★ ≪トキメ気≫の[iBOX] ★ [男と女の風景] (短編小説集)

これは、大人のラブストーリーです。  人は誰しも、ファザコン、マザコンによる願望があり、それを達成する行動をとります。その生まれ、育ちで、パーソナリティが形成されて、その体験が、深層心理やトラウマとなります。  そんな男と女が出逢って、その心の奥底から求め合う≪願い≫、そんな愛の物語を、フィクションで・・。
 
2017/07/20|その他
 ○ 神様の贈り物 ○  [男と女の風景・116]
 
                     2017年7月20日(木)
              
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  ー 我が家のベランダ・ガ−デン −
 
  ○ 変り葉の貴重種 ○
 

今回も、変り葉の貴重種を紹介します。
 
≪写真・左・・イワヒトデ≫
 これは、同じウラボシ科のヒトツバのように、根茎から一本づつ葉の茎を出してきます。
ただ、違う特徴が、葉が人の手にある指のように別れている点です。それで、名前がヒトデとなりました。
この鉢はまだ新芽でして、日が立つほどに葉の周囲に、白い斑が縁取るようになります。

 
   ≪写真・中・・鶏冠イワヒトデ≫
 これも、イワヒトデの変わり葉です。
ご覧のように、葉の先端がニワトリのトサカのように細く鋭く分岐しているため、鶏冠という形容詞がついています。
 
   ≪写真・右・・松坂シダ≫
 これもまだ新芽で、全体に細いのですが、やがて葉の幅が広がってきます。
 この特徴は、葉の中心の茎に白い斑が入っていて、可愛らしい点です。

 
 
                       [男と女の風景・116]
                       つづき・3
 
  ○ 神様の贈り物 ○
 
 ★ 前回のラスト ★
 
「でもさ、彼女の休暇は、5日間だけしかなくてね。直ぐにトルコからイスラエルに向かって、独りで出発したんだ」
 島村は、黙って聞いている麻耶とママを見回して、その真剣な眼差しに一瞬ためらった。
「そしてさ、それから、実は、音信不通なんだ。何度コールしても、携帯は繋がらなかった」
二人は、≪音信不通≫という言葉の重さに、女の情感を揺さぶられて、思わず込み上げる涙を浮かべていた。
「そう、彼女は消息不明のままでね。そうだね・・。待ち続けて、もう20年だよ」
――ああ、凛子さんか・・。
  島村さんの初恋物語だよ。
  しかも、アラブに咲いた戦場ジャーナリストのね。
  でも、切ない思いを20年も、抱き続けてるの・・。

  だから、独身なの・・。
  そんな一途な恋心を耐えて、忍んで、引き摺るなんてね。
  ああ、男のロマン、って、いいな。
  私、心から尊敬しちゃうよ。
 
 島村は、また水割りを一気に飲み干した。
――ああ、20年前の悪夢を、一気にお腹に流し込んでるよ。
  イヤなことを頭の記憶に残すのではなく、胃袋で消化させてるのよ。
  それも、お酒の効果かもね。
「僕はね、前回見た麻耶さんより、今日のほうが好きだな」
「エッ、どういうことですか」
「だって、素顔の君は、心から清楚で、芯があって、自分を信じてる。そう、いつも自分らしく生きてるんだ。そこが、あの凛子と同じなんだ」
「あぁ、すごい褒め言葉・・、ありがとうございます」
 
                    ― つづく ―

 ★ 今回のトップ ★
 
 麻耶は、島村に褒められて、嬉しさが込み上げてきた。
――ああ、こんな褒められ方って、初めてだよ。
  『自分を信じてる』だって・・。
  しかも『自分らしく生きてる』だって・・。
  そんなことを、意識したことはないけど、
  でも、他人からはそう見えるのかも・・。
  ああ、お母さん、あなたの最後の言葉、
  私は、守ってるみたい・・。
 麻耶は、日々をただ漫然と生きてると思っていた。
 だが、そんな惰性の中にも、無意識に自分らしく生きようとする自分を、改めて指摘されたのだ。
――アンタ、健気(ケナゲ)に生きてるよね。
  そんな麻耶がいいって、褒められたよ。
 麻耶は眼がしらが熱くなってきて、思わず涙がこぼれていた。
 
