≪トキメ気≫の[ i BOX] ★ [男と女の風景](短編小説)・・[都会漂流レポート]・

皆さん、これは男と女の愛の形、そのサンプル集です。果たして、それは虚像か、実像か。 人は生まれ、育ちで、パーソナリティが形成されて、その深層心理やトラウマから、様々な恋愛行動を取ります。 そんな男と女の心に潜む≪思い≫を、カミングアウト・・。
 
2017/03/30|その他
  ● 追悼・飲み友達 ●  [ 男達の風景 ]
 

                   2017年3月30日(木)

 ≪ご連絡≫

読者の皆さん、今回も新作が出来ずにすみません。
代わりに、≪追悼・飲み友達≫をアップしました。
もうすでに他界した、かつての飲み友達を思い出したのです。

引き続き新作に挑戦しますので、宜しく。

                     橘川  拝
  
               

  ー 我が家のベランダガ−デン −

    ○ もう新芽が ○
 今回は、もう春を告げる新芽たちです。
 
   ≪写真・左・・ヒナソウ≫
 これは、以前にもアップしたことがありますが、こんなにも満開になりました。
 しかも、この可憐な花は、なんと1ヶ月以上も咲き続けているのです。
 緑の小葉がジュータンのように敷き詰められて、そこに花を咲かすなんて、眼の保養になります。

   ≪写真・中・・ミズトクサ≫
 トクサの中でも、姫性で水を好む品種です。
 春が待ちきれないとばかりに、もう5センチ程に伸びています。これが、あと2ヶ月ほどで大きく密生してくると、ひとつの風景を作ってくれます。
  
   ≪写真・右・・不明≫ 
 これは、ミズトクサに敷いたコケに生えていたものが大きくなって、可憐な花を咲かせたものです。
 山取りのコケに、こんな小さな宝石が隠れていたなんて、想定外でした。
 お陰で、最近は、鉢に他から飛び込んできた雑草でも、大切にします。その新芽が、どんなに成長して化けるのか、それを見守るのが楽しみになってきました。


                         [ 男達の風景 ]

  ● 追悼・飲み友達 ●
 
 私は先日、ふと、もう他界した飲み友達を、思い出しました。
 それは懐かしい面影であり、かつては生き生きと振る舞い、生きることを満喫する笑顔でもありました。

 そこで今回は、彼等の生き様の一端を綴りながら、彼等を追悼したいと思います。
 私は、会社の社長や先輩の葬儀に、何度も行ってきました。
 その遺影の前で合掌する時は、もちろん、感謝の念とご冥福を祈ります。でも、同時に、「どんなに立派な人でも、灰になったら、それでお仕舞いだ」という思いでした。
 歴史に残る大人物でも、その功績が大であることを後世の人が評価しても、本人は実感できないのです。
 だから、せめて残された家族や友達から、≪あんな人がいたな≫と心に残って、思い出してもらえるだけが、精一杯の望みだと思ったのです。
 だからこそ、今は亡き懐かしいあの男達を、ここに記したくなったのです。

 ここに書くのは、私の半世紀にも及ぶ飲兵衛人生で、いずれも藤沢のクラブやスナックで出会ったナイスな男達です。
 飲み屋で出会った人は、初対面の場合、ママが名前を紹介することはあっても、名刺交換をしないのが普通です。だから、自分から自己紹介する人もいません。
 バーのカウンターでお酒を飲んで、偶然隣り合った男達は何人もいます。でも、酔った勢いで、話が合ったり、気持の波長が合う人は少ないのです。
 ただ、そのノリで会話をし始めて、楽しいお酒になればいいのです。

 私は、飲み屋で、様々な男性や女性を見てきました。
 外交的で、個性が強くて、変わったキャラの人もいました。また、地味で温和で、思慮深い人もいました。
 そんな中で私は、その人のパーソナリティに興味を持って、自分なりに分析して、その人を理解するように勤めてきました。そう、密かに人間観察をして、自分との違いはなにか、なぜそんな行動をするのかと・・。
 ええ、飲み屋仲間から≪他山の石≫として、多くのことを学んできたのです。
 『人生の修行は酒場にあり』と聞いたことがありますが、まさに飲み屋は個性の展示場なのです。
 だから、どこの会社の何者かを知るのは、半年とか、1年後になります。
 でもそんな情報は、飲み友達になると、余り意味がありません。なぜなら、それ以上に気心が知れ合って、仲が良くなっているからです。
 ただ、見るからに年上の先輩には、言葉にだけは気を使いました。
 でも、飲兵衛は皆、平等なのです。

