「弁慶と小町は馬鹿だなあ、かかあ」吉川栄治が文庫版「宮本武蔵」の中の一冊に収録した短編の出だし文句である。
なんという話であったのか、どんな話であったのか、すっかり忘れている。
ただ、このフレーズだけが忘れられずに残っているのだ。
何の価値も無い文章なのだが、こういうのを「名文句」というのか。
考えてみると、こんな「忘れられない言葉」というのは、案外身の回りにあるものだ。
当然、感動とは別の次元の産物といえる。
「どた足のロバといわれてついてくる人がいたら、僕はその人と結婚するだろう」漫画「風と木の詩」(竹宮恵子)の中の、一文。
高校生ぐらいだったろうか、この一文を読んで
「どた足のロバと、面と向かって言うような男がいたら結婚するかもしれない」
と逆説を説いたものだ。
「月夜の晩にボタンが一つ、波打ちぎわに落ちていた。
それを拾って役立てようと僕は思ったわけではないが」中原中也・・・
「で、ドナイしたいんじゃ!!おのれは!」
と、いらいらしながら、言葉のはずみの美しさに
つらつらと覚えてしまった。
最近、こういう文章になかなか出会わないのは
私が大人になったからか、
名文句を書ける文豪が減ったためか・・・
「一筆啓上、おヨウ泣かすな、ノリ肥やせ」父が母に送った手紙の一文だ。
長期出張中、絵葉書にこの一文だけを書いてきた。
名文をへらへらと笑い飛ばす私に育てられた我子達は
文章の価値に気がついているだろうか?
(むりだろうなあ)
昨今、「手紙」のコンテストが各地で行われている。
名文・金言は、文豪ならずとも書けるものかもしれない。
受け取った者が、心に残れば
それこそが「金言」であろう。
昨年、熊本県で行われた
「〜夫から妻へ・妻から夫へ〜夫婦の手紙・絵手紙コンクール」の
グランプリ作品(
ぽちっとしてね)は、久しぶりに
「いや、名文。。。あっぱれ!」
と思う文章だった。
期待してばかりいたんじゃ、始まらない。
いって欲しい言葉は、要求するものなのかもしれない。。
あるいは、自らが作るものなのかも・・・