「でも島村さん、この店に来て、もう10年以上は経ちますけど、トルコで会った女性のカメラマン、その話は初めてですよ」
「ウーン、語る話ではないからね」
感慨深げにママがつぶやいたが、島村はなぜか首をかしげた。
「でもさ、なぜ、話したのかな」
「島村さん、『帰っても、誰も待ってはいないし』から、始まったんですよ」
 指先で涙をぬぐった麻耶が、口を挟んできた。
「おお、そうかも・・。でもね、僕の中では、君が言った『私って、淋しい女』、そんな告白からジーンと来てたんです」
「そうですよね、島村さん・・、心の痛みには、お互いに素顔を率直に見せ合うことですよね。それでこそ、心からの友達になれるのよ」
 それは、何十年もの間、酔っ払った客たちを見てきた飲み屋のママとして、しみじみと漏らした感慨深い一言だった。
 
 それから島村は、ママにタクシーを呼んでもらった。
 週末の金曜日とは言え、もう2時を回っては、ママも疲労の色を表情に出していた。
 麻耶は江ノ電の石上駅に近くて、島村が小田急の本鵠沼で遠いからと、島村が経由して送ることにした。
 ビルを出て、表でタクシーを待っていると、「パパ、今日は本当に有難うございました」と、麻耶が絡めた腕に力を込めた。
「そうだね。十年前に千円を貸して、その偶然の縁でお守りをもらって、今日はいいお酒だったもの・・。久々に最高の気分だよ」
「あっ、そうだ。島村さん、家に寄ってお茶でも飲みませんか」
「ああ・・、酔い覚ましにはいいかも・・」
 タクシーに乗っても、麻耶は腕を組んで肩を寄せたまま、父親に甘える娘の気分を味わっていた。
 
 マンションに着いて、島村は玄関のドアを開けて驚いた。 
 下駄箱の上の壁に、大きな額に入った絵があった。
 改めてよく見ると、どうも山深い湖畔の緑の林を描いていて、その木々の緑がそのまま逆に湖面に映っていた。
「あぁ、私、この濃淡のある湖の青と、林の緑が好きなんです」
 立ち止まって見つめている島村に、麻耶が一言、自分の好みを言った。
「うん、いいね。これは、東山魁夷でしょ」
「ええ、田舎の風景に似ていて、気持が落ち着くんです」
「これ、高そうだな」
「いえ、リトグラフですから」
 麻耶は、43万円と言おうとして、グッとこらえた。世界を知る人には、そんなことを自慢しても意味がないと思ったのだ。
 
 それから、島村は靴を脱いで、部屋に入った。
 すると、きれいに整理整頓された居間には、端正な佇まいが広がっていた。
 麻耶が「どうぞ」と示した先には、二人用のソファーが構えていて、テーブルもあった。
――独り者とはいえ、清潔感があるな。
  いつもは、ここに座ってテレビを見ているのか。
  気持の持ち方が、優雅なんだろうな。
 
「島村さん、私の最後の締めはビールなんですけど」
「ああ、僕もそうだよ。特に、グッスリと眠って、いい夢を見たい時にはね」
「では、缶ビールで行きましょう」
「そう、それがいいな。でもさ、麻耶は、本当の呑兵衛り飲み方を知ってるよな」
「これは私流なんです。ではパパ、幸せを祈って、乾杯しましょう」
 麻耶は、冷蔵庫から取り出した缶ビールを島村に渡すと、いかにも嬉しそうにソファーの隣に座った。
 そして、二人は缶を合わせると。グイグイと飲んだ。
 麻耶は、島村にもたれかかりながら、チラッと見た。二人は目が合うと、島村は照れ臭そうに口元に笑みを浮かべた。
「パパね、私、父親の温もりって、こんなにハートにジーンとくるとは思いなせんでした」
「そうか・・。そうなんだ」
――でも、嬉しさも微妙だよな。
  相手の僕が、恋人とか男ではなくて、
  そう、パパなんだもの・・。

