幻塾庵 てんでんこ

大磯の山陰にひっそり佇むてんでんこじむしょ。 てんでんこじむしょのささやかな文学活動を、幻塾庵てんでんこが担っています。
 
CATEGORY:オッキリのように

2020/10/05 5:20:00|オッキリのように
オッキリのように Ⅰ


奥会津作家協会から2001年に刊行された「河岸段丘」第六号に掲載された「オッキリのように あるいは縁側での対話」は、室井光広が「独り同人誌時代の精神にたち帰り、自らの発願によって書いた」エッセイである。
「てんでんこ」室井光広追悼号に角田伊一氏が寄せた文章「オッキリの人、室井光広」に言及があり、ここに全文を載せる。
「てんでんこ」室井光広追悼号では「驚愕の数珠」(長内芳子)でもこのエッセイが引用されている。



 
 
オッキリのように あるいは縁側での対話



 著作家の看板を掲げて十年余りになるが、それ以前からの短からぬ歳月にわたり、私は独り同人誌をやっていた。といっても、本誌『河岸段丘』の主宰者角田伊一氏のような労苦を体験したのではなく、またいわゆる個人誌の発行者だったわけでもない。

 要するに、発表を意図せぬ多ジャンルの文を非在の同人誌にせっせと書きつづけていただけのことである。

 モノカキを志向するモノ心がついた時、私の中には幾人かの同人がいた。創作する男すなわち〝作男”が文芸ジャンルを代表する数ほどに増え、互いに対話してやまなかったのだ。

 創作畑は大きく韻文(詩・短歌・俳句)と散文(批評・小説)に分かれた。棟割長屋状の作男部屋を詩人・歌人・俳人・批評家・小説家が棲み分け、作業を競い合う年月が少なくとも十年はつづいただろう。独奏者が集まって即興的にジャズを演奏するジャム・セッションのような競演を愉しんだのだけれど、一方でジャンル間の安易な越境を批判的に視る作男も私の中にはいた。

 膨大な詩歌句の五分の一、いや十分の一ほどを幾年もかけて精選し、私家版の韻文集『漆の歴史――The history of japan』をまとめた時点で、作男は〈うたのわかれ〉を宣言した。しかしもちろん「原詩=ウルシ」掻き仕事でしぼり集めたモノをひっさげて散文の畑へ身を投じた後も、散文VS韻文の間の溝を凝視する対話的思考はつづいた。

 散文畑での耕作においてはフィクションVSノンフィクションというもう一つの縁(エン・ヘリ・エニシ・ユカリ・ヨスガ・フチ)をめぐる対話がよりいっそう複雑多様なものとなって、現在に至っている。
 
 
 
 VSなる記号は、訴訟や競技などで「向き合った」状態を指す英語   versus の略だ。原告「対」被告、海軍「対」陸軍といった用い方からもわかるように対峙し対決するイメージが強い言葉である。語源的には、畑の畝、およびそこを耕す人が向きをかえることに由来するという。
 
 畑の畝の端と端に立って向い合う――そこから対峙するVSが生れたのかどうか確かではないけれど、そういえば韻文を指す英語は verse だ。私の勝手な語源学でも、畑と詩は強い縁の糸でむすばれている。畑の畝こそは、詩の行にそっくりではないか。
 
 この国を例にとるなら、田んぼは種々の意味で――あえて大げさな表現をすれば存在論的に散文のありように似ている。田という字は、条坊制のアミの目のように視える。隅々まで植えつけられた言葉の苗は、整合性を誇る。余白があるにはあるが、畑の畝と畝との間の溝とはたたずまいが違う。行と行間に起伏がないため、いわゆる〈行間を読む〉のが至難となる。
 
 ……と、抽象的・文学的にすぎるイメージを並べてみたが、私自身の実感に即しても、ナツカシサの点で、畑は田んぼをはるかにしのぐ。畑が縄文時代までさかのぼる圧倒的に古い起源をもつ存在だからであろう。
 
 英語のカルチャー(文化・教養)はもともと耕作もしくは栽培を意味する言葉だった。また種々のジャンルで用いられるフィールドワークの第一義は畑(野良)仕事である。「耕作する人、種をまく人のように、知恵を育て、忍耐強くよい実りを待て」と旧約聖書にはある。
 