 私は、ほとんど独りで飲み歩きました。
 なぜなら、会社の同僚や部下とも飲みましたが、どうしても、部長とか、課長とかの役職名で出てくるのです。また、昼間の忘れたい仕事の話や、愚痴や不満を聞くのも耐えがたいものがありました。
 お互いに利害関係がなくて、上下関係もない単なる飲み友達、その自由さがいいのです。お店に来る時間も、家に帰る時も、成り行き任せで、誰もとやかく言わないのです。
 これは、私の都合のいい持論ですが、職場から離れて自宅まで帰る時間帯は、誰にも邪魔されたくない≪オレの時間だ≫と、勝手に決め込んできたのです。
 家に午前様に着くのは、週に何度もありました。それを許してくれた女房には、感謝です。
 私は、ストレスや精神病で病院にお金を払うなら、飲み屋で使ったほうが心が豊かになると、勝手に豪語していたのです。
 私は元来、人は孤独だと思っていましたから、『オレは孤独だ』と公言したことはありません。
 でも、『オレには、酔っ払って忘れたい自分がいるんだ』って、カッコいいことを言って、独善的に酔っ払っていたのです。

  ≪1≫ お人好しの T君

 私が一人で飲むようになって、スナック≪エム≫で隣り合って、初めて仲良くなったのが彼です。
 昔≪ドリフターズ≫にいた高木ブーに似ていて、小太りの愛されキャラの男です。黒ブチのメガネの奥から、いつも優しい眼で微笑んでいました。
 時には、それが照れるように恥らうのは、お人好しの性格から来るのでしょう。 
 彼は私と同年代で、早稲田を出て、地元では名の知れた会社の総務課長だと、しばらくして聞きました。
 確か、ハワイアンもやっていたとかで、カラオケでも優しいソフトな歌い方をして、いい歌を聞かせてもらいました。

 その当時、バイトで30代半ばのA子が、お店にいました。
 彼女は、不治の病と言われる膠原病の患者で、薬の投与が過剰なのか、顔に少しむくみがありました。
 笑顔が可愛くて優しくて、小柄で人のいい女性でした。
 どういう成り行きかは覚えていませんが、私は、当時あったショー・パブに、彼女と食事に行ったことがあります。
 ところが、食事を終えて、ショーを見ている内に、なんとコックリとうたた寝をしてしまいました。
 そんな失礼があって、それ以来、個人的には付き合っていませんでした。

 ところが、T君が他界した後で知ったのですが、T君とA子は男と女として付き合っていたとのことです。
 これは推測ですが、難病で不治の病のため、A子から求めたのだと思います。
 ママからT君の死を告げられた時、ボソッとママが「Tさんは、猫の怨霊にやられたのよ」と、吐き捨てるように言ったのです。
 なにも知らなかった私は、その意味を聞きただしました。
 聞けば、A子が住む鎌倉の実家には、10匹ほどの猫がいて、猫屋敷だったそうです。
 本人も、「なぜか、家族とか親戚筋で、悲運な死を遂げる人がいるの」と、言っていたとか・・。二人で暮らしていた父親も、まだ若いのに不慮の死を遂げたとも聞きました。
 T君には、確か心臓か高血圧の持病があったのですが、A子と付き合ったために、早死にしたのだと、ママは言ったのです。
 当時、私は少しお酒が入ると、ひと眠りする癖があって、それで奇遇にも助かったのかも・・、と、思いました。
 その頃は、確か共に45才位の時だったのですが、そんな若死があるなんてと驚きました。
 それから、当時の飲み仲間の数人で、彼のお通夜に行きました。
 数日して、T君の大学生の娘が≪エム≫に来て、感慨深げにカウンターに座っていたのを思い出します。
 
 なお、A子もその頃に他界したのですが、その前後関係はもう記憶に残っていません。

  ≪2≫ 人に好かれた・O君

 この男も、実に人のいい中年でした。
 大柄でやや太っていて、笑顔が絶えない、気心の優しい男でした。
 彼は中央大を出て、仕事は塾の講師だとか、少年野球の監督だとかと、聞いたことがあります。
 これは私の推測ですが、多分、彼は血液型がO型だったのでは・・。
 一般的に、O型はプライドが高くて、ナルシストであります。自分がカッコいいと思い込んでいるのです。
 だから、他者が自分をどう観ていて、どう評価しているかが気になって、ナーバスであり神経が過敏なのです。
 O型は、一見すると陽気でおおらかに見えますが、いつも他者の目線を気にしていて、案外と神経質で気が小さいのです。
 彼は、ソフトな言い回しでしたが、いつもチョッと自慢げでした。だから、おだてや褒め言葉に弱くて、気分が舞い上がってしまうのです。
 そんなキャラだから、宴会の幹事などの中心的な役割を、頭を下げて頼むと、ひとつ返事で引き受けてくれたのです。彼は、そんなお人好しでもありました。
 彼は離婚していて、『今日は、息子と会ってきて・・』と、自慢話を何度か聞いたことがあります。
 離婚の理由は知りませんが、陽気に振舞っている割には、精神的に寂しかったんでは・・。