 
「今日は、色んなことがみんな初体験でした。だって、パパと一緒、そんな夢の中にいる自分なんて、初めてです。
 麻耶は、思わず伸びあがると、隣の島村の首筋にキスをした。麻耶はお酒に酔ってはいたが、それ以上に、父と娘の雰囲気に酔っていた。
 そして島村は、そっと腕を回して抱いてやった。
――ああ、パパ、いいよ。
  この温もり・・。本当に、人生で初めてだよ。
  これでさ、淋しさが忘れられそうだよ。
  私は独りぼっちだけど、誰もが孤独かもしれないし・・。
  そう、戦場カメラマンを愛したパパも、ね。
  でも、優しさが、淋しさを癒してくれるのよ。
  こんなお酒、こんな夜も、初めてだな。
 麻耶は手にしていた缶ビールを、一気に飲み干した。冷えたビールをノド越しに感じて、その快感が頭に突き抜けてきた。
――ああ、私、まだ自分が見えないけど・・。
  でも追いかけるテーマは、私自身なのよね。
  いいよ。トコトン自分と勝負しようじゃない。
 
 ふと気が付くと、島村は背もたれに頭を乗せたまま、寝息を立てていた。
 麻耶は、実は内心で、セックスを迫られるかもしれないと、警戒していた。かつての男たちが、皆、そうだったからだ。
 しかし、この島村だったら、愛情たっぷりで、燃え上がるセックスになるかもしれないと、半ば期待をしていたのも、事実だった。
 島村はかなり酒を飲んでいたし、もう深夜を越えた時間帯でもあったから、なんとも穏やかな顔で眠りについていた。
 そして麻耶は、こんな平和な時間に、おっとりとしていられる自分に、満たされた安らぎを感じた。
――ああ、このままがいい。
  このまま、永遠の時を刻んでほしい。
  そう、幸せって、こういう心の状態を言うのかも・・。
そんなことを思いながら、麻耶も眠りについていた。
 
 玄関のチャイムが眠りの遠い向こうで鳴って、島村はぼんやりとした意識で目が覚めた。

 頭がどんよりと重たくて、おぼろげに辺りを見回してから、いつもと違う風景にハッとして飛び起きた。
 どうも宅配便が来たようで、麻耶が玄関で対応している声が聞こえた。
 腕時計を見ると、もう10時を過ぎていた。
 自分が背広を着たままなのに気づいて、どうやら、昨日の夜はソファーで寝てしまったようだと、悟った。
 それから、島村はおもむろにトイレに立った。
 洗面台に立った時、麻耶が気を利かせて「どうぞ」とタオルを差し出してくれた。
「よく眠れましたか」
「ウーン」
 島村は顔を洗いながら、なんとも曖昧な返事をした。

――日常に女性がいる場面、それって、母以来だな。
  チョッとした気配りとか、軽く言葉を交わすのとか、って、
  何気ないけど、砂漠に潤い、かもね。
 それから島村は、グラスで水道の水をかなり飲んだ。イビキをかいたのか、ノドがかすれるように渇いていた。
 ガラスに映る顔は、少しドス黒く見えたが、やっぱり頭は重いままだった。
 
 島村は、何気にガラス戸を開けると、サンダル履きが足元に見えて、ベランダに出た。
 そこには、梅雨明けした強い日差しと、生暖かい風で、むっとする厚さが充満していた。
 ふと見ると、ベランダの片隅に、素焼きの鉢やプラスチックの鉢が、スチールの棚にいくつも並んでいた。
 改めて見ると、それは花屋で売っている草花ではなくて、山の斜面や川の土手で見かける雑草だった。
 すると、「島村さん、食事が・・」と、麻耶が顔を出した。
「この鉢物は・・」
「ええ、それは、福島の故郷に帰った時、野原や山道で採ってきた雑草です」
「ほぅ・・」
――そうか。古里は忘れられないのか。
「でも、こういうコレクションは、珍しいなぁ」
「ええ、子供の頃、そんな草花と遊んでいたので、懐かしいんです。雑草にも名前があるはずですけど、判りません」
――ああ、子供の頃を忘れまいとしているのか・・。
  そう、純真で素朴だった子供心を、ね。
  この人は、自分が守るべき大切なものがなにかを、知っている。
  自覚していなくても、本能的な嗅覚が敏感なんだよ。
  母子家庭で辛酸を舐めてきただろうし、
  ホステスで男たちと渡り合ってきたのに、
  そう、自分を崩していない。それが素晴らしい。
 
