「伊藤 ゆたか」の日々の生活、考え方、まちの情報などを、随時お送りいたします。伊藤ゆたかは、市民の目線を失わずに、強いものに取り込まれず、是々非々を貫きます。
 
2009/08/13 18:15:38|その他
お盆ですネ
先日、1600円でお盆セットを買いました。
家の前にキューリの馬と、ナスの牛を飾って、迎え火を焚いて先祖の霊をお迎えするそうです。

お迎えする時には、キューリの馬で早く帰って来て頂いて、送り火を焚いて帰られる時には、ナスの牛でゆっくりと帰ってもらうそうです。

今は家の中で盆棚を飾って、電気のつく灯篭をつけて、ごちそうを並べてくつろいでもらっています。

日ごろ忙しさにかまけてご無沙汰をしているので、こんな時くらい、親爺に語りかけて見ようかと思っています。




     コメント一覧
[ 1 - 20 件 / 3 件中 ]

最後の言葉
先日亡くなった知人に、お線香をあげに行ってきました。奥さんから、「疲れたから寝るから」との言葉が最後の夫婦の会話で、ずっと寝てしまうとは想いもよらなかったと聞かされました。

自分の経験上、最後の言葉というのは、重たいなと思います。

知人の場合には、ものは考えようで、自分は先に逝ってしまうけど、寝ているのと何も変わらずにそばで見守っているよという、愛情表現のようにも受け取れます。

同じように突然死であった親爺の最後の言葉は、「オメー当選しなけりゃ、何にもなんねーぞ」というものでした。

家の親爺というのは、子供にああせい、こうせいというようなことを、まったく言わない人でした。

僕が議員になってから、知人に「お前の家は、親子が断絶してるんだって」と言われて、何事かと思ったことがありましたが、もちろんそんな事はコレッポッチもなく、冗談の絶えない家庭でしたが、政治向きの話について親に相談しないことで、そんな風に思われたらしいのですが、我が家にとっては普通のことでしたから、意外でした。

親爺は、世間的には若い人が好きで、話を最後まで良く聞いてくれるというのが、人の評価でしたが、家庭にあっては、「自分の事は自分で責任を持ちなさい」というのが、子供への教育でした。

そんな親爺が、理想論やきれいごとばかり言っている息子を、見かねて言った言葉が、最後の言葉になってしまいました。

この言葉の重みというのは、背中で育てられた者にしかわからないのかもしれませんが、僕にとっての、一生の重しとなる言葉でもあります。

知人の奥さんのお話から、こんな話につながるのは、お盆で我が家に親爺が滞在している証拠でしょうか。未だに理想論を追っかけているからでしょうか。





@yuu  (2009/08/15 20:58:10) [コメント削除]

秘密ですか?
ご配慮ありがとうございます。
想像はつくのですが、父を超えることはなかなか難しいです。

現職の時には批判も付きまといます。父にもありました。しかし、政治家として尊敬し、必死に親爺の背中を追いかけています。

父が平塚市議会に新風を巻き起こしたのと同じように、私たちも新人だけで会派を結成したり、保守系議員が一つになることを模索したり、少なくとも一つの選挙を乗り越えて継続したということは、平塚市議会の中ではなかったことです。

普通になってはしまいましたが、親爺たちができなかったことにもトライしているのです。

これまで通りこれからもトライし続けます。


@yuu  (2009/08/14 10:18:25) [コメント削除]

今日…
たまたま、裕さんとお父さんの話を母としていました。
(話の内容は秘密ですけど…)
お盆ですね!
色々な事を感じさせてもらえる日々ですよね。

お忙しいとは思いますがもう少し色々な情報をアップ「頑張ってください」
楽しみにしているんです!

南口けんさん  (2009/08/13 20:24:16) [コメント削除]

[ 1 - 20 件 / 3 件中 ]

     コメントする
タイトル*
コメント*
名前*
MailAddress:
URL:
削除キー:
コメントを削除する時に必要になります
※「*」は必須入力です。

※コメントは投稿後、ブログの管理者が承認した後に表示されます。