少年詩時評『詩は読まれない』 佐藤重男
□ 訳あって、久しぶりに、『藤井則行詩集』(現代児童文学詩人選集1 てらいんく 2005.7)を手にしました。 そして、詩編を読んだ後、【エッセイ・評論篇 P160〜】に収められている藤井の論考のうち、「読書指導について」「詩の指導について」の二つに目を通し、本稿の表題を「詩は読まれない」と決めたのでした。 * まず、二つの論考のテーマについて引きます。
『読書指導について』 1 「本離れ」の元凶は? 2 名作も受験の資 3 提案・その1 「読み聞かせ」に徹せよ 4 提案その2 優れた短編集の出版を ― 「ぱらぽっぽ」17号
『詩の指導について』 1 詩は分からない 2 詩の指導は何のために? 3 高度すぎる教材 4 すぐれた教材と指導の両立を ― 評論集「若き教師への手紙」
* 二つの論考どちらも、「本離れ」の元凶は「読書指導」にある、と断じているといってよいでしょう。 これまでの「読書指導」は、教師にとっても児童・生徒にとっても、「詩は分からない」という失敗体験の繰り返しだったのでは、との問題関心に立って。したがって、教師は、詩のおもしろさ・楽しさを体験させる「指導」にこそ力を入れ、そのために�@手段としての「読み聞かせ」�A関係者一体となってのあらゆる実践に取り組むべきである、と提案します。 * とりわけ、「詩の指導について」では、高校用国語教材が、教師にとっても、生徒たちにとっても高度過ぎて、高い目標→高度な教材(編集者にとっては優れた作品)→学校現場にとっては難解で楽しめない、という齟齬を生んでしまっている、と藤井はいいます。
□ 藤井によるこの問題意識と解決のための提案は、なんと、今から20年以上も前に書かれたものですが、おそらく、現在も通用するものと思われます。 これまで、本ブログでも、小学校の国語教科書ついて、幾度か考察してきましたが、改めて、高学年の詩の教材について見なおすと、やばり、「楽しむ」ことよりも、「優れた作品の鑑賞・理解」に傾いた「指導」が行われているのでは、という危惧を覚えます。 * もちろん、藤井は、詩が読まれない原因のすべてを「指導」にある、と言っているわけではありませんし、わたしたちもそう考えています。 ただ、ほかの要因についても、おそらくその本質として「楽しむ」ことを置き去りにしている、ということがある、といえるのではないでしょうか。 本ブログでも資料として使ったことがある、「学校図書」の国語教科書に登場する詩の作者を例に見てみましょう。
【学校図書】 令和6年 平成21〜22年 1年・上 木坂涼、谷川俊太郎、まど・みちお こわせたまみ 1年・下 神沢利子、香山美子、小野寺悦子 児童詩 2年・上 野呂さかん、中江俊夫、岸田衿子 よだじゅんいち、ぶしか えつこ、はたちよしこ 2年・下 まど・みちお、原国子 まど・みちお 3年・上 谷川俊太郎、阪田寛夫 まど・みちお、たにかわ しゅんたろう、原国子 3年・下 工藤直子、やなせたかし 阪田寛夫、吉田定一、く どうなおこ、谷川俊太郎4年・上 草野心平、原田直友、金子みすゞ 草野心平、工藤直子、小 泉周二、まど・みちお 4年・下 小泉周二、まど・みちお のろさかん 5年・上 高丸もと子、はたちよしこ、 小海永二、みずかみかず マーガレット=ワイズ=ブラウン よ、長田弘、北原白秋 5年・下 黒田三郎、高階杞一 黒田三郎 6年・上 井上靖、新川和江、川崎洋 高丸もと子、百田宗治 6年・下 三好達治、黒田三郎 井伏鱒二、工藤直子
□ ご覧のように、どちらの年度の教科書でも、高学年になるほど、��教育的配慮=すぐれた作品の鑑賞・理解(編集者にとっての?=文科省の指導要領)�≠�強く感じさせられる詩が登場しています。 * 藤井は、「高度すぎる教材」の中で、 萩原朔太郎や三好達治、金子光晴や伊東静雄、或いは鮎川信夫の作品には(生 徒たちは=引用者)かなりの抵抗を示した。 と書いています。(P157−158) (いうまでもなく、藤井は、彼らを否定しているのではありません。学校現場での「詩の指導」の教材としての適否を述べているのです。) * そうしてみたとき、「学校図書」の、小学校5・6年生を対象にした国語教科書掲載の詩として、マーガレット=ワイズ=ブラウン(し)、北原白秋(露)、黒田三郎(紙風船、支度)、井上靖(出発)、百田宗治(どこかで音が)、三好達治(土)、井伏鱒二(なだれ)、らの詩を「詩の指導」の教材に使うことの是非について見なおす必要があるのではないでしょうか。
□ 38年間、教員を勤めた藤井則行の問題関心、そして、提言には、現場で培った経験や苦渋、そして希望が込められており、今こそわたしたちの「共有財産」として利・活用すべきではないでしょうか。 なお、藤井は、現在も、少年詩・童謡・詩論研究会と関りがあり、会員との交流や地元での活動に携わっておられます。 詩集『春だから』(銀の鈴社 )の中から、作品「ふろしき」を引いて、本稿を閉じたいと思います。
ふろしき 藤井則行
一枚の布である 四角の布である 種もなければ 仕掛けもない たったそけだけのもの
それでいて四角い箱はもちろん 丸いスイカだって 長い酒のビンだって たちどころにつつんでしまう きっちりとつつんでしまう 三角に折ればスカーフにもなり ときには手品の道具にもなって 中から白い鳩が飛び出したり 赤いバラを何本も咲かせたりする
一枚の 四角の 種も仕掛けもない たったそれだけの布ゆえに つい大ぶろしきを広げたくなる
詩集『春だから』(銀の鈴社 2000.4)より
□ ほかにも、藤井則行には、詩集『友へ』(銀の鈴社 1991.9)などがあります。どうぞ手に取ってみてください。
― この項 完 ―
いつものことですが、詩集名などの引用あたっては、誤字・脱字等のないよう努めましたが、何かお気づきの点がありましたらお知らせください。 また、作品「ふろしき」の引用にあたっては、事前に著者や発行所などの許諾を得ていませんが、引用先を明示してあること、論考への引用であること、そして、商業目的ではないことなどから、関係各位のご高配のほどいただければ幸いです。(文中、敬称略)。
2026/10/15 |