 われわれが何げなく口にする言葉の使い方に根源的存在はあらわになる。たとえば、選挙で、ある候補者や政党への投票が大量に期待できる地域を田地に見立てる「票田」、また、米の収穫量ひいては俸禄をあらわす「石高」――こうした言葉の中に、金になりそうもない畑仕事のイメージと正反対のコクダカ(経済効率)至上主義=売れれば官軍式の考え方をみてとるのはたやすい。
 
 一方、畑という言葉の使い方はどうか。「入社以来ずっと技術畑を歩いてきた……」「営業畑が長かったので突然の異動命令に面くらった」云々。畑=フィールドが生をいとなむ固有の領域をあらわす人生論的な、つまりは原詩的言葉として今も息づいていることがわかるのである。「畑」も「畠」もじつは漢字ではなくいわゆる「国字」だという。その理由の一端がこうした使い方の中に潜んでいる気がする。






2020/10/05 5:15:00|オッキリのように
オッキリのように Ⅱ

 
 
オッキリのように あるいは縁側での対話



 畑の畝にも似たナツカシキ文、行間に原詩=ウルシをにじませた対話的思考のサンプルを紹介しておきたいと思い、作男はここに縁辺という名のペンを取った。

 私の郷里では耕すことを「うなう」という。おそらく「畝」と有縁の音であろう。うねうねとつづく畝をつくること、それが畑仕事だ。独り同人誌を〝うなって”いた男にふさわしい集いの名称――これを縁辺クラブと名づけよう。

 古い大和言葉でエンペンは主に婚姻による親族をあらわす。キリシタン版『日葡辞書』にも「エンペンヲムスブ」という用例が載っている。しかし、ここなるルンペンが代表幹事(?)をつとめるエンペンクラブは狭い意味での地縁・血縁を超脱した――うねうねとつづく魂の畝をむすぶネットワークを夢見る。このペンクラブは、必要とあらば大いなる死者に記念講演を依頼したりもする。故人と根源的縁故関係を結ぶことをよろこぶのである。

 さてこのほど、複数の同人から成る作男の独断と偏見により、奥会津縁辺クラブ賞なるものを出すことになった。非在の同人たちの合同審査の結果であるから、当然ながら賞金も賞状も式もない。受賞者は二人いる。一人は本誌主宰の角田伊一氏、もう一人は故遠藤太禅老師。本稿はその受賞理由にもなるはずである。

 私は、奥会津地方には入れてもらえないことも多い南会津の下郷町出身だが、長いこと文字通り奥の深い〝ディープ会津”に魂のワラジを脱ぎたいものだと願っていた。魂のワラジは魂の縁側でしか脱げない。通り一遍の観光旅行や講演旅行でこのエニシサイドを見出すのは至難のワザだ。

私が角田伊一氏を知ったのは『君はギフチョウの園を見たか――蝶に魅せられた或る男の人生』(第五十回福島県文学賞受賞『県文学集』45=50周年記念特集号及び『河岸段丘』第三号所収)というノンフィクション作品によってである。おこがましくも審査員の一人として読み、たちまち角田氏の繰りだす文の捕虫網にとり込まれた虫と化したのだった。

 私は今でもこの作品から受けた感動と衝撃を忘れていない。農林高校卒業後、会津の山野を白いリンゴの花で埋めたいという夢を抱いた氏は、当時青森県にあった東北農業試験場園芸部に入って果樹病理昆虫学を修めた。帰郷後、1.5ヘクタールのリンゴ園を開設し、同時にチョウ類の採集や飼育に熱中する……とは氏自身によるプロフィールの一節だが、この「同時に」というところに、感動を誘う「悩み」のVS畑が潜み隠れていた。

 商品としてのリンゴに傷をつける害虫を駆除すべく、氏はリンゴ園の一角に〝研究室”を設置する。後年、野火に類焼して姿を消すまで、このフィールドが氏の「安住の地」「蝶類研究のメッカ」となるのであるが、当初は「同時に」の悩み――「食うか食われるか」というイノチの瀬戸際を実感させられる究極のVS畑に立った者にしか訪れない葛藤に呪縛される。

