少年詩2021

少年詩の詩集や同人誌についての紹介と作品への批評などのブログです。
 
2024/05/16 10:05:34|その他
少年詩時評『給食』
少年詩時評『給食』
          佐藤重男

 □
少し前、福岡の小学校で1年の男児が給食(うずらの卵?)を詰まらせ死亡するという痛ましい事後が起き、新聞やテレビニュースなどで報じられました。
そのあと、給食をめぐって、保育園などで残さず食べるように指導していること、その是非について話題になりました。
 *
現在はどうか分かりませんが、わたしたちが小学校に通っていたころは、学校に行く一番の楽しみが給食を食べることでしたし、欠席者がいて給食が余った時などは、誰よりも早くお変わりの列に並ぶため、給食をかき込んだものでした。

 □
さて、少年詩では、給食はどのように取り上げられているでしょうか。
例によって自作のデータベースを検索してみました。
詩のタイトルに「給食」が出てくるのが1編、詩のなかに「給食」が登場するものが4編見つかりました。
順に見て行きましょう。(全文引きます)



 あてっこ だいすき 給食さん   杉本深由起

さいしょは
においだけ やってくる
もこもこ もこもこ やってきて
すがたを みせずに
聞いてくる

そしたら とつぜん
先生が
きょうは シチューだな

なあんだ先生にも 聞こえていたのか
さっきから
――わたしを あてて!
と さけんでいる
給食さんの声が 


           「学校はうたう」あかね書房 2022.4


ほんとうに、子どもたちは給食大好き、そのことが伝わってきますが、そんな子どもたちの気持ちを、「給食」のメニューの側、つまり食べられる側からの視点で描写している、そのことによって、いっそう子どもたちの気持ちが際立って見えてくる、そう言えるのではないでしょうか。
ラストの、「給食さんの声が」という一言に、教室の様子を微笑ましく見ている、そんな書き手の心境も読み取れるような気がします。

 □
次に、詩の本文のなかに登場するものを見て行きましょう。



 屋上から   川崎洋子

空がひろい ひろいなあ
空って こんなにひろかったの
風がふいている 首すじに息を吹きかけるみたいに
四角に区切られた団地の道路
砂場で子ともがあそんでいる
そうだ 子どもだったこともある
自分で鍵をあけてはいる家には
いつも夕やみが背中をまるめていた

つまらなかったお正月
だれもこないし いくところがなかった
しかたないから妹とトランプをした
一回だけクラス委員になったこと
塾の月謝をおとして叱られたこと
そんな恥ずかしいような思い出 それだけ

せっかく生まれてきたのになあ
人生にはいっぱい楽しいこと
すばらしいことがあるんだ
だけど そういうことと
全く関わりのない人間もいる
ここから おちたら
教室のぼくの机には白い花束
校長先生がテレビにうつる
けれど三日すぎれば花はかたづけられ
とうさんは会社へ
かあさんはスーパーのパートへ
団地のポプラの葉はきらきらひかり
ぼくが いつも給食の残りのパンをやる
白いのら犬はポリバケツをひっくりかえしている
そして……ぼくはいない

あまったれの やわなやつ
それが「ぼく」

わかっただろう
それでは 死ぬな
「ぼく」という きみは死ぬな


             『ハンカチの木』銀の鈴社 1995.2


「ぼく」は、何年生でしょうか。自分の中に二人の「ぼく」がいる。それを受け止められずに、葛藤する自分。「ぼく」は、そのことを自覚できているようですから、きっと高学年の子どもなのかもしれません。
わたしたちが子どもの頃は、思春期前の子どもたちは「自殺」しない、と言われていました。
今は、小学校低学年の子どもでも、自ら命を絶つ、時代です。
ラストの、

 わかっただろう
 それでは 死ぬな
 「ぼく」という きみは死ぬな

を、ここには救いがある、と読むのか、それとも、子どもであっても、その葛藤は深く壮絶なものだ、と読むべきなのか、いま、わたしは答えを持っていません。
そそうそう、「そうだ 子どもだったこともある」とい一節を目にして、もしや、「ぼく」は成人しているのか、とも思いましたが、そうではなく、やはり、思春期の子ども、と考えていいのではないでしょうか。

 ◇


 進学 修一     石井英行

その日一日
修一は静かだった

中学へみんなと一緒に行けない
養護学校へ進学すると判った日

修一は一日中
窓にもたれかかったままだった

給食も食べない
遊ばない

話しかけても
なま返事

掃除当番も
しなかった

修一が帰ったのを
誰も知らない 


              『野原くん』銀の鈴社 2015.8


修一は、卒業のあとのこと、仲良しと同じクラスになれるか、あるいは、新しい先生との出会いなどなど、あれやこれや、想像をたくましくしていたに違いないのです。それが裏切られたとき、どんなに落ち込むことでしょう。
大人には、酒やギャンブル、あるいは命を絶つ=Aという逃げ道や選択肢がありますが、養護学校(現在は、「支援学校」と呼称)に通うことになった「修一」には、そんなこと見当も尽きません。
彼がとった、「給食も食べない/遊ばない//話しかけても/なま返事//掃除当番も/しなかった」などなどの行動は、意図してのものと言うよりは、気持ちの整理がつかずに落ち込んでいることの表れ、そう読み取れますが、ラストの、

 修一が帰ったのを
 誰も知らない

は、修一の、自分への、そして、大人たちへの憤りの表現ではなかったではないでしょうか。
それにしても、大好きな「給食も食べない」修一に対して、どう声をかけてあげればよかったのでしょうか。

 ◇


 にわとり   成本和子 

くるみ色にやけた
フライドチキンを食べた
給食の時間に

みんな手に持って食べた
だれかの口のなか
カリッと骨をかむ音がした

なぜかしら
わたしの足が
きゅっと痛い

なぜかしら
わたしを見つめる
にわとりの眼がみえる

にわとりさん
だれかに食べられるために
生まれてきたの?

