少年詩2021

少年詩の詩集や同人誌についての紹介と作品への批評などのブログです。
 
2021/09/15 11:59:48|その他
少年詩時評『あらすじと解釈と』
少年詩時評『あらすじと解釈と』  

            佐藤重男
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9月7日付朝日新聞朝刊の文化欄に、
【本紙「文芸時評」の記述めぐり議論】
という記事が出ていて、そのなかで、作家と批評者の二人の主張が、次のような見出しで紹介されています。
【読み方は自由でも…あらすじと解釈は区別を   作家 桜庭一樹さん 】
【作品に創造的余白 読者の数だけ「ストーリー」 文芸時評筆者 鴻巣友季子さん 】
 
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事の発端は、8月25日付朝日新聞朝刊の文化欄に掲載された【文芸時評 翻訳家・文芸評論家 鴻巣友季子 ケア労働と個人 揺れや逸脱 緩やかさが包む】のなかで、桜庭一樹「少女を埋める」に対して、【ケアとジェンダーの観点から】【注目したい】としたうえで、次のように指摘したことにあります。
【「神社の嫁になり、嫁の務めを果たしながら空き時間で小説を書け」という勧めに抗し、冬子は小説家のキャリアを選ぶが、家父長制社会で夫の看護を独り背負った母は「怒りの発作」を抱え、夫を虐待した。弱弱介護の密室での出来事だ。】
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これに対して、「少女を埋める」の著者・桜庭は、【本紙「文芸時評」の記述めぐり議論】のなかで、母が父を虐待した【そのようなシーンは、小説のどこにも、一つもありません】と主張します。
そして、【小説の読み方は、もちろん自由】であること、【実際の描写にはない余白のストーリーを想像(二次創作)】することもある、としたうえで【しかしその想像は評者の主観的解釈として掲載すべきであり、実際に小説にそう書かれていたかのようにあらすじとして書いては、いけない。】
 
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【本紙「文芸時評」の記述めぐり議論】のなかでの鴻巣の見解の書き出しは、こうです。
【本作は掲載誌にも「創作」と銘打たれ、優れたフィクションとして読んだ。人物モデルがいるいないに拘わらず、現実とは切り離して紹介したい】
そして、主人公が過去に母から暴力を受けたことなど、いくつかのエピソードを引き、
【母の父への「虐め」については複数の詠み方が可能で、私の評でも解釈の提示にとどめたつもりだ】
と主張し、
【小説にはあえて「言わずに言う」ことや、省略、暗示、要約等の空白がある】と一般論をかぶせたうえで、問題の核心に迫ります。
【あらすじも批評の一部なので、作者が直接描写したものしか書かない等の不文律を作ってしまう事の影響は甚大だ。読み方の自由ひいては小説の可能性を制限しないか懸念される】
 
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さて、言うまでもないことですが、どちらの主張が正しいか、そんなことで頭を悩ませてはいけません。
わたしは、こう思います。
さきほど紹介した、桜庭の「二次創作」を、「批評(作品の読み)は、第二の作品」と読みかえる事が許されるならば、その古い格言はまだ生きている、と。または、ある人が言っているように「小説は、それを読む者にとって第二の(別の)人生を生きることだ」ということもまた許容されるのであれば、果たして、人は第二の人生を、ひどいものとして生きよう、などと思うでしょうか。
 
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どちらが正しいかどうか、そこから離れてみたとして、わたしは、鴻巣の主張の最後のフレーズが、「障害を持つ当人から障害者ということばを使わないでほしい≠ニ求められたとき、障がい者、と言い換えるのは詭弁だ」という主張と重なって見えてしまうのです。
かつて、子どもに対して「ちびっこ」と言わないで、という声が起こったとき、「ことば狩り」「言い換えは詭弁」といった反論がありました。そんな一つに「言い換えや制限は表現の自由や可能性を狭める」というものがありました。これは、まさしく鴻巣の【作者が直接描写したものしか書かない等の不文律を作ってしまう事の影響は甚大だ。読み方の自由ひいては小説の可能性を制限しないか懸念される】とピタリと重なる、と思わざるを得ません。
また、鴻巣は、母の父への虐待を、
【母の父への「虐め」については複数の詠み方が可能で、私の評でも解釈の提示にとどめたつもりだ】
といっていますが、「文芸時評」のなかでは、
【夫を虐待した。弱弱介護の密室での出来事だ。】
と断定≠オています。こういう物言いを、解釈や憶測、とは言いません。
 
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なお、わたしは、小説『少女を埋める』(桜庭一樹 文学界2021年9月号)を読んでいません。
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よく、「出版された時点で、作品は作者の手を離れ、不特定多数の読者に様々な読みをされ、そうした多様性によって作品世界は厚みと深さを増す」と言われます。それは、鴻巣が指摘するように、
【読み方の自由ひいては小説の可能性を制限しない】(前出)ためであることは万人に共有されてきたところです。
しかし、だからといって、無制限に読み方が許容されるわけではありません。
わたしは、長年、少年詩・童謡の世界で、主に批評を担ってきました。と、自負していますが、批評を書く時、いつも心がけていることがいくつかあります。
それは、
一つ、誹謗中傷であってはならない
一つ、いわゆる「褒め殺し」であってはならない
一つ、作者の思いに寄り添っているか
 
もちろん、どれをとっても難しいことであることは、百も承知していますし、作者やほかの読者から、あなた自身が自ら課した「指針」から逸脱している≠ニの批判・非難があった場合は、それに対して真摯に向き合う覚悟もまた、持ち合わせなければなりません。
今回の、二人の見解に対して、偏った視点、狭い視野からのアプローチに終わったかも知れませんが、今後の、自分の少年詩・童謡の作品などに対する批評の在り方を見つめ直す機会をいただいたものと考えています。
 
                ― この項 完 ―
 
何時ものことですが、引用にあたっては、誤字・脱字などのないよう努めましたが、何かお気づきの点がありましたら、ぜひ、お知らせください。
 
2021.9.15
 
 
 
 
 





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