 VS畑の縁=ナワバリで、真の対話をうながされた決定的瞬間を描写したくだりを端折って引いておこう。
 
 或る朝、いつものように剪定鋸などの道具類を取りに、番小屋に足を踏み込んだ私は一瞬息を呑み棒立ちになった。窓辺から差し込む早春のやわらかな陽光の中を敏捷に飛び回っているシジミチョウの大集団を目にしたからである。見れば奥の日当りの好い研究室の窓辺にも忙しく飛び跳ねている同じ蝶の姿があった。
 ……私の手にしている蝶はギフチョウと同じく、早春一度だけ姿を現すコツバメという名の可憐で美しいシジミチョウであった。……
 コツバメは同じバラ科のノイバラよりリンゴの方がよっぽど美味しかったに相違なく、突如奥会津の山中に咲き出したリンゴの花に全員集合したため、私の果樹園が大きな被害を蒙ってしまったのであろう。
 何のことはない、被害の元凶は蝶ではなく、彼女たちの食文化を破綻せしめたこの私自身だったのである!
 かの奇妙な幼虫の身元が判明した今は、東北農試で学んだ知識と技術をもってすれば防御は可能であり、幼虫を壊滅させることも困難ではなかった。
 しかし、それはこの可憐な蝶を滅ぼす行為でもあり、食うか食われるか、そんな非情な闘いをしてまで果樹園経営を続ける必要があるだろうか?
 私は、この時ふと、疑義を覚えたのである。

 かくして氏は転位する。それは単なる中絶や転向ではない。ほとんど宗教的な回心に近いものだった。〈立つ瀬ありやなしや〉の対話的思考をつきつめたあげく、ぎりぎりの縁で、氏は「害虫の命を尊厳した結果」果樹園経営を放棄し、蝶と大の仲良しになってしまう。まさしく蝶にしかできないメタモルフォーゼ(変態)をとげたのだ。害虫が取りも直さず美の女神の使いに変身するとは!

 ファーブルをもちだすまでもなく、われわれ人間が昆虫に学ぶべきことは多い。昆虫は霊長類などよりもはるかに優れた生存バランス感覚の持ち主なのだと第一線の生物学者もいっている。

「たかが虫けら、されど虫けら」と題したエッセイ(奥会津書房『自然からの伝言』所収)の中で、角田氏は書く。「昆虫は『地球の耕耘機』であり、地力維持の根源なのである。……地球の緑化を維持しているのは、実は虫であることを再認識していただきたい」と。

 氏の提唱する昆虫民俗学に私は多大の興味を抱くが、それは学術論文の形ではうまく表現できない性質のモノのようだ。事実、氏はそれを小説の中にとかし込もうと努力してきたのである。

 私が氏と縁辺をむすぶに至った最大の理由は、フィクションとノンフィクションの境界(氏の言葉をかりれば「学術、文学の結界」)を見きわめる作業の中に対話的思考のための〝研究室”を設置するモノカキ同士=同志をみてとったことによる。

 氏の昆虫民俗学はアカデミズムとは一線を画すVSフィールドで生れた。果樹病理昆虫学と苛烈に対峙する磁場において誕生した。たとえ論文の形で大成されずとも、私にはそれだけで十分に衝撃的なのである。
 


 






2020/10/05 5:10:00|オッキリのように
オッキリのように Ⅲ


オッキリのように あるいは縁側での対話


 モノカキ同士=同志として、私は虫愛づる男――角田氏と出遭った。出遭いの場は、縁(エン・ヘリ・エニシ・ユカリ・ヨスガ・フチ)なるところというしかない。特殊な縁側での対話は生きいきとつづけられてきたが、すでにのべたように、時には〝縁の下の力持ち”すなわち死者の声に耳を澄ましながらおこなう必要がある。〈生〉にもまして〈死〉こそは、微妙な絆で私たちをしばしば捉える(ボードレール『悪の華』)。

 縁の下の畑では死者が耕作をつづけている。その微妙なうなり声にわれわれは鼓舞される。三島町の古刹西隆寺の故住職遠藤太禅のカキモノこそは、〝縁の下の力”の何たるかを如実に告げ知らせてくれる存在だ。

 私は故意にモノカキとかカキモノとか表記したが、これらの言葉にいうモノとはいったい何か。特異な縁の下=下の畑から湧き出る声を鋭敏にキャッチする真のモノカキが見据えるモノは単なる物=タダモノではありえない。

 原日本言のモノが、言葉(例――モノが言えない……)や、道理・筋道・理由(モノのよくわかる人……)の他に、威力・効力(コネがモノをいう……)、そしてさらに人間の精神生活を支配する、人間以上の不可思議な存在(モノに取り憑かれる……)を指すことは、小さな国語辞典にものっている。

 歌人馬場あき子の著作『鬼の研究』(ちくま文庫)には適切な定義が記されている。「はっきりとは目にも手にも触れ得ない底深い存在感としての力であり、きわめて感覚的に感受されている実体である。畏るべきものであり、慎むべき不安でもあった根元の力を〈もの〉とよんでいるのである」。深層心理に眠る原始的な不安や畏怖感にみちびき出された幻影をめぐって、歌人は鬼の探求をおこなったのであるが、このモノはかつてモノノケともよばれた存在と通じる。