 部屋に戻ると、テーブルには、目玉焼きとサンドイッチの大皿があり、コーンスープのカップとトマトジュースのグラスが並んでいた。
「おお、すごい朝食だね」
「いえ、突然だったんで、買い置きの物しかなくて・・」
「いや、申し訳なかったな。まさか眠ってしまうとは・・」
「いえ、とっても素敵な時間でした。感謝してます」
 島村は先ず、トマトジュースをグイグイと飲んで、飲み干した。
「ああ、美味しい。でも、いつもこんな朝食とは、優雅だね」
 麻耶が微笑むのを見ながら、次に野菜サンドをほうばった。
 島村は、朝から食欲が旺盛で、あまり会話もなく、出されたものを瞬く間に食べてしまった。
 
「パパ、私、ずっと一緒に暮らしたいな」
 サンドイッチを手にしたまま、麻耶が独り言のようにつぶやいた。
「ウーン、同棲するのも、結婚するのも、僕はいいよ」
「エッ、いいんですか」
 麻耶は思わぬ返事に、驚いた。
 そして、「嬉しい]と満面に笑みを浮かべていたが、ふと、真顔になると、一言、漏らした。
「アーッ、ひとつ条件が・・」
「なに・・」
 島村の顔を見ながら、麻耶は一瞬、躊躇した。
「いいから、言ってごらん」
「ええ、セックスレスで・・」
「ああ、それなら問題ないよ。この歳では、生まれてくる子供には責任が取れないしね。しかも、実はね・・」
島村はそこまで言ったが、麻耶の目を見て言い澱んでしまった。
「実は、恥ずかしいんだけど、僕はずっと童貞だから、セックスをする自信がないんだ」
 麻耶は、応えに窮して目を泳がせると、下を向いてしまった。
――ああ、私とは全く別の世界を、生きてきた人だよ。
  初恋が実らずに、追いかけ続ける人、
  殺伐とした戦場で、必死に現実を追いかけてきた人、
  そんな信念を貫く人に、私なんてダメな者は、高根の花だよ。
 それから、しばらくの間、二人の会話は途切れてしまった。
 
 麻耶は、島村が食事を終えるのを見計らって、黙ってキッチンに立つと、サイフォンで沸かしたコーヒーとカップのセットを持ってきた。
 島村も、そんな様子を黙って見ていたが、カップに注がれたブラックを一口飲むと、話し始めた。
「だから、一緒に暮らすのが、いいかどうかは、微妙だよ」
「それって、どういう意味ですか」
「僕はね、日常生活は結構ルーズでアバウトだし、面倒くさがり屋でね。こんな清潔な部屋なんて保てないよ」
「ええ、確かに生活習慣は違いますけど・・」
 麻耶は、島村が一緒に暮らしてもいいと言った一言で、喜びに沸いていた。だが、話をしているうちに、意気も消沈してきた。
「お互いに、もう長い年月、自分のスタイルで生きてきたからさ。その違いを無理に合わせようとすると、ストレスが溜まって、感情が剥き出しになるかも・・」
「そうなんですか。確かに、仕事の時間帯も違いますよね」
「そう。こうして、たまに会うから、いいんだよ・・」
――そうかもね。
  お互いに、いい所だけを見てるのが、いいのかもしれないな。
  私だって、滅入ってくると、イライラしてさ、
  結局は深酒をして、あとで後悔をするのよ。
  そんな酔っ払いの女、しかも二日酔いの女、
  そんなのは、見せたくはないし、見せられる方もイヤかも・・。
「僕はね。君を人として尊敬してるよ。でも、愛せる自信がないんだ」
――えっ、どういうこと・・。
 島村はそこまで言うと、コーヒーカップに手を伸ばした。
「でもね・・、君は、愛したい女性なんだ。だから、アシストすることがあれば、僕は全力を尽くすよ」
――あぁぁ、愛したい女性、だって・・。
  嬉し過ぎて、痺れちゃうよ。
 
「そうだ、明日、僕の家に来ない」
「エッ、パパの家に」
「そう、野蛮な男の料理を食べさせてあげるよ」
「エエッ、本当ですか」
「まぁ、お互いに生活している現場を知るのも、相手を理解するのには必要ではないかな」
「ええ、是非ともお邪魔したいです」
 麻耶は、また展望が開けてきたようで、ウキウキした気分になった。
 