 彼も、スナック≪クオーレ≫の常連で、毎晩のように一緒に飲んでいました。
 その店は、カウンターが10席ほどで、出入り口に近くて丸みのあるカウンターが常連席でした。そこに行けば、必ず気心の知れた仲間がいて、楽しい酒が飲めたのです。
 もちろんママも女の子もいましたが、女性には目もくれずに、男同士の会話でいつも盛り上がっていました。

 彼との交流で、未だに頭に残っている出来事があります。
 ひとつは、いきなり自分の携帯を見せて、『女に、フラレました』と言ったのです。
 確か、≪お風呂に一緒に入りたいな≫と、メールを送ったら、やんわりと断られた。そんな内容でした。
 しかし、自分にはそんな女がいて、そんな会話をしたことが、自慢なのかな、と、私には不可解でした。
 半分は冗談で、半分が本気だったのでしょうが、そんな私的で、他人には無意味なメールを見せる感覚、それが私には理解できなかったのです。
 
 もうひとつは、ある時、私に、いきなり耳打ちしてきたのです。
「橘川さん、お金を貸してください」
「えっ、いいけど・・。いくらなの」
「ええ、出来ましたら100万」
「エッ、そんな大きな金額か。そうなら、定期預金を解約するか、株を売らないとな」
「あっ、それなら結構です」
 話はそれっきりになったが、急いで必要だったのかもと、後で判りました。
 それは、確か数年後、「O君は、自殺したんだって・・」と、噂話を聞いた時でした。
ーーエエッ、なんで、自ら命を絶ったのよ。
  生きる道は、どっかにあっただろに・・。
  だって、まだ四十路の半ばなんだろ。
「あの人、あっちこっちから、お金を借りまくっていたらしいの・・」
 それを聞いて、私はふと思い当たったのです。
ーー学校の用務員で、再就職したって、言ってただろ。
  身の丈にあった生活が、なぜ出来ないんだ。
  きっと、精神的にも追い詰められていたんだろうな。
 私は、あんなに人に好かれる男が、自分をコントロール出来なかったはずはないと、今も、悔しい思いでいっぱいです。

  ≪3≫ バイト時代からのイケメン・S君
 
 私は、この男がナイト・クラブの厨房にいた時から、知っていました。
 おそらくは、高校生か、卒業して間近かの頃でしょう。
 やや長い黒髪をテカる油で決めていて、ツルンとした面長の青白い顔に、クリッとした眼が印象的で、貴公子のようなイケメンでした。
 しかも、痩せていて背がスラッと高くて、インテリ青年、そんなイメージが今でも残っています。
 後で聞いた話では、母と二人暮しで、ずっと独身だったようです。
 その気になれば、どんな女性でも口説けたはずだと、思うのですが・・。
 単に女性に臆病だったのか、一線を越えられない何かがあったのか、それは知る由もありません。

 その後、15年程して、彼がスナックを開店したとの噂を、ある時ふと聞いて、行ってみました。
 店内は、そんなに大きくはなかったのですが、テーブル席があり、女の子が二人もいて、明るく清潔感のある雰囲気でした。
 もちろん私は、ボトルをキープして、その後も何回か行きました。
 夜の仕事から始めた人は、仕事の育ち方が違うために、もうサラリーマンの世界には入れないと、私は思っていました。
 だから、彼が夜の世界で生きていくのを見て、自分の正道を歩んでるなと、私は大歓迎でした。
 ところが、ある日、突然閉店だと聞いて、その理由を聞いて驚きました。
 なんと、彼は他界したとのことでした。まだ40才になっていなかったと、思います。
 聞けば、「お酒を飲む量が半端ではなく、胃をやられたのでは・・」とのことでした。
ーーなにが、彼を追い詰めたのか。
  ストレスはなんだったのか。
  誰か、相談相手は・・。
 私は、彼の孤独を知りませんでした。
 仕事で行き詰ったのか、マザコンを引き摺っていたのか、その私的なことまでは踏み込んでいなかったのです。
 真面目な男で、藤沢の夜の世界を知っていたはずなのに、真に残念、無念であります。

 
  ≪4≫ 貫禄の大御所・Mさん

 このMさんは、私より年上で、当時、60歳の還暦を迎えていたはずです。
 大柄で小太りな彼は、見るからに貫禄がありました。
 北大を出て、漁業の会社で、南氷洋の捕鯨船に乗ったこともあると、聞きました。
 その当時は、藤沢の南口で最大のカラオケ店の社長とかで、毎晩飲み歩いていたようです。
 今でも残る印象は、本当に嬉しくて笑うと、眉毛と眼が顔の外側にハの字に垂れてしまって、二重のハになるほどの笑顔でした。

