ボランティア コンサートの知り合いの企画のコンサートに 出かけました
もう2年半、ボランティア コンサートは行われていない
いつも訪問を心待ちにしていてくださった方々は どうされているでしょう
ボランティア担当の職員さんに先日連絡したら 退職されていた どんな日々だったとしても、そういう日がくれば 人は、退職し、去り、また別の人生を始めるけれど
病院内で過ごされていた方々が 何か新しい楽しみを見つけ 心静かに過ごされている事を祈る
最後に担当さんと話したとき 夫も一緒に言葉を交わしたことを思い出す
2年半は色々な事が起こるのに十分な時間で コロナからウクライナの戦い・・・ 終わりの分からない不安な状況がまだまだ続く
ウクライナ支援のコンサートは ジャズ・コンサートでお寺で行われた
「自覚と平和」という講演の後、コンサートがあった 企画者はそのお寺の住職さんで、尺八の演奏家だ
ウクライナの平和を願いつつ、ボランティアもストップのままの日々を寂しく感じていた自分と同じ気持ちでいる人の セッションを聴き、人とのつながりの力も感じた
時間におわれていて、途中で失礼することになった 「死んだ男の残したものは」を最後に聴いて出た
いま、これを書きながら 谷川俊太郎の絵本「ぼく」の製作過程のドキュメンタリーを 見ている
人々の様々な思いが いつか、ひとつの大きな力になって 本当の平和が訪れる事を祈る そんな平和な日が来ても、人は亡くなってゆくけれど 宇宙の真理としての死ならば そういう悲しみは、平和の中にもある悲しみだろう
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