まぎれもない傑作である。

 
(「三田文学」2024冬季号)







2023/12/18 5:03:00|雑記
『不幸と共存』
 

川口好美さんの「魂的文芸批評」


1 不幸と共存
   不幸と共存――シモーヌ・ヴェイユ論
   暴力と生存――小林秀雄試論 ほか

2〈てんでんこ〉な協働へ――室井光広讃
   室井光広、まぼろしのシショチョー
   室井光広の喉仏
   「世界劇場」で正しく「不安」を学ぶ
   多和田葉子のための“愛くるしさ”あふれるノート
   ジェイムズ・ジョイスと『エセ物語』 ほか

3 対抗する批評へ
   差別への問い(T)――在日の「私」/秋山駿の〈私〉
   差別への問い(U)――中野重治試論
   文芸時評&書評

補遺
 江藤淳ノート
 

文章を読むことは魂をよむこと、魂にふれること、であってほしい。
「批評の本」に魂に響くものが感じられるのは、しばらくぶりのことです。
写真もすばらしい!

水平線からの日の出の季節になりました。

(こゆるぎの浜 2023.12.11 6:44)
 







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