少年詩時評『からだ その4「あたま 鼻A」』 佐藤重男
□ 今回は、「はな(鼻)」をテーマにした作品についての2回目、です。 前回お約束した通り、「嗅覚」について見て行こうと思います。 ご存じの通り、「嗅覚(または、におい=鼻)」は、人間や動物たちの、「視覚(目)」「聴覚(耳)」「味覚(舌)」、そして「触覚(皮膚)」などの、いわゆる「五感」の一つです * では、前回のおさらいも兼ねて、少年詩の作品に登場する「鼻」の役割のうち、「嗅覚」は、どのように表現されているかを見て行くことにします。
□ まず、タイトルに登場する「臭覚」です。 いずれも、ゾウ(象、以下、ゾウと表記)の「はな」でしたが、では、それらのゾウの鼻は、どんな働きをしてるいるのか、見てみましょう。
象のはな 北村蔦子「あかちんらくがき」銀の鈴社 82.12 象のはな いばっていった/はな はな はな/はなさえ あれば 象なん だ/はなが いちばん えらいんだ 象のはな 土屋律子「るすばんカレー」銀の鈴社 05.12 ブランコのように/ゆらして草をさがす はな//草を取って 口に運ぶ/手の ように動く はな ゾウの はな 小臣富子「わんさか わんさか どうぶつさん」 銀の鈴社 08.6 ちいさなちいさな ピーナッツを/鼻のさきで つまむのは だーれ?/そ れはね それは//手のように 鼻のさきを うごかして/こどものゾウを なでまわす
北村の「象のはな」は、異形ともいえる、ゾウの鼻のあの独特の見た目を、「だから象なんだ」と再確認するものであり、土屋と小臣のゾウの鼻は、手のような働きをするものとして描写しており、いずれも、「嗅覚」としてのゾウの鼻の働きを詠ったものではありませんでした。 そうですね、ゾウといえば鼻、そのゾウの鼻といったら、なんといっても、手のように器用な動きに目が行ってしまいますね。
□ では、続いて、作品に登場する鼻の役割を見てみましょう。前回紹介した一覧の中から「嗅覚」に関する作品だけを拾い出します。
おかあさんの におい たかはしけいこ「おかあさんの におい」 銀の鈴社 92.6 はなを かむときの さびしい におい 木 いちかわゆう「風の詩集 ふ る る」ぶんしん出版 21.2 くろくぬれたはなで/きりかぶのにおいを/かぐ くうき 竹内紘子「スクールゾーン」らくだ出版 05.3 ゾウははなをのばす/かわいたつちのすなのにおい/かわいたそらのプルシ ャンブルー 約束 井上良子「太陽の指環」銀の鈴社 12.8 みみをすます/はなでにおう/はるかとおくをみつづける
以上、4作品でした。 * 続いて、作品に登場する「鼻」です。たくさんあります。 秋がきた 小野寺悦子「小野寺悦子詩集」いしずえ あ、秋がきた/まよなかにめざめて/鼻がこえをあげると もぐらさんのうた 井上灯美子「ちいさい空を ノック ノック」 銀の鈴社 05.3 おまどをあけた/ じんちょうげのにおい/ 水仙のにおい/まどからお花を さがしたら/とんがりお鼻に なりました かくれんぼ 若木良水「光と風の中で」銀の鈴社 02.9 土曜干しの梅と紫蘇が 白い粉を吹いていて/鬼の気配を伺うたびに/梅酢 と紫蘇の香りが 強く鼻をうつ こころ 小泉周二「誕生日の朝」銀の鈴社 94.5 目を使う/耳を使う/鼻を使う/口を使う/手を使う/足を使う 三月 青木明代「ひるとよるのとりかえっこ」てらいんく 04.6 小さなにおいすみれ さいてます//仁王さま/うっとり 大きな鼻で かい だから/蜂もいっしょにすいこんだ じゃがいも 久保田昭二「のはらで さきたい」銀の鈴社 84.8 じゃがいもの 花/あれは鼻よ/かぎわけてるな/六月の 空に/夏の におい を 石けん 宍倉さとし「海は青いとはかぎらない」銀の鈴社 94.3 さいそくしている声が/きこえます//いえ いえ/耳できいても/きこえませ ん/ 鼻できいてみてください 伝言 山本純子「あまのがわ」花神社 04.3 鼻をつく作業の過程を/克明に描いた詩で はじめまして 鈴木初江「めぐりめぐる水のうた」銀の鈴社 21.4 目をつぶり鼻をよせたら/―はじめまして/のにおいがした
以上、9編でした。
