チェチリア工房

ここは、工房という名の音楽室です。音楽は目に見えませんが、必ず何かを創造しています。天井が高く素晴らしい音響が自慢のスペースです。レッスンやコンサート その他、創作活動の発表にご利用ください。
 
2023/04/12 0:51:33|チェチリア工房情報
エスタビエンコンサート・・・・
7月30日開催予定の
第15回エスタビエン・コンサート
2023 オーシャンステージ

参加募集数に達しましたので募集を締め切りました
確認の必要な方はチェチリア工房までご連絡下さい

演奏曲が決定した方は5月末日までにご連絡下さい
曲目未定でもプログラムはつくれますのでご心配なく!
また、当日の曲目変更も可能ですので
適宜、ご自分の事情に合わせて対応してください

演奏時間は、出はけ含めて10分以内です
所要時間4時間を予定した長丁場のコンサートですので
ご理解、ご協力よろしくお願いいたします

それでは、記念すべき第15回のコンサートです
皆様の熱演を楽しみにしております
準備も含めて、
楽しく充実した良い時間をお過ごしくださいませ







2023/04/11 2:47:51|あれこれ
新学期が始まりました
新学期が始まりました
ピカピカの1年性が入ってきました
ピカピカの新担任の先生が造るクラスを教えます

ピアノの教室の生徒たちはみな、一級進級しました
時間割や先生が変わり、気持ちも新しく
社会はコロナから少し遠ざかり
音楽の時間に歌を自由に歌える年がやっと来ました

私も誕生日を迎え新生活です

特にこの新学期は、意味深くもあります
今までよりも、命を実感する毎日です
夫は日々、日常生活の復帰に向けて進んでいます
いろいろな支援の制度はありがたく
私の日々はあらたな科目を加え、
勉強することがたくさんあります

新学期を迎えたピカピカの気持ちを
日々更新できたら・・・と、新しい抱負も持ちました

失う事から始まる、新たに得る事は
きっと成長につながるでしょう
恐れず、果敢に、人生は面白い

様々な花と共に明けた新しい年度です
充実した365日を、
そして、いくつになっても進級は続きます!
チェチリア工房で楽しく過ごしましょう






 







2023/04/10 1:21:29|あれこれ
SPレコードで日本語のカヴァー曲を聴きました
本来はシャンソンやタンゴ、その他地域の民謡などだった曲を
日本語の歌詞で、
SPレコードで聴く会に参加しました
何とも言えない針を置いたときの音
藤澤嵐子のタンゴなど・・・・
ヴィクトロンというおおきな蓄音機で聴きました







2023/04/09 4:24:49|楽曲解説
スメタナとグリーグ 8 スメタナの活動
スメタナの活動

スメタナはボヘミアでの演奏旅行を行っていたが、サポートが充分に得られずプラハに戻っていた。
そこで、生徒に教えたり、室内楽の伴奏者として生計を立てていた、

24才の頃、スメタナは短期間ではあったが革命運動に傾倒していた。この頃、プラハでは政治の変化と動乱の風潮で民主化運動が起こっていて、この最中に、旧友のカレル・ハヴリーチェクに再開していた。カレル・ハヴリーチェクはハプスブルグ家の先制支配に終止符を打つことを主張していた。この中でスメタナは愛国的ながっきょくのシリーズを書いていた。
その中には
・プラハ大学の行進曲
・ヤーン・コラールの詞に曲をつけた「自由の歌」
がある

プラハがオーストリア軍の攻撃にさらされるようになるとスメタナは市民兵の一員として行動もした。しかし、ハヴリーチェクらが受けた国外追放や投獄は免れた。
作家であり、急進派であったカレル・サビナに出逢い、後に彼の提供するリブレットをスメタナは最初の2つのオペラに仕立てた。

同年、リストに手紙を書き、作曲活動の支援を依頼した。リストは金銭的な支援はしなかったが、スメタナのピアノ作品の献呈を受け、出版への足掛かりの援助をした。このことは後に始まる友人関係への原点となり、この年、12人の生徒でピアノ学校を創始した。その学校の評判は高まり、一時、チェコの民主主義を主張する者たちの間で流行した。
翌年、スメタナの音楽学校は後に結婚するカテジナの両親の家に移転し、著名な訪問者やリストの定期的な訪問を受けるようになった。フェルディナンド1世はここのマチネー・コンサートに出演したという記録がある。

スメタナとカテジナとの間には4人の娘が生まれた。

スメタナは革命に近い思想をもっていたが、フェルディナンド1世の常任宮廷ピアニストの職に就くことが出来た。

ピアノ学校で教鞭をとりながら、ますますピアノの為の楽曲の作曲に打ち込むようになり、後に「売られた花嫁」に使われる楽曲のいくつかもこの時期に作曲した。

・・・・・・スメタナはピアニストだったので、沢山のピアノ曲を作曲したようです。オーケストラ作品が有名なので、ピアノの作品を聴く機会もあまりありませんが、興味深いですね!

*画像はスメタナの肖像画





 







2023/04/08 1:27:25|楽曲解説
スメタナとグリーグ 7 スメタナの少年時代
スメタナはボヘミアの北部 リトミシュルというところで1824年に生まれた。当時、リトミシュルはオーストリア帝国領(ハプスブルグ君主国)であった。父親には前の二人の妻との間に8人の子供がいて、5人は幼少期を生き残った。両親には10人以上の子供があり、スメタナは3番目長男で兄弟の7人は成人になっている。父親は若い頃、ヴァイオリンをほんの少ししか習わなかったがおんがくの才能があり、友人たちと弦楽合奏を楽しんだりしていた。スメタナは父親からの影響を受け、幼少期化から音楽の才能を開花させ、6才で公の場で演奏をした。7才の時ボヘミア南部に移り住み、小学校に入学、後にギムナジウムに入学し、並行してピアノとヴァイオリンを習った。
父親が職業(ヴァルトシュタイン伯のビール醸造者)の第一線から退くと、ボヘミア南東地域の農場へ移ったが、適当な学校がなく、家族からはなれてギムナジウムに通うようになったが、ホームシックで勉強が手に憑かなくなってしまった。12才でカトリック修道会の学校に転校し、以降は幸せな少年期を過ごせた。この地で友人となったものの中には後にチェコの進歩派の作家となり、スメタナが大いに刺激を受けたハヴリーチェクがいる

写真はスメタナの生地 リトミシュルの城、この城内にあるビール醸造所でスメタナは育った