先日、兄が横浜の豆文の跡地に行って来ました。 横浜の豆文も今では豆菓子屋ではないですが、豆文の看板で、名前を大切にしているのがよくわかります。 祖父の居た場所に立てたことがなんとも感慨深いと言っておりました。
ん?豆菓子屋?どういうこと?
前にもお話しましたが、豆文は駄菓子屋になってから方のが歴史が浅く もともと祖父は横浜で豆菓子を製造する職人でした。 腕がよく、平塚に暖簾分けという形で豆文商店を創業したものの 戦争で若くして命を落としてしまいました。 豆菓子の製造ができない祖母が菓子、パン、食料を扱うお店として女手一つで営業を始め、 その後嫁に来た母がいなり寿司、かんぴょう巻き、太巻きなどを作り販売していました。 もちろん駄菓子もたくさん売ってましたが駄菓子よりそちらが主。 母の作るいなり寿司はとても好評で、今でもお客様から売って欲しいと言われます
母の病気で1度閉店し、 そして10年の時を経て駄菓子屋として再開店しました
おばあちゃんの頃からいた黒猫ちゃんと古い銭箱。今でも大切にしています
子供たちが「まめぶん」と呼んでくれる度、おじいちゃんおばあちゃんは喜んでくれているだろうかと思います
こればっかりは聞きたくても聞けないので… 私が出来るかぎりは 豆文商店を守っていきたいと思ってます!
その後は子供たちの記憶の中に豆文が引き継がれたらいいなぁと思います。
だから、次の跡継ぎはまめぶんに来てくれてる皆なんだよ! 思い出たくさんつくってよ!よろしくね♪ |