小唄「浦こぐ舟」 (岡野知十 詞・吉田草紙庵 曲) 〽夕立の過ぎて凉しや白鷺の 片足あげて岸近く 風の前なる羽づくろい 〽乱れ乱れし葦蘆の 嫌じゃ嫌じゃは裏のうら 浦漕ぐ舟の揺れ心地 女浪と男浪が 打ち上げてはまた打ち下す。 1931年(昭和6年)に上演された歌舞伎「網模様燈籠菊桐」五幕、通称「小猿七之助」。 の「土手場」と呼ばれる場面の芝居音楽として作られた小唄。お芝居の概略は以下。 生来の盗み癖で、長ずるに及んで小猿七之助と呼ばれる巾着切り。 永代橋の袂で奥女中滝川の銀簪を引き抜きざま、その美しさに心を奪われ、屋敷まで跡をつける。後日、首尾よく滝川の屋敷の雇中間に収まった七之助は、ある日滝川の外出に供する一人に加わる。一行が深川洲崎堤にさしかかると、辺りは激しい雷雨となり、駕籠を置き去りに、みな散りぢりに逃げてしまう。残った七之助は、駕籠に乗ったまま気を失っている滝川に口移しで水を飲ませ、胸を押すなどして介抱。さてそれから、短刀を突き付けながら土手の番小屋(木小屋)に引き込む。 そこうする内、 許嫁のある身でもあり、最早屋敷に帰る事もできなくなった滝川。 自ら七之助とその場を去り、共に悪の道へと踏み入るのでありました。 と、現在であれば女性蔑視で事件性のある、信じがたい様なこの場面ですが、 江戸末期の退廃的気分のなかで作られたこの芝居は、当時の江戸下層社会を写実的に描いたものとされています。 作詞者の岡野知十は謹厳実直な性質で、最初この濡れ場の作詞依頼を固辞したものの、 是非にとの懇願に負けて引き受けましたが、この「土手場」の淫猥さを包み隠すほどに 美しく清涼感のある小唄へと昇華させました。 この場面の為に作られた二つの詞を、警察に提出したという逸話が面白い。芝居に警察が介入するというのが、現代の私たちにはピンときません。 この時警察に提出したもう一つの詞が小唄「木小屋」。こちらは詞があまりに直接的すぎるとの理由で許可が下りず、「浦こぐ舟」が劇中で使われることに決定。 これが舞台初日の二~三日前。草紙庵は、たったの一日で「浦こぐ舟」を作曲したといいます。 歌詞の解釈は、「白鷺」を滝川。白鷺に吹きつける「風」を七之助。中ほどから男女の濡れ場を表現しているものの様です。 「様です」など、おぼこい振りをしておきます。 小唄「木小屋」 (岡野知十 詞・吉田草紙庵 曲) 〽幾節の 木小屋の内の蒸し暑さ まだ漏る雨にあと濡れて 湿る蓆を女夫茣蓙 〽引きよせられて手を仮の 枕近くに蚊の群れる 〽払うよしなき薄物の 裾の模様の乱れ草 戸の隙のぞくお月様 小唄のバイブル、木村菊太郎著「昭和小唄その一」を参照しました。 |