☆ぜんそくとうつとわたし☆

性格的には、ちょー元気がとりえのワタシ♪ …だが、体的には、5才からぜんそくになり、’07年にはうつ病も発症(^_^;)でも、めげずに、出来る範囲で楽しく人生過ごそうゼ!がモットーです\(^o^)/ よろしくネ☆
 
2015/03/12 10:02:21|手作りお菓子&料理
祝!卒業ヽ(^o^)丿
今日は娘の卒業式でした。
3年間色々あったけど、無事進学も決まったし新たな門出を祝って作りました。

ケーキの上の花はカーネーションです。
ミニバラがよかったのですが、昨日体調を崩してお花屋さんに行けずスーパーで買ったので
(´・ω・`)
本当はベリー系をたっぷりのせたかったのですが、同様の理由でそのスーパーにはブルーベリーしかなかったのでイチゴonlyにしました。

スポンジは今までで一番の出来でした(^^)v

…が、写真を娘の入学祝いのiPhone6で撮ったら。

画素よすぎてクリームのムラがばれまくり(´゚д゚`)

自分の古いケータイで撮れば誤魔化せましたね(笑)

何はともあれ、

卒業おめでとう!!!

 







ぜんそくの話(子供の頃の主治医・薬の話)
この話題なかなか手をつけてなくてすみません。
(タイトルに銘打っているのに)
続きの話になるので、以前の記事を読んでから見ると繋がる所もあります。

二宮の病院の薬が合わなくて別の病院を探していた母は近所の方(…だったと思います。うろ覚え)から伊勢原にある東海大学病院の話を聞いて行ってみることにしたそうです。

小学3年か4年だったと思います。
担当医は女性。
とても優しくて楽しい先生だったのをよく覚えています。

今度の薬は私の体に合いました。
(今はぜんそくの薬はとってもいいのが出ています)

薬剤名はもう忘れてしまいましたが、気管を広げる薬など飲んでいました。
割と小さな錠剤でしたが合わせて1日3回、1回9錠飲んでました。
多いですよね(^^;)
1錠ずつは面倒くさいので、まとめていっぺんに飲んでました。
(あまり真似しない方がいいと思います)

でも。
すっかり発作が出なくなった訳では当然なく、季節の変わり目・梅雨にはバンバン発作出まくり。
その度に近所の病院で吸入したり、ひどい時には東海大に行って点滴してました。

ものすごい余談ですが、私、注射点滴めっぽう強いです
(・ω・)v
針が刺さるところも平気な顔で見れます(笑)

刺した瞬間、やってくださった方の技術見抜けてしまいます。
私の腕じだいが医者・看護士泣かせの見えない血管なんですけど。
「血管出ないねー(ToT)」なんてしょっちゅう言われます。
相手の方が焦って申し訳なさそうな顔をなさるので「注射慣れてるんで全然大丈夫ですよー」と笑いながら言ったりします。
中にはすっごい上手い人がいて、そういう方にはめちゃ絶賛&お名刺を頂きたくなります。
「次回もご指名したいです!」なんて。
(もちろん名刺もくれなければ、当然指名もできませんよ。あしからず)

ちなみに。
点滴されて痛いのは手の甲・手首の横です。
退院するまで刺しっぱなしだった所は今でも痕が残ってます。

何か注射の話ばかりになってしまいすみません。

最後に。
うちの息子は私と正反対で注射大っ嫌いです。
小5なのに歯医者の麻酔を嫌がって30分ごねて先生に怒られたという逸話つきです(苦笑)
さすがに今は意を決してさっさとやってもらうようになりましたが、そんな息子が言ったすごい一言。

「注射されるなら思い切りぶん殴られた方がマシ」
だそうです。
そっちの方がかなり痛いと母は思うのですが
( ゚Д゚)

脱線が多かったので、続きは次回に。




 







2015/03/02 10:34:00|ハワイアンキルト・趣味
多趣味と捨てられない性格
子供と旦那を送りだしてから「今日は眠くないから何かしたいなー」と一通りネットサーフィンした後、
「そうだ!こういう時こそ暇つぶしの材料がたくさんあるじゃないか嬉しい
と、思いつき探し物を始めたのが運の尽きダウン

プロフにも載せていますが、私はとっても多趣味です。

ですが、子供の時に普通の家庭に育ったにも関わらず親がめちゃくちゃお金にシビアな人で。
つまり自分で使えるお金がとても少なかったのです。
なんで、基本的にはケチ。

しかし、子供に厳しい割には自分に甘い母親もこれまた好奇心旺盛で多趣味。
まず道具をそろえてしまうタイプの母は飽きるのも案外早いので、鼻が利く私(要はセコイ)はそのタイミングを狙って「使わない道具貸して(もしくはちょうだい)」と有効活用してます。
(もちろん毎回じゃないですよー)

故に趣味の持ち物がとっても多いのです。
(;^ω^)