□ はな、と鼻の合計では13作品になりますが、これらのうち、鼻でにおいを嗅ぐ主体は誰(何)でしょう。 一覧にしてみます。
おかあさんの におい …ひと 木 …いぬ くうき …ゾウ 約束 … ひと 秋が きた …ひと もぐらのうた …もぐら かくれんぼ …私 こころ …わたし 三月 …仁王さま じゃがいも …じゃがいも 石けん …誰か 伝言 …国鉄の職員 はじめまして …わたし
というわけで、ひと(人間)が主人公である作品、つまり、人間の鼻=嗅覚を題材にした作品は8編ということになります。 鼻を題材にした作品は、タイトル3+作品23+41、併せて67作品あり、一方、わ たしたち人間の「嗅覚」に取材した作品は8編というのは、果たして多いのか少ないのか、どうでしょう。 わたしは、少ない、と思います。 そして、その理由として二つある、と考えます。
□ 一つは、これまで見てきた通り、はな・鼻といえば、ゾウ(象)が圧倒的に多く登場することが分かりました。 そして、何度か触れましたが、動物のなかでもゾウはその体躯が大きく、しかも、なんといっても、あの長い鼻の持ち主であるからこそ、「異形のモノ」としての存在感が嫌でも特筆の対象になる、ということがあります。 ですから、少年詩の世界でも鼻=ゾウ=手のような器用な働きをする、というところにどうしても目がっていってしまう、その結果、少年詩の多くの作品にも、ゾウ=鼻=ぶらーりぶらり、といった描写が多く見られることになる、ということではないでしょうか。 しかも、ゾウは草食でおとなしく、中でもあの目の優しさは、わたしたちを魅惑してやみません。 それは、東山動物園(名古屋市)の人気動物のランキングからも覗えます。 公式ホームページから引いてみます。
第26回東山動植物園人気動物ベストテン結果発表 2024年11月17日(日) 令和6年10月5日(土)〜11月4日(月・休)まで開催した「人気動物ベストテン」の結果についてお知らせします。 第1位 コアラ 第2位 レッサーパンダ 第3位 コモドオオトカゲ 第4位 ゾウ 第5位 ホッキョクグマ 第6位 ゴリラ 第7位 ライオン 第8位 キリン 第9位 トラ 第10位 ツシマヤマネコ * また、わたしの作成した資料「少年詩の生きもの大図鑑」(仮称)でも、次のような結果になっています。後の数字は作品等への登場回数 1位 ねこ 694 2位 いぬ 554 3位 うさぎ 228 4位 ぞう 211 以下、略 偶然にも、東山動物園の人気ランキングで4位、少年詩に登場する生きもの(哺乳類)の中でも4位でした。 こうして、動物園の人気者として多くの、特に、子どもたちに人気があるゾウ=鼻=手のような動き、という図式(=子どもたちがそう感じている、という大人の解釈)が、少年詩のなかにも定着してしまっている、と考えていいのではないでしょうか。
□ では、鼻=嗅覚、という描写が少ない、そのことの二つ目の理由を考えてみたいと思います。 まず、におい(匂い、臭い)について、です。 わたしは、「におい」は、生活臭、皮膚臭、だと考えます。それがもっとも端的に表れている作品が、山本純子「伝言」ではないでしょうか。長文ですが、全文を引いてみます。
伝言 山本純子
『便所掃除』という詩がある 全国のトイレが、まだ汲み取り式だったころ 国鉄の職員だった濱口國雄さんが 早朝、駅のトイレを掃除する 鼻をつく作業の過程を克明に描いた詩で 便所を美しくする娘は 美しい子供をうむ といった母を思い出します 僕は男です 美しい妻に会えるかも知れませんという、 すてきな詩句で終わっている
私の勤める高校では 金曜日になると おばさんたちがやってくる ゴム長靴、ゴム手袋の出で立ちで トイレ掃除のための用具を一式ぶら下げて
休み時間ごとに 教員は全校のトイレを回って 生徒たちの喫煙防止と吸い殻拾いに 努めることになっているので 生徒用トイレの中で ときたま、おばさんの一人に出会うことがある
