わが〈読者教〉教祖ボルヘスの全体像を知るのにうってつけの一冊に『ボルヘスとわたし』(牛島信明訳)がある。自撰短篇集とタイトルに記されているが、本書が異彩を放つのは、その収録短篇のすべてを著者自身が選択していることの他に、教祖の自伝並びに教祖自身の自作注釈を含むことである。「ボルヘスとわたし」が、虚構の短篇の一つのタイトルであるのも、いかにも教祖的だ。
自身をも他者とみなして対話をつづけた教祖のキワメツキの一冊として長い間、愛読してきた次第だが、久しぶりにページをめくると新しい発見があった。といってもささやかなことだ。自伝風エッセー中の、二十代半ばに出した第三詩集『サン・マルティン・ノート』へのカッコ書きの補足部分をこれまで読みすごしていた。思潮社版海外詩文庫『ボルヘス詩集』(鼓直訳篇)では、〈サン・マルティン印の雑記帳〉として四篇収録されているが、この題名について、サン・マルティンという「独立運動の国民的英雄とは何の関係もなく、わたしが詩を書きつけていた古びたノートブックの商標名にすぎない」と教祖はさらりと言ってのけていた。海外詩文庫版が、「サン・マルティン印の雑記帳」と訳した苦心がしのばれる。
教祖の原点を示す「古びたノートブック」がどんなものだったか知るよしもないが、ヒラ信者の当方にとって、教祖の活動全体が、根源的な〈ノート作家〉の精神にもとづくものであるように思われてならない。
極私的なものが極史及び極詩的なものに重ねられる教祖の自伝の中でとりわけ信者の心を揺さぶるのは、田舎者(アルゼンチン人)がヨーロッパに渡った時に体験したエピソードの数々である。たとえば文化後進国出身の青年が、マドリードに行ってあたためた友情の話など、「忘れることのできない」のは、教祖ばかりでなく、われわれも同様である。「今でも自分を彼の弟子と見なすにやぶさかではない」と教祖が言う詩人カンシーノスに人を介して会った際、おずおずと海をうたった彼の詩を称賛する若き教祖に、「ああどうも」と彼は言い、こうつけ加えたという――「死ぬまでに一度でいいから海を見たいものです」
井の中の蛙を自認する若き教祖は、このやりとりに対して何も書かず、かわりに次のように記す。
「カンシーノスにまつわる最も顕著なことは、彼が金銭や名声などに頓着することなく、完全に文学のためだけに生きたという事実である」
世界的名声と同時に失明という不幸に見舞われた教祖は、以後、根源的〈ノート〉を闇の中に移動させた。自伝の言葉をかりればそれは「ポータブル」になったのだ。
*四月中旬に下郷町を訪ねたK・Yさんが、志源行の写真を送ってくださいました。 7軒が暮す集落の墓地が写っています。
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