農業委員の方々が畑に来てくださるとのこと 忙しい日々で急ぎはしましたが 勢1杯 走り書きしました 少しでも 農業 自然えの思いを知ってもらいたいと記しました
農業をめざしてから15年 農業をしてみませんかの パンフレトを見つけて始めたのが出だしだった 生きる基本だと とうとうのめり込んだ 息子まで引っ張り込んだ しかし 農家に育ったのでもない 土地もない ないものずくしで どうやって行くのか見当もつかず毎週半年も県庁にかよった 学校にもいった パンフレトの進めにそうしかない 途中体力の限界も感じた そのうち地主の死による相続 家族の戦いに巻き込まれた 畑は返した 落胆のあまり息子は病気 さまざまな困難は限りなかった 土はいくらやっても キヤリアのない私共には答えはない やさしく手をさしのべてくれる人のささえが救いだつた 息子はやっと認定をとったが親子喧嘩は絶えなかった そして身も心もぼろぼろになり入院した 何とか一人でもやる決心して10年土との戦い 農薬は使わない 心に決めていた キヤリアのある農家と同じでは生きていけない それを支えてくれたのは有機農業の仲間だった いつしか15年行政のアドバイスはない 息子の病気によることで 土地を金を返せが 行政のやりかただった その繰り返しで私は強くなたった いつのまにか親子は台長からはすされていた 5-6年前に知った ずっとやてきた私はどうなる 見に来てほしいと頼んだ役場はこなかった とうとう今までかかった 昨年夫の死 息子の回復を待って15年 いつしか70を過ぎた なんとか農家にならねば あせり始めた うまくは出来ないやり方も自己流 明日はこうせねば だから続くことになる 石ころだらけ 畑はハーブしかない 金もかかる1食へらしてもやる決心だと 過去 良き畑だったのに とんでもない人手で石ころだらけに 道も消された まずは 元気でいること 野のものは活力を与えてくれる 知恵も 生きる力を この地いじりで 理解してくれるわずかな人に支えられて 癒しにやってくる都会の人レストランの人 野菜は安全 形はよくないが持ちがいい 新しいヒントを出してくれるおばちゃんが好きだと そんなささやかなことに喜びを感じて 体は農薬なんかに汚染されたくない 自然とともに生きられること ひいつの日か満足して死んでいけることを夢をみたいと思いつずけている
23-1-18 メモの中より
この15年農業は私に多くを学ばせてくれた 借りた土地では農業はやっていけない お役人は 土の大切さがわかっていない 農薬の恐ろしさも 変り行く現風景 山 畑 田 そしてやる気をなくした後とり 現実は厳しすぎる そうなることの理解も味わった 農業したくても畑をもてない人 荒地があるのに なんとかならないものだろうか 小さな畑はすぐ飽きる いつの日か答えをださなければと思う 吉田美智子
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