同人誌『詩と童話 このて ��81』【詩�U】の詩編を読む 佐藤重男
□ 小島説雄「オオルリの叫び」「宇宙と私」「妻よ生き抜け」 作品「オオルリの叫び」に目を通しながら、やっと、少年詩にも「叫び」の文字が戻ってきた、そんな感慨にふけってしまいました。そして、その「叫び」の中に、なんともいえない「悲しみ」や「憤り」を読み取らずにはいられませんでした。 * 作品「宇宙と私」には、これもまた、永らく少年詩の世界から遠ざかっていた「宗教観」が還ってきた、そう思わずにはいられません。 宗教観もまた、「人間存在の証し」を追求する、そこから生まれたのに違いありません。 * 作品「妻よ生き抜け」は、論じるには、あまりにも個の人格に関わるものだけに、筆を取り上げるのにためらいを感じたのでした。ただ、このような作品もまた書き遺しておくべきではないか、そう感じます。
□ 上崎佳子「これから」「春の声」「雨のち晴れ」 作品「これから」は、いわゆる「終活」にめどがついた、ということなのでしょうか。わたしは、個人的には「終活」ということばが好きになれずにいたので、 ―かかえていた事を手放した― のひとことに助けられた、そんな気がしています。感謝です。 * 作品「春の声」を口で唱えながら、人それぞれに感じていい、いろんな春があっていい、そんなことを感じたのですが、ラスト、 小鳥のさえずりと 白い綿ぐも 青い空 もまた、読む者の気持ちを「明るく」してくれるに違いありません。 * 作品「雨のち晴れ」を読んで、そうだよねぇ、晴れない雨はない、というよね、と思わず合点してしまいました。 わたしたちは、ほんとうに、 空を 見上げながら という日常からかけ離れてしまった、そんなことへの警句なのでしょうか。
□ 石田多美子「自分だけ」「大好きです」「思い出の数々」 作品「自分だけ」を目にして、終連の、 準備万端 みのりある日常の始まりへ 発車 オーライ からは、あすへの希望に対してまぶしいほどの確信が読み取れ、励まされた思いがします. * 作品「大好きです」もまた、明日への確信に溢れています。うまく行かないことすべてを誰かのせいにするのではなく、「ありがとう」と言える、そんな自分を取り戻したいですね。 * 作品「思い出の数々」は、あるあるの世界。よく、一年間手つかずでいたものは、もう必要のないものとして処分しなさい、と言われますが、いざ手にしてみると、結局、 そっと ふたをとじ 元の場所に ですよね。
□ 岩越祐子「ひな祭り」「気候変動」「春の香り」 作品「ひな祭り」では、雛壇を飾ることもなく、「雨が朝から降り/風が強く吹きすさび/肌寒い」ので、ダンスを踊ろう、というのですが、おや、何かとんでもないことでも起きたのかしら、そんなことを思わすにはいられず、お尻が落ち着かないのですが…。そうですか? * 作品「気候変動」は、ぜひ、あの国の大統領に読んで欲しい、そんなことを思いました。 それにしても、なかなか辛辣。「バリ協定」の「1.5℃」の約束がこうも実現されずにいるのですから、 人間の脳みそを/くさらせていく 指導者達の/脳みそが/くさっていく と、言わずにはいられないのもよくわかります。 * 作品「春の香り」は、タイトルが指示してくれているように、「外に出かけよう」と思わずにはいられなくなる、そんな春のくれたエネルギーへの感謝の気持ちが読み取れます。
□ 司由衣「夜の渚」「駅」「夜の坂道」 作品「夜の渚」は、男女の想いの違い、そのすれ違いを描いてみせてくれています。さあ、 さらさら さらさら 星の砂 きらきら きらきら 砂の君 どちらでしょうね、あなたの気持ちは、そして「君」の気持ちは…。 * 作品「駅」は、地下鉄を舞台にした、二人の男学生たちによる無声映画か、それとも白昼夢をみているような…。地下鉄と男学生二人の組み合わせから「耽美な世界」が現出するとは、なかなかの跳躍ぶり。 * 作品「夜の坂道」を読み始めて、えっ、連れ去り事件! と驚いたのですが、やはり、事件が起きたようです。 それにしても、少女のわたし一人が 知らない駅にふらっと降りて 知らないホテルにチェックインした は、ただならぬ出来事。でも、そのわたしも「老年」。にもかかわらず、 夜の坂道がわたしの たった一つの道なのだ というのです。なぜなら、「永遠の初恋」の結果だから、と。
