子供の頃、親に幾度となく怒られたり叱られたりしたかわからない。たぶん日に一度は怒られていただろう。因みに、厳密に言うと怒ると叱るは微妙に違うのだろうが、ここではいちいち分けるのは面倒なのでほとんど同意語として使いたい。 昔は親だけではなくて、祖父母や叔父(叔父)伯母(叔母)はじめ、先生はもちろん近所の小父さんや小母さん、更には見知らぬ大人にもよく怒られたものだった。子供が悪いことや間違ったことをしたら、誰の子供であろうと怒るのが当たり前だったのだ。 しかし、今の子供は余り怒られないのではないだろうか。第一に親が子供を叱らないのである。子供に甘いのだ。一方では、親の子供に対するいじめや虐待がある。どちらにしても子供の真っ当な成長にいいわけがない。 私が子供だった頃は、親に怒られてもその底に愛情を感じられた。或いは、怒られてもその時は「糞オヤジ」とか「糞ババア!」とか憎まれ口をきいたが、後で起こられて当たり前だと納得ができた。 私は母親に散々怒られたが、父親には一度しか怒られた記憶がない。だから今でもその時のシーンを鮮やかに覚えている。 私が小学校上がる前か上がった頃だろう。私は縁側にいて、父は庭で何か作業をしていた。父が家にいるということは、日曜日だったのだろう。昔は、便所は汲み取り式で、しかもバキュームカーが来てくれるのではなく、自分の家で桶に汲み取らなければならなかった。その糞尿は庭の狭い畑に撒いていた。また、風呂や釜は薪で焚いていたから、廃材を調達して斧や鉈で割るのだった。その他諸々自前で行うしかなかったのである。その用事のほとんどは父の役目だった。だから父は日曜日でもほとんど働き詰めだった。 私は縁側から父に何か呼びかけていたのだった。父は作業で忙しくてなかなかかまってくれなかった。私は苛立ちを覚えて父の急所を抉るような口汚い言葉を吐いたのだった。隣近所に聞こえるほどの大きな声だった。 父は物凄い形相で飛んでくるなり、私の頬を思い切り叩いたのであった。私は父に叩かれたのはそれが初めてだったので至極驚いた。そして大きな声で泣いた。痛かったからではない。子供心にも父を深く傷つけてしまったことで、心が酷く痛かったのだ。私は泣きながら、父にとんでもない悪いことをしてしまったと、深く反省していたのだった。 父に怒られたのは後にも先にもそれだけだった。 それに引き換え、母からは何度怒られ叩かれたか分からない。あり過ぎて思い出すことも困難なほどである。 そんな中で甘くも苦い思い出がある。小学校校低学年の頃だったと思う。 晩秋の夜だった。母は手伝い仕事から帰ってきて遅い夕食の準備をしていた。私は遊んで腹を空かしていたのだろう。遅い夕食に何かケチをつけたのだ。それに対して母は烈火のごとく怒ったのだった。私はふて腐れて、 「出て行く!」と言って、外に走り出た。 私は表通りをしばらく駆けていたが、どこにも行く当てなどなかった。外は暗く冷え込んでいた。私は今度はゆっくり歩いて後戻りした。家の前に来ていた。このまま家の中に戻るのは癪だった。 我が家の木戸の脇には割りと太い松の木があった。幹はある程度垂直に立っていたが、途中から地面にほぼ平行にその幹や枝を伸ばしていた。その松の木に私はよじ登ったのだった。そして地面に平行に伸びた太い幹にそっと横たわった。 漆黒の空にはほとんど雲はなかった。星も月も冴え冴えとして、吸い込まれて行くようだった。自分の身体が星や月と同じように宙に浮いているような錯覚を覚えた。満天の夜空を眺めることがこんなに気持ちよいものだとは知らなかった。いつまでも朝にならないでこうして夜空を眺めていたいと思った。 しかし、それにしては空気は酷く冷え込んでいた。やはり寒さには勝てなかった。 「どこへ行ったのかな・・・」と、父が戸を開けて外に出て来た。 「どこにも行ってないよ。そこいらにいるに決まってるから。臆病なんだから」と、家の中から母の声が聞こえた。 癪に障ったが、言い当てていると思った。だから尚更むかついた。 「ほんとに、寒いのにどこへ行ったのかなあ・・・」 父は心配そうにそう言うと、家の中に戻ろうとした。 その時、私は小さくクシャミをしたのだった。 「なんだよ。こんなとこにいるじゃんかよォ」 父に発見されてしまった。いや、発見されたのではなく、発見されるように故意にクシャミをしたのかもしれなかった。たぶんそうだったのだろう。 父はいかにも嬉しそうに声を出して笑いながら迎えてくれた。 しかし、母の反応はどうだったか忘れてしまった。 それにしても母にはいつも私の心を見透かされてしまい、到底敵わないと思ったのだった。
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