 もうひとつ、強烈な印象に残っているのは、≪さだまさし≫の≪無縁坂≫を歌った時でした。
 この曲はめったに歌わないのですが、曲の1番を歌い終わる頃には、もう泪をボロボロにこぼすのです。
 客の皆が、震えるように、か細い声で切々と歌う大御所に異変を感じて、振り返ってジッと見ているのに、彼は堂々と泣いていたのです。
  ≪母がまだ若い頃 手を引いて この坂を登る度
   いつもついた溜息を・・ 後ろだけは見ちゃダメと笑ってた
   白い手はとても柔らかだ
   運がいいとか悪いとか・・ あなたを見ててそう思う
   忍ぶ忍ばず無縁坂 
   噛み締めるような ささやかな僕の人生≫ (中略) 
 還暦を過ぎた大の男が、泪を拭こうともせずに、慕っていた母を懐かしく思い出しながら、どっぷりと嵌ってしまったのです。
 きっと彼は、不幸だった母を、子供の頃から身近に見てきたんだろうと思います。
 母と子になにがあって、その後はどうなったのかは、さすがに聞くことが出来ませんでした。
ーーああ、こんなマザコンもあるんだ・・。
  そう、心に積もりに積もった母への思い、
  他人には理解してもらえない心の痛み、
  そう・・、人は時として本性を現すのだ。
 その時、予想もしなかった素性とのギャップに、私は本当に驚かされました。
 思うに、ファザコン、マザコンは、年齢に関係なく、人生でずっと引き摺っているものなのですね。

  (注)
 このMさんは、私の短編小説≪優しさと、哀れみと≫に登場した、あの人物です。
 なお、あそこに書いたエピソードは、ほとんどが実際に本人から聞いた話しであり、その現実を、テーマにそってパッチワークしたものです。

 実は彼、確か肝臓ガンで、その数年後に亡くなっています。
 その当時、私は彼がガンだったのを知りませんでした。しかし、ウイスキーを浴びるほどに飲んで、店の隅にあるソファーで寝込んでいたのを覚えています。
 本人はガンだと知っていて、だからこそ酒を飲むしかないと、自分で決意していたのでしょう。
 ところが、私が彼の死を聞いた時、彼の仕事振りや私生活を知る身近な何人かは、彼のことを良く言わなかったのです。
 断片的ですが、家族や愛人に対して自分勝手で、理不尽な男、そんなコメントでした。
 しかし私は、それをとやかくは言いません。
 人は皆、自分の美学で、自分流に生きているのです。
 もし彼が、理不尽であったのなら、それがその人の限界なのです。
 だから、肝臓ガンに深酒で立ち向かった彼には、忘れたい自分がいて、そうとしか出来なかった孤独があったのでしょう。

 確かに人は、楽しい酒を飲んで、気分よく盛り上がっている時は、他人にはいい顔を見せるものです。
 亭主が女房に見せる内ヅラと、他人に見せる外ヅラが、全く別物である人は、私を含めて多いのです。特に私の場合は、職場と家庭では厳しい顔で、飲んでいる時の陽気な顔とは、全く違うと自覚しています。
 親と子の葛藤や、夫婦間の不信などが、反発や抵抗、さらには闘争へと発展して、その人の本質を歪めていくのでしょう。
 人は追い詰められると、良識や良心を越えて、自分ではどうしても制御できない自分がいるのです。
 そんな表と裏がある多様な心理や行動を、スナックで現実の具体例として知ることが出来て、私は大いに社会勉強になりました。
 やっぱり、≪人生の修行は、酒場にあり≫ですよね。

 追悼はここまでですが、この人たちの他にも、飲み屋仲間で他界した人は何人かいます。
 ただ、飲んだ席で私的な会話をしないのが私の流儀で、飲み友達の素性を知らないのです。会社名や役職は、酒の席では無意味だからです。
 中途半端で、断片的な情報では書けませんので、ご容赦願います。

 ふと今、思い出したのですが、スナック≪クオーレ≫で歌う私のラスト・ソングが、24時間テレビのテーマ・ソング≪サライ≫でした。
 私はいつも、終電車の間際まで飲んでいても、時間を見計らって、この曲を歌うのです。
 これは男同士の歌ですが、初めて歌った時、若い相方の男が3番を歌い終わる頃、声を詰まらせて泪をこぼしたのです。きっと、故郷の母を思い出したのでしょう。
 それ以来、何回か歌っているうちに、いつしか常連達の大合唱になっていたのです。
 あの素晴らしい常連達よ、いつも心地のいいお酒を飲ませてもらって、最高にご満悦になれたこと、深謝、深謝です。
 その後、≪クオーレ≫は10数年で閉店したのですが、その常連達とは,もう25年経った今でもお付き合いがあります。
 飲兵衛の仲間たちよ、心から感謝しています。
 あれは、私の古き良き時代でした。

                    − おしまい −

 





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