少年詩時評『武鹿悦子『月の笛』』 佐藤重男
□ 先日、近くの市立図書館で、朽木祥の著書を探している時、偶然、創作関係の書棚に開架されている本の中に武鹿悦子の名前を見つけました。 それは、『月の笛』(東逸子・絵 小峰書店 2006.10)という、創作作品の本でした。 武鹿悦子=詩の書き手、と思い込んでいたので、何か、掘り出し物を手にしたような気持になったのです。 * 家に帰って読み始めたところ、それは、ファンタジー作品であることがわかりました。 港のある都会から、私鉄が通る山間の町に引っ越してきた、小学生の潮(母子家庭の一人っ子)が、千年の過去へとタイムスリップし、数々の試練と出会うという物語です。 そういう意味では、ざっくり言ってしまうと、いわゆる戦後児童文学の一ジャンルとしての「成長物語」とも読めます。 * 圧巻は、玄山坊(道をふみちがえた行者くずれ=悪)と、スクネ坊(いったん行者の道からはぐれた、潮の師=善)との壮絶な戦いのシーンです。 それは、まるで、現代のテレビゲームの戦闘シーンでも見るような展開が描かれており、武鹿悦子はこんなものも書けるんだ、と思わされます。 * いえいえ、武鹿は、こんな詩を書いています。
へびの子守歌 武鹿悦子
へびはやさしく木をだいて るるッと、したをもつれさせ うたっているよ 子守り歌
るすのカケスの巣のなかに 卵が よっつ ねむってる
『お花見』銀の鈴社 1996.4
改めて、作品「へびの子守歌」を読んでみて、なるほど、武鹿なら、創作『月の笛』のなかの行者同士の壮絶な戦闘シーン、あるいは、盗賊らの蛮行も描けるよね、と納得したのでした。 * そうそう、『月の笛』のなかにこんな一節があります。
【そして、弱い者を虐げ、世を支配する魔や妖怪に向かって極限の修行で戦いをいどもうとするスクネ坊のような人物が、はたしてぼくたちの世にどれだけいるんだろうか? 潮は会ったばかりで言われてしまった、 「千年たっても、人間はあまり変わらんなあ」 というスクネ坊の言葉を思い出した。】―P88
□ 「**年経っても色褪せない」という誉め言葉がありますが、この本が出版されて20年弱、さて、この作品がそれに当てはまるとして、それは喜ぶべきことでしょうか。 そして、わたしたちは、「千年たっても、人間はあまり変わらんなあ」に異論を唱えるべきか、それとも…。 すくなくとも、「分断」ということばは返上したいものです。
□ ぜひ、『月の笛』(武鹿悦子 小峰書店 2006.10)を手に取ってみてください。詩集『お花見』(銀の鈴社 1996.4)も併せて目を通していただければ、と思います。(文中敬称略)
― この項 完 ―
いつものことですが、詩集掲載の作品の引用、書籍の紹介などにあたっては、誤字・脱字等のないよう努めましたが、何かお気づきの点がありましたら、お知らせください。 また、作品「へびの子守唄」の引用にあたっては、事前に著者・出版社等の許諾を得ていませんが、論考への引用であること、出典を明示してあること、商業目的ではないことなどから、関係者のみなさんの格段の誤合敗のほどいただければ幸いです。
2025.11.12 |