明治末~大正初期頃の大磯駅 現在の大磯駅
大磯駅と伊藤博文 大磯駅を通る東海道線。この東海道線が全線開通して今年で120周年を迎えます。
明治5年5月7日、品川・横浜間に日本初となる鉄道が仮開業され、同年10月14日には新橋・横浜間の鉄道が正式に開業されました。その後横浜から国府津まで鉄道が延伸され、明治20年7月11日、横浜・国府津間開通し、大磯駅が開業しました。新橋・神戸間の全線が開通したのは、これから2年後のことです。
日本における鉄道建設には、財政上の問題をはじめ、政府内部や士族・庶民層による反対など、数々の障害がありました。しかし、日本の近代化に向けて、欧米文化の導入の必要性を主張する伊藤博文や大隈重信を中心とした開明派の尽力により、明治2年遂に鉄道建設が廟議決定されたのです。
さて、話を大磯駅に戻します。
大磯駅(停車場)が開業したのは明治20年7月11日。横浜・国府津間の延伸工事の当初、平塚から国府津までの間に駅は必要ない、という計画でした。誰よりも大磯駅の必要性を感じていた松本順は、これを聞いて非常に驚き、早速大磯駅の開設のため、原口要鉄道技師と交渉します。しかし、宿場制度の廃止後、寂れた一漁村でしかなかった大磯に目もくれず、松本の話は聞き入れられませんでした。そこで松本は時の内閣総理大臣伊藤博文に相談した結果、鶴の一声により大磯駅の設置が決定されたのです。
当初は国府の中丸寄りに駅舎の建設が予定されていましたが、伊藤博文の意見に従い、町の発展のため海水浴場に近い現在の位置に建設されました。
大磯駅開業によって、以後、海水浴客は増加の一途を辿り、また、政財界の重鎮たちの別荘が数多く建築され、保養地としての大磯の名は全国に広まったのです。
明治42年、ロシア大蔵大臣との会談のため、満州に向けて臨時列車で大磯駅を出発した伊藤博文ですが、同年10月26日ハルビン駅頭で狙撃され、その後大磯の土を踏むことはありませんでした。
大磯駅と大磯町の発展に多大な貢献をした伊藤博文。大磯駅が彼の帰りを待ち続けて100年の月日が流れようしています。
(参考)『おおいそ駅史』大磯駅・昭和42年『おおいそ駅史』大磯駅・1979
『日本国有鉄道百年史 第1巻』日本国有鉄道・昭和46年
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