少年詩時評『宮沢賢治と風と少年詩』 佐藤重男
□ 9月23日付東京新聞の一面下部、刊行書籍広告の蘭に、次のような案内が出ています。
風の道しるべ 宮沢賢治と現代―宮沢賢治生誕130年 ソコロワ山下聖美 中日新聞出版部
宮沢賢治は「風」の人間である――。賢治の物語空間には風 が多く描かれ、国境や常識、異なる価値観を軽々と飛び越 えていく。賢治は目に見えない風を通じて、何を伝えよう としたのか。―以下略(一部加工)
□ では、少年詩にも風に題材をとった作品はあるのでしょうか。 わたしのデータベースに登録されている少年詩の作品に登場する「風〈かぜ〉」を拾い上げてみると、タイトルに登場するものだけでも106編にのぼります。 すべてを紹介するのは無理なので、すばりタイトルに「風(かぜ)」一文字が使われている作品を掲げます。
かぜ はなわたえこ「みずたまりのへんじ」銀の鈴社 93.9 かぜ 永田喜久男「はんぶんごっこ」銀の鈴社 08.7 風 鶴岡千代子「白い虹」銀の鈴社 79.6 風 秋原秀夫「風の記憶」銀の鈴社 85.12 風 小島禄榔「海を越えた蝶」銀の鈴社 91.11 風 伊藤政弘「心のかたちをした化石」銀の鈴社 95.4 風 菅原優子「空のなみだ」リーブル 96.5 風 はたちよしこ「また すぐに会えるから」大日本図書 00.1 風 黒田勲子「いのちのみちを」銀の鈴社 00.8 風 糸永えつこ「ふしぎの部屋から」銀の鈴社 01.3 風 牛尾良子「おかあさんの気持ち」銀の鈴社 01.11 風 尾上尚子「尾上尚子詩集」いしずえ 04.7 風 童みどり「月のかおり」らくだ出版 04.11 風 小松静江「古自転車のバットマン」銀の鈴社 94.3 風 尾崎美紀「ライオン日和」らくだ出版 03.6 風 吉田享子「空からの手紙」てらいんく 05.9 風 織江りょう「みんなの地球」てらいんく 06.2 風 なかざわりえ「どんぐりひとつ」らくだ出版 90.5 風 木村信子「もう だいしょうぶだから」大日本図書 00.2 風 三上緑「いつか会った風に」四季の森社 13.1 風 村瀬保子「窓をひらいて」てらいんく 05.3 風 杉本深由起「いつだってスタートライン」理論社 07.3 風 たのみつこ「眠れない夜は」てらいんく 08.10 風 山崎るり子「いっぱい 生きて」四季の森社 25.5
それでも、併せて24編もありました。びっりです。 * そして、詩集名に「風(かぜ)」が使われているものが、なんと15冊もあること が分かりました。
「風の記憶」秋原秀夫 銀の鈴社 85.12 「いつか会った風に」三上緑 四季の森社 13.1 「風をください」新谷智恵子 銀の鈴社 95.3 「木と風と空のうた」畑中圭一 鳥語社 03.5 「風の吹く日の お星さま」宮田滋子 銀の鈴社 09.5 「風栞」小関秀夫 銀の鈴社 90.11 「風とあくしゅ」後藤基宗子 銀の鈴社 05.9 「風のおくりもの」やまうち・しゅうへい 銀の鈴社 14.10 「ありがとうそよ風」葉祥明 銀の鈴社 89.5 「風の詩集 ふ る る」いちかわゆう ぶんしん出版 21.2 「木が風に」吉野弘 そしえて 98.5 「野山をわたる風」阪田寛夫 銀の鈴社 78.3 「水と風」江間章子 銀の鈴社 80.10 「山の風」薫実里 てらいんく 18.7 「あしたの風―熊野路にて」藤井かなめ てらいんく 08.3
□ このように、多くの詩人たちが、「風」を題材にした少年詩を長いあいだ書いてきていることがわかりました。 では、詩人たちは、「風」にどんな思いを込めているのか、詩集のタイトルのなかに「風」が登場する詩集に収められている作品の中から、「風」と題した作品を拾いながら、そのことを見てみようと思います。 15冊すべてをとりあげることはできないで、少年詩・童謡・詩論研究会に縁のある書き手の詩集に限定させていただくことにします。
風がふく日のお星さま 宮田滋子
風が ふく日は つよく ふく日は お星さま ひかりが ゆれて キラキラ キラキラ ひかるんだって さむそうね たかい たかい ふゆぞらで
風が ふく日は つよく ふく日は お星さま ひかりが ちって チカチカ チカチカ またたくんだって かわいいね みんな わらっているようで
「風がふく日の お星さま」銀の鈴社 09.5
風のおくりもの やまうち・しゅうへい
風は 大きな空を あっちに行ったり こっちに来たり 自由だな