 私の定義では、モノカキのモノもまた同種の存在なのだ。モノカキとはすなわち原詩(ウルシ)カキ、根元を描く者のことである。仏教の世界での成仏をモノカキにあっては成物と表記してかまわぬと私は考えている。成物とは(ホン)モノに成る、もしくは(ホン)モノにすることを指す。

 単なる物であると同時に言葉や精霊でもあるような根元のモノを見据えるモノカキは昆虫のそれにも似た特殊な複眼をもたねばならない。

 ある西欧の文人は「私は信ずる……私の魂を。大事な物のように」と書いた。稀有の詩人学者折口信夫は、よるべない魂を〈もの〉であるとした。VSの畑で角田氏が出遭いを果した虫の変幻=蝶は、よるべない魂を封じ込めた「根元の力」の象徴なのではなかったろうか。

 角田氏が注視する虫を、私はやはりムシと表記してみる。私のコトダマ学にあって、ムシはモノと同様の変幻の言葉だ。といっても、これまた難しい語源学の話ではなく、ごく普通の国語辞典にある程度のムシ談義にすぎない。

 角田氏と対話する縁側で、私は遠藤太禅なる故人のカキモノに出遭った。当然、生前の老師を知らないわけだが、にもかかわらず、私はいわばムシ(無私)の世界でこの生活詩人の人柄をしのぶことができた。その理由を問われれば、ただ〝合縁奇縁”もしくは〝ムシが好いた”からと答える他ないだろう。

 ムシが知らせる、とは何かがおこりそうな予感をあらわす言葉として今も多くの人が用いる。この場合のムシはずばり潜在意識のことで、深層心理に眠るモノと縁戚関係にあると私は考えている。

 ある考えや感情を起すモトになるもの――この場合の用例は「ふさぎのムシ」。また、あることに熱中する人を指すムシ――「本のムシ」など――も身近だ。古くから人々は、心の中に考えや感情をひきおこすムシがいると考えていたらしい。ふさぎや熱中の人(ムシ)とモノに取り憑かれた者とを縁戚関係にあるとみなしたユエンである。

 ルンペンモノカキの中にうごめくモノやムシが、縁側での対話を活性化させる。

 たとえば、私は縄文のムシ――いいかえれば縄文というモノに取り憑かれた人間である。先だって、ある家の本物の縁側で坂口安吾の小品「土の中からの話」を読んだ。そこにはモノやムシをうごめかせる対話的思考が見出された。

「農民というものはやっぱり我々同様、作者なのではあるが、我々の原稿用紙に当るのがつまりあの人々では土に当るわけで、然し原稿用紙自体は思索することも推敲することもないのに比べると、土自体には発育の力も具わっているので、我々の原稿用紙に更に頭脳や心臓の一かけらを交えた程度にこれは親密度の深いものであるらしい。その上に年々の歴史まであり、否、自分の年々の歴史のみではなく、父母の、その又父母の、遠い祖先の歴史まで同じ土にこもっているのであるから、土と農民というものは原稿用紙と私との関係などよりはるかに深刻なものに相違ない。尤も、我々の原稿用紙もいったんこれに小説が書き綴られたときには、これは又農民の土にもまさるいのちが籠るのであるが、我々の小説は一応無限であり、又明日の又来年の小説が有りうるのに比べて土はもっとかけがえのない意味があり、軽妙なところがなくて鈍重な重量がこもっている」。

 私もまた安吾のいう「我々」すなわちモノカキの一人だが、農民いや百姓の家に生れ育った自分が「鈍重な重量がこもっている」縄文土器にどうしてかくも強烈に魅入られてしまったのかを解き明してくれる文章に出合った思いがした。

 安吾の文章には断絶・ズレもしくは転位が多い。この小篇もきれいごとの農民賛美などではない。たとえば「土は我々の原稿用紙のようにかけがえのある物ではないので、世界の大地がどれほど広くても、農民の大地は自分の耕す寸土だけで、喜びも悲しみもただこの寸土とだけ一緒なのだ。ただこの寸土とそれをめぐる関係以上に精神が届かないので、人間だか、土の虫だか、分らぬような奇妙な生活感情からぬけだせない」といった調子である。

