2011年3月11日14時46分、余りにも大きすぎる
災害は起こりました。
その一ヶ月程前に
N.Z.で地震があって、もう
30年以上も前から大きな地震が来ると言われ続けている地域に住んでいる私は、そのニュースを見ながら「
明日は我が身だね。」なんて話していました。
東日本大震災のあったその日、確定申告書を提出する為に
隣街の駅ビルに居ました。申告書を提出して係りの方が受領印を押した瞬間に
大きく揺れ、6階の店舗では棚が壊れて商品が床に散乱していました。
揺れが収まってから、
JRの駅へ出てみると、すでに電車は止まっていて、改札の前には大きな人だかりが出来ていました。携帯のワンセグでニュースを見ていたので、大きな地震があった事は判りましたが、詳細は不明で、その映像はまるで
映画のようでした。用事を済ませるために道を歩いていると余震があり、足元がおぼつかなくなり、信号機が揺れているのが判りました。
自宅がどんな状態なのか想像もつかず、取り敢えず、駐車場から車をだし、ガソリンスタンドで灯油を買って、ついでに車にガソリンを入れて帰宅したところ、家の中は出かけた時となんら変っていませんでした。
その後の
大騒ぎは皆さんもまだ記憶に新しい事でしょう。
被災地から遠い我が家の辺りでも、
計画停電があったり
ガソリンや
灯油が買えなくなったり、スーパーから
物が無くなったりと、実にいろいろな事がありました。スキーに行った帰りに、高速道路のS.A.でお土産代りに
水を買って来た事もありました。
『喉元過ぎれば・・・』と申しますが、たった
一年が過ぎただけだと言うのに、その多くが忘れ始められているような気がします。
辛い記憶は忘れるように出来ているのが人間の脳らしいですが
、『明日は我が身』と間違いなく言える地域に住む私は、今回の経験を
忘れることなく、
次への備えに出来ればと思います。
春近しとは言え、まだまだ寒い
彼の地には、
日常とは遠い生活を送られている方が大勢いらっしゃいます。あの日以前の
日常には決して戻ることは出来ないのでしょうけれど、それでも、一日でも一時間でも早く、
日常と思える生活を送ることの出来る日がやって来る事を心からお祈りいたします。
被災地の
復興や
原発の問題等、考えなければならない事は沢山あります。綺麗事ではどうにもならない事もあるはずで、時には
汚れ役を買って出なければならない事だってあるでしょう。責任ある立場にある人は、非人道的と思える判断を強いられる事だってあるかもしれませんが、それが責任ある立場にいる人の
義務です。皆がそれぞれ果たすべき
義務を果たし、良い方向へと進むために行動出来れば、
明日は必ずよい日になるでしょう。
想いは繋がると
信じて、
より良い明日へと歩みを進めていけたらと、
1年経った今、切に思います。
<写真は南と北の戴き物>
左:先日戴いた物は対極にある島の食べ物。
右:なんとあの日に南の島で瓶詰めされたのでした。
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