「五台山」
を訪れた日本人 今から1200年ほど
前の話です。
円仁というお坊さんがおりました。
円仁は我が故郷 下つ毛の国出身者
我が生誕地の隣町 壬生町の出
当時の豪族 壬生首麻呂の子として
生まれる。
15歳のとき
唐より帰国した最澄に師事し
21歳で出家 当時の世界の先進国
唐を目指す。
一回目の渡航失敗 二回目も失敗
そうして三回目も船はコントロール
不能 渚に乗り上げずぶ濡れ上陸
上陸した場所は今の楊州市
最後の遣唐使の一人として留学するが
目指す天台山へは許可がおりず、
何度も願いをだすが許可されず。
さらに 帰国命令をうける。
やもうえず遣唐使一行と離れて
不法在唐を決意する!
しかし 中国語はできず、知人も
おらず、しかも当時の唐は仏教弾圧の
時代。そこで助けてくれたのが
新羅の僧であった。そうして
山東半島にあった新羅人在唐社会の
紹介で五台山へ向かう!
五台山を巡礼し
大興善寺の元政和尚から
灌頂を受け、金剛界大法を授けられる。
更に長安へ行き 修行の末
上陸後9年6ヶ月を経て 帰国する。
帰国後 第三代天台座主となり、
天台宗の教えを全国に広める。
慈覚大師円仁といわれる。
開いた寺は 関東に209寺
東北に 331寺
山形の立石寺や松島の瑞巌寺
浅草の浅草寺もそれらの一つである。
円仁の日記「入唐求法巡礼行記」には
唐の武宗による仏教弾圧 会昌の廃仏
の記載あり。
山東半島〜五台山 1270KM58日間
五台山〜長安 1100KM53日間
全て徒歩行脚 まさに 金剛王ですな〜
大航海
麦踏む時節
上陸す
咳(しわぶ)けば
隣の家も
咳けり
枯蓮や
ちょっとリセット
旅支度
近眼の
魚氷(うおひ)に上がる
涙して
薄日射し
晴れて天下の
春となる
曲水の宴
コップに酒を
注ぎしかな
春めくや
二人でごはん
食べようか
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