「喜びも悲しみもただこの寸土とだけ一緒」をそのまま形にしたような縄文土器に魅入られた自分のことをいわれた気がしてならないのだけれど、安吾のいう「人間よりも土の虫に近いもの」でいいではないか……と、モノに取り憑かれたムシは居直りもする。






2020/10/05 5:05:00|オッキリのように
オッキリのように Ⅳ
 
 
オッキリのように あるいは縁側での対話


 
 酷烈なまでの熱さがつづいた二十世紀最後の夏、私は角田氏経営の「雪国茶屋」の縁側に座し、奥会津書房会員諸氏と対面座談する機会に恵まれた。三十年も前に角田氏が裏の畑で発見したという縄文の石棒をシャーマンの心持ちでうち振りつつセッションに身を委ねていると、いつもの私に棲みつく苦虫が〝快虫”に変身してゆくのを実感できた。散会後、西隆寺におもむいて縁なるワラジを脱ぎ、すばらしい縁側(磨き上げられた大廊下)でツバメの姿をみながらしばしくつろいだ。その席で、会津高田町在住の詩人蛯原由起夫氏の強いうながしを受け、遠藤太禅老師の幾冊かの著書をはじめて手にした。ここではその一冊『私に光ある手紙をください』(地湧社)のみにふれる。これはモノカキが見据えるべきモノもしくはモノノケの実相をモノカタリ的に伝える本である。本書の内容を詳述するイトマはないので、いささか唐突になるかもしれないが、モノやムシが光り輝く次の一節は、やや長めの引用に値する。
 
 柿の木には日頃山羊を繋いで置いた。どうしたわけか、山深く入らなければ山羊が食べるような柔らかい草はなかった。朝早く妻と山に入り朝露にぬれながら一日分の草を刈ってきたが、疲れて朝食時も食欲が無くなる程であった。朝と夕方しか赤ん坊は母の乳がのまれなかったので専ら山羊の乳に頼るしかなかった。学校に勤めている妻は、時にこっそり家に帰って来て娘に乳を与えることもあった。
 山羊はいい乳をたくさん出してくれた。しかし私の乳しぼりを嫌がってなかなかうまくいかない。足を縛りつけたりしてしぼることもあった。
 ある日、いつものように昼頃山羊の側によると、素直にしぼらせてくれた。こんなことは滅多になかったので、どうしたことだろうと思ったら、保母さんがブランコに乗って、ハーモニカを吹いていた。そのハーモニカにききほれるようにして山羊は乳をしぼらせたのである。それから搾乳の時必ずハーモニカを側で吹くことにした。レコードでは余り効果がなかった。
 初夏の気持ちよい日は、柿の木の下に莚を敷いて、赤ん坊を下ろして乳搾りをした。山羊は赤ん坊の近くまで寄って赤ん坊の貌をぺろぺろと嘗めまわしたりした。自分の子と思っているのかもしれなかった。赤ん坊はキャッキャッと声を出して手を宙に振って喜ぶのである。
 ある日搾乳の最中に電話が来て、家の中へ入った。長ったらしい電話だったが、やっと終り山羊のところに行って見ると、これはどうしたことであろう? 山羊が赤ん坊の側にごろんと座って、赤ん坊は山羊の乳を両手で掴んで、チュウチュウ音立てて吸っているのである。口のあたりを乳だらけにして。
 考えてもみなかった姿である。いつまでもじーっと見ていると、笑いがこみ上げて来た。山羊は山羊ではなく、赤ん坊に乳を与える母なのだ。確かに母の心をもって山羊は乳を与えている。のどかでほほ笑ましい風景をいつまでも見ていた。十分満腹した赤ん坊は、片手で山羊の乳首を持ったまま眠くなったらしい、うとうととしている。
 ほんに偶然のことでこうなったのか? 次の日またお昼近く柿の木の下の山羊のところに赤ん坊をつれて行った。暖かいタオルで山羊の乳首をきれいに拭いて赤ん坊の頭を乳に近づけると、小さな柔らかい手で山羊の乳にふれる。山羊は腰を下ろして赤ん坊の手を迎え入れた。
 山羊は目を細くして乳を与えている。さわやかな風が流れている。
 至極当り前のように乳を与え乳をのむ。こんなうつくしい風景は滅多にあるものではないであろう。赤ん坊は泣きもしなければ窮屈でもないらしい。
 私はこのことを誰にも言わなかった。赤ん坊をそまつに取り扱っているような後ろめたさもあったし、不潔だと心配されてもと思ったのである。
 秋の寒くなる頃になって、戸外に赤ん坊を連れて行くことは無くなった。そんな時山羊は淋しそうにして「メー、メー」と鳴いた。赤ん坊も山羊を見ると呼ぶのであった。