窓をあけると 風が来て 自由においで どこかに行った
「風のおくりもの」銀の鈴社 14.10
かぜひかる いちかわ ゆう
きみとはいつも ばったり あう ばったりを やくそくしていた みたいに しだれざくらの したを みしったかげが やってくる ――いまかえるところ ――ふうん たったそれだけ やりとりして はるのかぜ すれちがう みたいに たがいのあゆみに もどる ――そしたらねぇ と おおごえで きみが ふりかえる おさげのさきに ついた ガラスだまが ぴょ ぴょんと ひかる
「風の詩集 ふ る る」ぶんしん出版 21.2
あしたの風―熊野路にて 藤井かなめ
古道は 知っている 遠ざかる ひとのあゆみを 世のうつろいを
古道は聞いている しるべない 峠のむこうの あし たの風を
古道は 待っている あたらしい足音が 若い声が 聞こえはせぬかと
『あしたの風』てらいんく 2008.3
□ 4冊の詩集の中から、4編を引かせていただきました。 「風」が主人公の作品は「風のおくりもの」の一編を除いて、あとは「星」「きみ(と、わたし)」そして、「古道」が主人公。 * 「風」が主人公以外の3編では、「風」は、いわば小道具、あるいは脇役のような役割を演じているわけですが、憎めないいたずらっ子のように、あるいは、見えないからこそ、さらりとした気分を描写し、さらには、見えないからこそ悠久の時間を想起させる存在であったり、と使い分けられている、といえるのではないでしょうか。 見えないからこそ、様々な役割を果たすことができる、それは、わたしたちのなかに確かにある、こころに宿る「第六感」を刺激してやまないからではないでしょうか。 * 作品「風がふく日の お星さま」(宮田滋子)は、風が吹いてこそ、 ひかりが ゆれて/キラキラ キラキラ//ひかりが ちって /チカチカ チカ チカ の描写が生きるのではないでしょうか。 * また、作品「かぜひかる」(いちかわゆう)では、 はるのかぜ/すれちがう という軽妙な一節が、作品全体に流れる��ゆるい感覚�≠�わたしたちに感じさせているのだと思います。 * 作品「あしたの風」(藤井かなめ)は、出だしの「古道」という重さがまずわたしたちの中に据え置かれます。そして、その「古道」が長い年月を生き、歴史の生き証人としてどれほどの出来事を見てきたのかが、さらには、これからも歴史を見守り続けて行くであろうことを、「あしたの風」のひと言が暗示してくれています。 風は、やってきては去り、そしてまた、思いがけない方向からやってくる、そして、風は一つとしてわたしたちの目には見えない、と。 * 作品「風のおくりもの」(やまうち・しゅうへい)のラスト、どこかに行った も、見えないのだから、こんなふうに自由気ままに生きていくのさ、といった軽やかさと同時に、そんな生き方への矜持みたいなものさえ感じさせてくれています。 * さきほど、「風」は作品の中で、「いわば小道具、あるいは脇役のような役割を演じている」と言いましたが、いやいや、そうではない、と考えた時、わたしたちの目の前にまったく違った風景が見えてくるのかもしれません。 繰り返しになりますが、いったい「風」は、どこから来て、どこへ行くのか、そして、わたしたちの傍を通りすぎるとき、何を言いのこしているのでしょうか。
□ 宮沢賢治と風、といえば、『風の又三郎』を思い浮かべてしまいますが、いったい、風に題材をとった作品がどれほどあるのか、そして、宮沢賢治は、「目に見えない風を通じて、何を伝えようとしたのか。」、冒頭に紹介した『風の道しるべ 宮沢賢治と現代―宮沢賢治生誕130年』(ソコロワ山下聖美 中日新聞出版部)に、そのことが詳しく書かれているのではないか、とワクワクしながら、同書に目を通すその時を心待ちにしているところです。
― この項 完 ―
いつものことですが、引用あたっては、誤字・脱字等のないよう努めましたが、何かお気づきの点がありましたらお知らせください。 また、作品「風の吹く日の お星さま」(宮田滋子)、「風のおくりもの」(やまうち・しゅうへい)、「かぜひかる」(いちかわゆう)、「あしたの風―熊野道にて」(藤井かなめ)等の引用に際しては、著者や出版社などから事前の許諾を得ていませんが、引用先を明示していること、商業目的ではないこと、そして、論考への引用であることをもって、格段のご高配のほどいただければ幸いです(文中、敬称略)。
2026/9/27 |