1月19日久しぶりに吾妻山に登りました。吾妻山例大祭の後、吾妻山公園から360度の素晴らしい景色を堪能しました。房総半島の先、雪化粧をした富士山の壮麗な姿、奥に雪を頂く丹沢山塊、どれも素晴らしいものでした。今菜の花祭り、菜の花ウォチングで多くの方が吾妻山に登ってきてくれていますが、目指すは菜の花の早咲き。しかし肝心な菜の花は・・・。寂しい限りです。でも写真を撮りに来たという東京の方は、朝早く二宮に到着され素晴らしい写真が撮れたと喜んでおられました。うれしい限りです。ところで帰りに山の事務棟に寄ったのですが、早咲き菜の花を全国に有名になるまでに育て上げた「鈴木忠明」氏の写真が、昨年まで置いてあった場所どころか見当たらないのです。役場に聞くと、来られた方々からいただいた写真やさまざまなものをどんどんと提示していったので、写真は事務室の中にありますとのことでした。最も壁に吊り下げることができる写真ならばどこにでもおけると思うのですが。頂けるということ、それはそれで素晴らしいし良いことだと思いますが、中国には「井戸を掘った人のことは忘れない」というような言葉があります。日本にも勿論同様の意味を持つ言葉があります。展望台の近くには公園を造ることに尽力された当時の町長「柳川賢治」氏を称える碑が有志の土地に有志により建てられ(公園は借地です)ています。あたかも自然発生のようにできた早咲き菜の花・吾妻山公園として捉えられるようなやり方には小生納得がいきません。単に写真は個人を・・・というだけでなく、この公園や早咲き菜の花がいかに生まれて来たかを知る資料などとなるのです。観光地へ行くと由来などが書かれていて「ああそうなんだ」などと思われる方も多いと思います。それと同じではないでしょうか。実際に写真を見てご本人に尋ねられた方も多数いると聞いています。別の話になりますが、現在あちこちに「トイレを使っていただいてありがとうございます」(正しい言葉はいま思い出せませんが)という言葉が全国いたるところに使われていますが、これも鈴木氏が生み出したものです。私は個人のことを言っているのではありません。町の考え・姿勢について首をかしげているのです。皆さんはどうお考えでしょうか。今は絆がもてはやされ?、古来日本は人と人との繋がりを大事に育ててきた国ではありませんか。しかもいま世界の人がこの日本の良さを見習おうとしている時に。最後まで読んでいただきありがとうございました。 |