先ごろ出会ったおばさんに 何という気もなく うちの学校のトイレはどうですか と聞いてみたところ おばさん曰く、 うちら、いろんな学校回らしてもろてますけど 小学校のトイレが一番きれいですなあ そら、小学生のことですし 便器にようウンコさんがついてますけど まだよっぽどましですわ 高校生の娘さんら 顔ばっかりきれいにするのに夢中ですけど トイレの方はなってませんなあ 昔から、トイレをきれいにする娘には かしこい子供ができる、って言いますやろ うちら、そう言うて母親からしつけられたもんですわ 今の親御さんはそんなこと教えまへんのやろか それやったら先生から そう言うて教えてあげておくれやす
美しい子供が生まれるのか かしこい子供が生まれるのか その詮議はともかく 濱口國雄さんの詩のことばが ホースから流れる水で タイルの目地のすみずみまで きれいさっぱり洗われたトイレの床に 生身の形で立っていて
濱口國雄さんの母からの トイレで出会ったおばさんの母からの 代々の母たちからの伝言を この日、思いがけなく手渡された私は この伝言をどのように次の世代へ伝えたものか 思案のあげく とりあえず詩に書いておこう
「あまのがわ」花神社 04・3
もっとも、現在のトイレは、駅や商業施設など公共施設のものも、「便所」という昔の呼び名から連想されるものとは違って、きれいに保たれていて、使い勝手のよいものになっています。それでも、わたしなどは、外出先でトイレを使う時は、思わず鼻をヒクヒクさせてしまいます(一部の公園には「ちょっと」と思わせるところもありますね)。 * また、こんな詩もあります。
あるのかな 清野 公彦
風がふわっと おとくんのにおいをつれてきた いつかおとくんちに とまりにいった時も ふとんに同じにおいがした
ぼくんちにもにおいがある なんかへんてこりんなにおいだ ねこのチャチャ かあさんの服 とうさんの上着 ぼくのにおいもあるのかな 家のどこにあるのかな
詩の音読集 1・2年 にんじんにんじゃ (社)日本児童文学者協会・付設 少年詩・童謡・詩論研究会
* この二つの詩は、そういう意味では、どこか「皮膚感覚」に通底するものが感じられ、そんな作品には、より人間臭が浮き上がってくる、そんな気がします。 そういった機微にわたる「思い」を「平易なことばで簡潔に」という少年詩の中に取り込むには、かなりの力量やテクニックが求められるのではないでしょうか。 何よりも、未知の地点に降りて行かなければならない、そして、そこから帰還しなくてはならない、のですから。 だからといって、至難の業、ということをいいたいのではありません。 現に、「皮膚感覚」でにおいを書いている作品があります。
おかあさんの におい たかはしけいこ
おかあさんの においは
干し草の下で ねむっていた 土の におい
こぼしたミルクを ふいたあとの テーブルの におい
雨あがりの朝 軒したに できた ちいさな 水たまりの におい
そして
泣いたあと ひとりで はなを かむときの さびしい におい
「おかあさんの におい」銀の鈴社 92.6
なんといったらいいのでしょうか。皮膚がヒリヒリするような感覚の詩、という言葉しか見当たりません。 というわけで、皮膚感覚と通底するにおいを、どのように少年誌の作品の中に滑り込ませるのか、それは、少年詩を書く者にとっての醍醐味に尽きる、わたしはそう思います。 * 嗅覚よりも、ぶらりぶらり妖しく動く鼻の動きに囚われるのもいいでしょうし、巷にあふれるあらゆる匂いを嗅ぎまわるのもお薦めです。鼻が曲がる程の匂いを嗅ぐことなど、めったにあるものではありません。
□ その臭いが、いま、巷から消えようとしています。 いえ、自然の臭いが、人工的なそれに置き換えられようとしている、と言った方がいいのかもしれません。 時代がそれを要請している、というよりは、端的に言うと、高市早苗首相が強引な手法で進めようとしている「DX」なる、アナログからデジタルへの移行が強要されつつある、そのことに見て取れるというべきではないでしょうか。わたしは、これを強制疎開≠ニ名付けたい。なぜなら、高市早苗首相は、すべての政策の根底に「戦時」を想定しているからです。 * よく、家電量販店の折り込みチラシなどに大文字で「DX」などと書かれていますが、わたしには何のことかよくわからず、ネットで調べたことがあります。また、高市早苗首相の国会での「施政方針演説」(2026.2.20)の中にも、たびたび「DX」の文字が登場します。 せっかくですから、この機会に勉強しておきましょう。
