粋な黒塀 見越しの松に 仇な姿の洗い髪 (「お富さん」より) 何のことだか、ちっとも判らなかった子供の頃 良く歌っていた 親が好きだったのだろう。 黒塀がどんなものか知ったのは 10年ほど前 飯田橋に仕事で足繁く通っていた頃 神楽坂の路地裏で見る 「葦簾のうらの行水」 そういう、色気は大切なんだよ 生前、父がよく言っていたが 中学生の私に、そんなもんわかるはずもない そうでなくても、 40を越えていまだ公園で大木のぼりなのだから 8日の読売新聞で 神楽坂の黒塀が建築法でなくなる といった記事を読んだ。 火災後の建て直し、消防的には仕方ないのか 黒塀という言葉自体も 今では知る子供が少ないだろうが 夏の打ち水、風鈴、金魚売 冬の火鉢、雪見、障子貼り 今では少なくなっている 町屋でなくても 春の野蒜や土筆取り 全部根絶やしにとっちゃいけないなんてことも 親から教わった ニッポンの風情 実物はどんどん減っていくのだろうか これからの子供たちは垣間見ることもなくなるのだろうか 神楽坂の黒塀、何とか残せるといいのに