探し始めて数秒。
買って忘れていたものがさっそく見つかりました。

スワロフスキー。
これは去年の夏、誕生日プレゼントに父親に珍しくねだって買ってもらったものです。

今はみなさんピアスの方が多いのでイヤリングが随分減ってしまい、自分の気に入ったデザインのものがなかなか見つからないのです。

ならばいっその事自分で作ってみようグー

でも買った事忘れてました(ダメじゃん)

作り始めて1分。

自分の壊滅的な不器用さも忘れてました…泣き

写真のイヤリングを作るだけでも、手に接着剤つけまくり、小さい部品落としまくり。
(+o+)
この不器用さでビーズアクセサリーを作るのをやめた事を今更思い出しました。
(この時の道具はほぼ100円ショップで揃えた)

超簡単なので、何とか完成。

だが,まだやりかけのものはたくさんあったのです。

ハワイアンキルトの作りかけムンク

言い訳ですが、縫い物って気分がのらないと全然やれないものなんですよね。
元々縫い物はハワイアンキルト以外はかなり苦手なもので尚更…。

なんて言ってる場合ではないびっくり
このまま使わなければただ場所をとるだけの不要物になってしまいます。

午後はあと少しで完成するハワイアンキルトのコースター5枚セットの最後の一枚を仕上げられるといいなぁと思います。

この後睡魔に襲われなければ(笑)











 







2015/02/27 13:41:00|四季の花たち
梅鑑賞
大分県の日田という所の梅林に来てます。

思ったより標高が高いのかまだ咲き始めでした
(・o・)

でもお昼を食べた所の庭先の梅は満開でとても綺麗でした
(^-^)

お食事もおいしかったです。








2015/02/23 22:09:01|うつ病(入院含む)
躁うつ病入院の話 其の1
前にも少し書きましたが、躁うつ病で入院した時の話を書きます。
(私個人の体験・感想なので偏った部分も多々あるかと思いますがご了承ください)


入院は自分で決めましたが、その前の診察の時に入院の荷物を持っていったりしてまさに躁の状態でした。

主治医の説明を聞いてたぶんには「休養」という感じで、私の中では自分一人で好きなことをやったり休んだりして、自分の時間を満喫できるものと勘違いしていました。

私物も必要なものよりも自分の時間を有意義に過ごすアイテムばかり荷詰めしてました。
ハワイアンキルトの道具とか画材とか。

入院当日。
そこで初めて入院の時は担当医が変わる事を知らされました。
何も言われていなかったので、てっきり主治医が診てくれるものだと思っていました。

その担当医から
「今気分はあがっていますか?」と聞かれ正直に「テンション高いと思います」と言いました。

部屋は個室を希望していました。他の人に迷惑かけるのも気をつかうのも嫌だったので。

病棟に行って親と一緒に入院時の説明を受けましたが、ほとんど覚えていません。

その後。入院されるみなさんがみんなそうなのかは判りませんが、必要最低限の荷物以外はすべて没収されました(後日少しずつ返却されましたが)

本当に必要最低限。いわいるお泊りセットだけ。

入院から3日間は夜間は施錠され、ポータブルトイレが置かれました。

管理病棟なので、自分ひとりでは階下に行くこともできません。(エレベーター・階段に続く扉は厳重に施錠されて看護師や医師しか鍵を持っていませんでした)

食事もその階の中央にあるテーブルで、看護師さん達が何人か立ってずっと私たちの様子を見ていました。
食事中おしゃべりも許されません(容体が安定している患者さんは階下の食堂に看護師さんに連れられて行っていました)

鉛筆ひとつ自由に持たせてもらえない。
これが現実でした。

入院の説明書きにはそこまで細かくは書いていなかったと思いました。

精神科の入院は普通の入院とは訳が違います。
今、冷静になって考えると当たり前だよなーと感じる事もたくさんあります。

例えばハワイアンキルトの道具。
普通では何も害がないものですが、針や小型のハサミなどは当然危険と見なされます。

顔の小型マッサージ器。
これも充電用コード付きだからダメです。

画材もものによっては危ないと見なされるものもあります。

でもその時の私はそんなことには気づかずにかなり動揺しました。
パニックと言ってもあまり過言ではないくらいに。
自分の大切なものが全部取り上げられたと思ってしまったのです。

とにかく納得いかなくて、回診に来た担当医達(最初のうちはいろんな先生がきます)に食ってかかりました。

そんな状態では、医師も現状維持する以外ありません。

結局、鉛筆を持たせてもらえたのは約一週間後でした。


病棟の真ん中にある食事を食べるスペースにあったクリスマスツリー。
患者さんに少しでも楽しい気持ちになってもらおうと思って看護師さん達がいっぱいの飾りつけをしてくれたものでした。

でも。

今の自分とは正反対の楽しい日々の象徴のように見えて、悲しくて悔しくて泣けてきました。

この後も「何でこんな思いをしなくてはならないのだろう」と思った事が何回かあります。

そのお話はまた次回。