ほんとうは
ほこほこほの黒土を足でけって
おいしいみみずをさがしたかったの?

ほんとうは
ふわふわの胸のなかで
かわいい雛を育てたかったの?

わたしは たずねた
お皿の上に残った
細い細い骨に 


             『生まれておいで』銀の鈴社 94.12


作品を読み終え、わたしの頭にまず浮かんだのは「食物連鎖」ということばです。

食物連鎖 (Food chain)[編集]陸上と海中での連鎖生物は同種、他種を問わず、様々な形で自分以外の生物個体を利用して生きている。その中で最も典型的に見られる利用法が他者の捕食である。陸上の生物には、草の葉(ススキ)をバッタが食べる→バッタをカマキリが食べる→カマキリを小鳥が食べる→小鳥をタカが食べる…… といった生物間のつながりがある。 海中でも同じように、たとえば、植物プランクトン→動物プランクトン→イワシ→イカ→アシカ→シャチ…… などのつながりがある。 
        ――出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 

*
「食物連鎖」は自然界の出来事だから、そのように受け取るべき、というのは、ほんとうに正しいのでしょうか。どうも、優等生の解答のようで出来過ぎではないか、と考えます。

 だれかの口のなか
 カリッと骨をかむ音がした

 なぜかしら
 わたしの足が
 きゅっと痛いと感じた

その「わたし」の目の前にあるお皿には、「細い細い骨」が残っていた、というではありませんか。そう、「わたし」は、フライドチキンをきれいに食べたのです。
だから、詩「にわとり」は、「食物連鎖」を肯定的にとらえているのだ、といってしまっていいのでしょうか。
わたしは、ここにこそ、「食物連鎖」を肯定的にとらえることのおぞましさを感じるのです。自然界の摂理なのだから、と考えたとたん、思考は停止する、そう思われるのです。だれかの骨を噛む音に、自分の足が痛い、と感じた、それこそが自然なことではないのでしょうか。
それは、「にわとり」の、痛い!という叫びでもあるのですから…。
わたしは、何が善で、何が悪か、それを押し付けようとしているわけではありません。思考停止、そこに導かれてしまうことのないようにしたいね、と言いたいのです。

 ◇


 魔法の目かりて   宮田滋子

虫めがねって
魔法の目
ちょっと かりて
宿題の
ダンゴ虫の足 かぞえよう

 つまんだら くるんっ 
 たくさんの足 かくしちゃった
 魔法の目も お手上げだ

おもしろ半分
魔法の目
ちょっと かりて
給食のデザートのいちご ふとらそう
 見つめたら ぷくりっ 
 思いどおりに 二倍になった 
 魔法の目って すご腕だ 

   
               『白鳥よ』』銀の鈴社 2012.8


「虫めがね」は、今や「死語」になりつつあるものの一つかもしれません。
また、​​​いま、学校では、虫めがねを手に、校外学習にでかける、そういった事さえ難しくなっているようです。
それはそれとして、給食をもっとは魅力的にするには、虫めがねがうってつけ、ということのようです。
虫めがね=魔法の目、もっと出番が多いといいですね。


「給食」の登場する詩をいくつか見てきましたが、大人の視点では、なかなか見えにくい、そんな作品が多かったのではないでしょうか。
いうまでもなく、ここに紹介した詩のほかに、「給食」が登場する少年詩はたくさんあります。
みんなさんも、そんな詩をご自分で探してみてはどうでしょうか。

注)本稿で紹介した詩集一覧。作品名、著者、詩集名、出版社、出版年

「あてっこ だいすき 給食さん」杉本深由起 『学校はうたう』あかね書房 
                              2022.4
「屋上から」川崎洋子 『ハンカチの木』銀の鈴社 1995.2
「進学 修一」石井英行 『野原くん』銀の鈴社 2015.8
「にわとり」成本寿子 『生まれておいで』銀の鈴社 1994.12
「魔法の目かりて」宮田滋子 『白鳥よ』銀の鈴社 2012.8 

               ― この項 完 ―

いつものことですが、作品などの引用にあたっては、誤字・脱字等のないよう努めましたが、何か、お気づきの点がありましたら、ぜひ、お知らせください。また、作品の引用に際して、著者・出版社などから事前の承諾を得ていませんが、論考への引用であること、引用先を明示してあること、そして、商業目的ではないことなどから、関係各位の格段のご高配をいただければ幸いです。

2024.5.16





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