□ 加茂照子「ゆうひ(夕陽)」「ほうせん花」「かあちゃん」 作品「ゆうひ(夕陽)」を読みながら、思わず「もう一声!」と思わずにはいられませんでした。 もちろん、 行けども行けども菜の花をさらに繰り返せば、と作者もそう思ったでしょうが、そうすれば、あの、山村暮鳥「風景 純銀もざいく」の「いちめんのなのはな」の繰り返しに重なってしまう、と躊躇しのではないでしょうか。 大丈夫です。わたしたちは、勝手に、 行けども 行けども 行けども 行けども 菜の花 と読み換えるので。 * 作品「ほうせん花」は、なんとも勢いのある「ユーモア詩」といったらいいでしょうか。たのしいです。 * 作品「かあちゃん」は、書き遺すべき詩、だと思います。わたしたちは、子どもたちに対して、何がしてあげられるのか、あるいは、なにもせず見守ってあげることこそがお大人の役目なのか、…そうして悩み、戸惑いながら、子どもたちと一緒に、わたしたちも成長していくのかもしれません。 それを「きれいごと」といってしまってはならないと思います。
□ 秋月夕香「のばら」「さいぼうたち」「ワスプ七十六星のありか」 作品「のばら」を読んでいて、わたしは、「のばら」は、きっと無口なのだろうな、と思いました。にもかかわらず、その「のばら」の声が聞こえるというのは、真摯に向き合えば通じ合える、という確信を「私」が持っているからに違いありません。 * 作品「さいぼうたち」で描かれているのは、SFの世界ですが、実は、少年詩には、このジャンㇽの作品がきわめて少ないのです。いやあ、文句なく面白いですね。その発想力とユーモア感覚に、脱帽です。
□ 吉田百合子「ひまりちゃん」「赤星てんとう虫」「天国のみいちゃんへ」 作品「ひまりちゃん」のなんと可愛らしいことでしょう。いまどきの親たちはほんとうに名付けが上手ですね。わたしの知り合い(といって子どもですが)にも、「ほぉ」と思わず声をあげたくなるような名前の持ち主がいます。(個人情報に関わるので略) * 作品「赤星てんとう虫」は、車の中に迷い込んだ「てんとう虫」との、わずか数分の交流を描いたもの。そして、無事に車外へと飛び出すことの出来た「てんとう虫」に思わず送ったエール。 飛び立ちなさい 赤星の羽を広げ 風に乗って高く遠く ラスト、「高く遠く」に、書き手自身の今への思いも込められていると感じました。 * 作品「天国のみいちゃんへ」は、これもまた、書き遺しておくべき作品だと思います。あなたのことを見つづけ、思い続けていた大人がここにいます、ということをことばにしておくことは必要であり、それを書ける気持ちがある人なら、ぜひ、そうして欲しいと思います。
□ 下田喜久美「家出の猫」「野猫になった長女のすず」「ちょうちょ」「パラ」 作品「家出の猫」は、猫という他者に自身を投影した作品が多くあり、それはそれで書かなければいけないのですが、この作品では、猫自身が主人公として登場している、そこに他の「猫たち」とは違いがあります。作者にとって「分身」あるいは「連れ合い」とでも称したらいいのでしょうか。 * 作品「野猫になった長女のすず」では、名前を呼べば返事はするが姿は見せてくれない。でも、作者は、そんな野猫の「らしさ」を、 猫にも気概があるのね と見て取るのです。 * 作品「ちょうちょ」は、春の景色の中を飛ぶ、ちょうちょの姿を写し取ってくれています。平易なことばづかいで、曲を付けて口ずさむための詞と言えます。音読にもいいですね * 作品「バラ」は、バラの棘の罪深さを詠った現代詩風の作品。各連のラスト1行をならべただけでも一つの作品として読めます。 血をみた 私 悔いているのは わたし 血を流したのは 私の心 特に、「血を流したのは わしの心」は、小学生高学年から中学生までの子どもたちに「これはわたしがモデル」と言われそうです。
□ 今回の、「詩�U」でのお薦めの作品は、加茂照子「ゆうひ(夕陽)です。全文を引きます。
ゆうひ(夕陽) 加茂 照子
行けども 行けども 菜の花
ついにゆうひに たどりついた
同人誌『詩と童話 このて ��81』より
□ それにしても、「このて ��81」は、ボリューム溢れる紙面でした。 そんな中、「追悼 太田充広特集」に触れることができず、申し訳ありません。同人誌『このて』の次号でもまた、同人のみなさんの作品と出会うことを楽しみにしています。 同人のみなさんが、これからも健筆をふるわれること、祈念してやみません。
― この項 完 ―
いつものことですが、作品名などの引用あたっては、誤字・脱字等のないよう努めましたが、何かお気づきの点がありましたらお知らせください。 また、作品「ゆうひ(夕陽)」の引用に際しては、に著者・発行所などから事前の承諾を得ていませんが、引用先を明示していること、論考への引用であること、そして、商業目的ではないことなどから、関係各位の格段のご高配のほどいただければ幸いです。(文中、敬称略)。
2026/10/12 |