 何とモノ深い〈原記憶〉に恵まれた赤ん坊であろうか。
 
 奥会津版アルプスの少女ハイジともいうべき風景の中にも、対話をうながす類まれなVSの畑がある。角田氏と同様、老師は「はっきりとは目にも手にも触れ得ない底深い存在感としての力」=モノを眼の当りにしてたちつくす。「私はこのことを誰にも言わなかった」という一行に光る孤独な原詩=ウルシが読む者をムシ(夢中になる人)にさせる。


 ハーモニカをきいて乳をしぼらせた山羊の心を転位させたモノと赤ん坊に乳をやる山羊の心に宿ったムシは同類であろう。家畜である山羊が愛娘の母になってしまうとは!

「考えてもみなかった姿」を前にした老師にこみあげてきた笑いは「同時に」後ろめたさもひきおこす。この笑いは感動のアカシだが、「畏るべき」モノを見た者をつつみ込む慎み深さの感情にもつながっている。両者は同じ縁側でVSの位置にあるのだ。

 自然との対話なるスローガンが各方面で叫ばれて久しいが、これはそう生易しいことではない。角田氏や太禅老師が体得した心優しくも苛烈な生活詩人の眼ざし=〝縁の下の力”に支えられたヴィジョンがなければ単に〝ムシがよすぎる”自然讃歌に終始する他ないのである。
 






2020/10/05 5:00:00|オッキリのように
オッキリのように Ⅴ
 

オッキリのように あるいは縁側での対話


 
 
 縁なる畑仕事をつづけた果てに角田氏や老師が目撃した真にモノ深い二つの光景に、私は縁辺クラブ精神の化身をみた。ルンペン主催のエンペンクラブ賞を贈る所以である。

 新世紀到来を記念して勝手に発足させた独り縁ペンクラブ精神の様態を俳聖芭蕉の一句であらわしておく――桟(かけはし)や命をからむ蔦かづら

 本稿は依頼によるのではなく、一人同人誌時代の精神にたち帰り、自らの発願によって書いたものだ。「オッキリ」のように書かれた角田氏や老師のレポートが私をつき動かしたのだった。では「オッキリ」とは何か――1997年に角田氏が朝日新聞に連載した奥会津文化論エッセー『歳時記の郷から』の中に、奥会津金山町沼沢湖岸の人々の雪解け水にまつわる表現「オッキリ」にふれたくだりがある。

 奥会津の融雪は実にすさまじい、と角田氏は書く。中でも名だたる豪雪地帯で知られる金山町の太郎布高原に現れるオッキリは、「日中解けだした融雪水が氷雪に阻まれて地下浸透できず、あたかも湖面をわたるさざ波のごとく雪原を流れる」現象をいう。これに酷似する心的現象が、文学のムシを自称するルンペンにペンをとらしめたのである。

『会津の三泣き考』(奥会津書房)に寄せた一文で、角田氏はまた奥会津のモノ凄い雪魔にふれている。ある地方では「雪下ろし」のことを「雪掘り」と呼ぶ。「ここでは屋根の雪は下ろすものではなく、降り積もった雪の中から掘り出すものなのである」と。

 私はこの十年余りの悪戦苦闘の日々を思い起さないわけにはいかなかった。風雪から心身を守るべく「冬垣」に似たものを築きながら辛うじて生き延びてきた歳月を……。ルンペンがこれまでものした著作はすべて三泣きならぬ重ね泣きの掘り出し作業の果てに生れたといっていい。しょうこりもなく無用の集積物を重荷のように書きオロシテきたのであるが、そうした経済効率からすれば無益な、しかしやむにやまれぬ情熱の背後に他ならぬ祖霊の地の特殊事情が横たわっていることを、私は氏の一文により納得させられた。ルンペンのたたかいは決して孤立無援ではなく、不可視のレベルで下支えする地霊的存在にまもられていたのだ……と、ひとりよがりの思いを深くしたのである。

 独り同人誌時代以来、一匹狼を気取って掘り出し作業に専心してきた文学的一寸のムシにも、他者と縁辺を結び、命をからむ蔦かづらの付いた懸け橋としての欠け橋を渡りたいという五分の魂ふうの例外的願望が宿ることはある。そんな時、魂の野原をオッキリに似たモノが流れる。
 






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