 次の日の日曜日、午後二時に、島村は本鵠沼の駅で麻耶と待ち合わせると、住宅街を歩きながら自宅に案内した。
「これが、我が家です」
 指差した家は、道路に沿って黒ずんだ古い木造で、薄く茶褐色になった壁が、なんとも風情があった。
「ワァー、素敵ですね」
「これは、外観が京都の町屋造りだけど、料亭風でもあるんです。母の系統が代々、京都なものだから、この地に家を建てる時、どうしてもと、京の宮大工を呼んで作らせたんだ」
 麻耶は、京都には修学旅行で行っただけで、こんな小奇麗な和風の家を見るのは初めてだった。
――これが、古都の伝統であり、格式なのかな。
  どこか毅然とした風格を感じるよ。
 黒い瓦屋根のひさしが道路に突き出ていて、その下に間口が1間の格子戸があり、それが玄関になっていた。
 
 中に入ると土間があり、中廊下の先には、ガラス戸越に緑の明るい奥の庭が見えた。
 島村は、ソファーのセットがある応接間に通した。
 すると、開けられた引き戸からリビングが見えて、さらにキッチンに繋がっていた。

 見渡せば、古い木造のせいか、あちこちに傷があり、黒光りをしていて、ふすまや畳も黄ばんでいた。
 だが、これは京都の伝統的な町屋造りであり、そこは、まるで古民家の展示場だった。
 小道具などの余分な物は、箪笥や押し入れに収納されているのだろう。部屋はがらんとして、人の住む気配がなくて、広く感じられた。
 島村は、キッチンの流し場に向かい合ったテーブルに、麻耶を案内した。
 見れば、柱や戸板も、棚や茶箪笥も、歴史を感じるツヤを出していた。鍋や皿も、あるはずの調理器具も、どこかに仕舞われていて、姿が見えなかった。
――ああ、すごいな。
  片づけると言うより、余分な物は仕舞う。
  そんな躾け・・、風習なのかな。
  
「麻耶ちゃん、今日はマグロ尽くしで、おもてなしをするから・・」
 そう啖呵を切って、テーブルに置いた舟盛りは、マグロのカマを中央に据えて、大トロから赤身に至る刺身が満載だった。
「ワァー、すごいね。私、マグロが大好物なの・・」
 それから、島村は瓶ビールを冷蔵庫から取り出してきて、麻耶のグラスに次いでやった。

 二人は嬉しそうにグラスを合わせると、一気に飲み干した。
「ああ、美味しい。最高」
「ほら、マグロ、食べてみて」
 麻耶はまず赤身を、醤油もつけずに口にすると、素材そのものをじっくりと味わっている。
「ウーン、いいですね。このジワーッとくる旨み、たまらないです」
 それから中トロ、大トロを順次食べながら、その旨みと脂みの違いを舌先に感じていた。
 そして、三種の味にうなずきながら、ビールを飲んでいる。
「それではさ、この違いを、味わってみて・・」
 島村は、冷蔵庫からどんぶりを持ってきた。
「これは、三時間前に漬けた刺身のヅケだけど」
 島村がラップを剥がす手元を見て、麻耶は予期せぬメニューに目を輝かせた。
 そしてまた、三種のヅケを食べながら、またその違いを味わっていた。
「ヅケのタレは醤油に日本酒でね。ヅケだと赤身が美味しいでしょ」
 麻耶は、こんなに贅沢な味比べをしたことがなかったから、目を白黒させながら噛み締めている。
「それから、この舟盛りの右が脳天で、左がほほ肉、すこしづつ味や歯ごたえが違うんだ」
 島村は、味の違いを一気に判らせようとしていた。
 麻耶は、大トロの寿司を食べたことはあった。だが、これほどまでにマグロ尽くしの珍味を種々様々に連発されて、この豪華なマグロ料理に驚いていた。
「パパ、このマグロ、どうしたんですか」
「うん、今朝、早起きしてさ、三崎の朝市に買い出しに行ったんだ。実はね、マグロのメン玉を買おうと思ったけど、チョッとグロいかなと思って・・」
「アラ、私、あのコラーゲン、大好きです」
「ああ、そうだったのか」
「私は山育ちですから、海のある藤沢に住んでるし、魚も好きになりました。だから、今日のおつまみ、最高です」
 そして二人は、いつしか日本酒をぐい飲みでやっていた。
 