DX(デジタルトランスフォーメーション)とは、データやAI・IoTなどのデジタル技術を活用し、製品・サービス、業務プロセス、ビジネスモデル、企業文化までを根本的に変革する取り組みのことです。 ―ネットより引用
* でも、どんなにITが進化しても、さすがに、「五感」のうち「嗅覚=臭い」は代替が効かないだろう、と思っていたのですが、どうやら現実の匂いそのものではないけれども、再現できる技術が開発されているようです。
GameScentは、ゲームの音声を解析して、それに合わせた匂いを出すという画期的なデバイスです。銃撃戦の火薬の匂い、雨の匂い、森の匂いなど、様々なシチュエーションに対応したカートリッジが用意されており、よりリアルなゲーム体験を可能にします。 ―ネットより引用
わたしは、IT技術によって、「五感」が再現される、そのこと自体に反対しているのではありません。 わたしたちは、阪神・淡路大震災や、「地下鉄サリン事件」、そして、東日本大震災によって「科学技術万能」という神話の崩壊を目の当たりにしました。 にもかかわらずいま、何事もなかったように、再び、「DX」なる、「新・科学技術神話」を信奉して行こうとしているのではないか、そんな懸念を払しょくすることができないのです。 デジタルには、デジタルの利点があります。そして、アナログにはアナログの利点があります。 特に、わたしたちの身体に関わる「五感」をいっそう鋭いものにしていくには、そして、問題関心をより深めていくには、アナログ的な手段が不可欠なのではないでしょうか。 たとえば、デジタルの世界の中では、死者は何度でも甦ります(ゲームの世界)。でも、アナログの世界では、死者は甦ることはありません。 その違いが無いかのように振る舞うことは、許されてはならないのではないでしょうか。 * 手元にある東京新聞に、こんな記事が載っています。
高1学力 国内格差広がる
2026年9月9日付のこの記事は、経済協力開発機構(OECD)が行った91カ国・地域の15歳を対象に2025年に行った学習到達度調査の結果を報じたもので、それによると、「読解力の低下」が目立つ、というのです。 教育へのデジタルの導入については、デジタル教科書だけではなく、紙の教科書の併用も検討されはじめるなど、デジタルによる過不足が指摘されている現状があります。 SNSの年齢制限の問題もあります。 にもかかわらず、高市早苗首相は、「DX」に前のめりの姿勢を変えようとはせず、旗振り役をいっそう強めています。 新聞に次のような記事を見つけました。
6/21 成長投資 官民目標370兆円 40年度まで 17分野 AIや半導体 ― 東京新聞記事より
いったい、これほどの巨額な資金をどこから用意しようとしているのか、たとえそれが可能だとして、そのために赤字国債の発行(増税として跳ね返ってくる)あるいは、削られる予算はないのか、物価対策はもちろんのこと、子どもたちの居場所、お年寄りの生きがいの創出、道路や橋、などのインフラ整備、などなど、やらなければならないことは山ほどあるはずです。
□ 少年詩の詩人たちが、身体機能としての「五感」を大切にした作品を書き続けることで、人間とは何か、あるいは子どもの成長とは、生きるとは、そういった根本に関わる問題関心を追求していく、その先駆的な役割を果たしてほしいと強く願うばかりです。 * 次回は、「口(舌)」をテーマに少年詩の作品を見て行くことにします。どうぞ、お楽しみに。
― この項 続く ―
いつものことですが、引用あたっては、誤字・脱字等のないよう努めましたが、何かお気づきの点がありましたらお知らせください。 また、作品「伝言」(山本純子)、「あるのかな」(清野公彦)、「おかあさんの におい」(たかはしけいこ)の引用に際しては、著者や出版社などから事前の許諾を得ていませんが、引用先を明示していること、商業目的ではないこと、そして、論考への引用であることをもって、格段のご高配のほどいただければ幸いです(文中、敬称略)。
2026/9/9 |