 しばらくして、麻耶がトイレから戻ると、廊下で島村を呼んだ。
「パパ、この庭、チョッと手入れをすると、様変わりするんですけど」
「おお、そうだよな。今は雑草や木が茂ってるけど、あの庭石とか石灯篭は値打ち物でね」
「そうですよ。いい風情を出すはずですよ」
「母が元気だった頃はね、毎日、水遣りをしていたから、コケの緑がきれいだったな」
「ああ、この空間が勿体ないですね。私、手入れをしたいくらいです」
「そうか。じゃあ、職人・麻耶に頼むかな」
 島村は冗談でそう言ったが、草花や土いじりが好きな麻耶には、残念で仕方がなかった。
 
 それから、島村はなぜか和室の障子を開けて、客間に案内した。
「ここはね、母が書道を教えていた部屋なんだ。そう、母は代々、書道家の家柄でね」
 部屋に入ると、柱も壁も、畳も、もう全体が黄ばんでいて、放っとかれたままのわびしい空間だった。
 だが、そこには厳然とした風格があり、時空を超えた神々しさが、部屋の空気を支配していた。
 そして床の間には、これまた古びた掛軸がかけられていた。
 草書体に崩された文字は読めなかったが、なよっとした筆の運び方は、女性作家に思えた。
 目を移すと、その横の違い棚に、日本の美人画が架けられていた。
「この絵は、有名な上村松園のものでね」
「えっ、あの明治時代の女流で、日本画家の・・」
 見れば、舞妓さんの晴れがましい着物姿だった。
「曾祖母が京都に住んでいた頃、この松園とは家が近くてね、小学校が一緒だった、って。彼女が、腕を上げて松園の号を得た時に、お祝いを持参したら、そのお礼としてもらったんだって」
「ほぅ、では相当に高価ですか」
「いやぁ、無名時代に書き溜めておいた未発表の作品でね。でも、我が家、代々のの宝なんだ」
 
 麻耶は、書棚の奥に飾ってある額に目が止まった。
 その色紙には、「一期一会」と大書されていた。
 そしてさらに「出会い 心ふれあい そっと感謝 ずっと感謝」と、女性の細い線で添え書きがあった。
「これは、母の作品でね」
 麻耶は、このしなやかで上品な文字に女性らしさを感じていた。

「僕が大学を卒業して、かねてから行きたかった長期遠征の海外、そう、パプアニューギニアに出発する前夜に、母がくれたんだ」
 麻耶は、耳元でそうつぶやかれて、なんとも言い難い母親の愛情を感じた。
「でもね、それから半年後に、母は他界したんだ。だから僕にとって、これは母の遺言なんだ」
 そしてよく見れば、バックの全面に、ふくよかな女性の優しい笑顔が薄墨で描かれていた。
――ハッ・・、もしかして、お母さんが、微笑んでるの・・。
  これって、平安朝の貴婦人だよ。
  なんか優しくって、ほっこりするね。
そして、さらに末尾には≪夢の花≫と雅号があり、朱肉の烙印があった。
 
「これを、君にプレゼントするよ」
「エッ、まさか・・」
「うん、これはね、常に僕の心を和ぐませてくれた指針なんだ。でもね、僕よりあと50年も生きる君に、贈りたいんだ」
「イャー・・、こんな大切な物、私には勿体ないです」
「だって、もし君が年を取って、誰か若い人に贈ってくれたら、母の意思が連綿と伝わっていくでしょ。それも、母の希望だと思うんだ」
―そう、島村さんとは≪一期一会≫なんだよね。
  
 ああ・・、この出会いって、神様からの贈り物だよ。
  
 こういう人こそ、大切にしないと・・。
「はい、島村さん、判りました。次の時代の誰かにこの色紙を渡すまで、私が預かります」
「おお・・、これで安心したよ」
「それから島村さん、私、パパにに一生ついて行こうと決めました」
「エッ、なんだって・・」
「はい、パパに嫌われないように、距離を置いて・・」
 麻耶は、感極まって声が震え、涙を浮かべていた。そんなたっての願いに、島村は真剣な顔で向き合ってきた。
「パパ、もし仮に、凜子さんが現れたら・・」
「エッ、凜子、だって・・」
「はい。私、娘としてパパの幸せを祈りながら、黙って姿を消します」
 すると麻耶は、畳に両手を着けてひれ伏すと、頭もこすりつけた。
「だからパパ、私を傍に置いて下さい。お願いします」
 
 
                       ― おしまい ―
 
 





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