Yes, We Are Open !

はい、私共は開店しております!店主の気まぐれで選りすぐった品々を多数ご用意してお待ちしております。お気軽にお越しください。
 
2006/11/08 1:45:52|修学旅行
修学旅行

出張にかこつけて紅葉を愛でに京都見物を敢行した。が、濃いも薄いも無くまだまだ緑であった。お座敷小唄を口ずさみ先斗町を抜け木屋町で遅いランチ。店で手にした雑誌で晩飯処を物色してたどり着いた先が京風町屋フレンチのお店”アームドギャルソン”。フォアグラのステーキだってさ、旨かったっスよ。今回一番の収穫である。







2006/10/14 19:16:43|クルマ
マティーニ
マティーニといえばドライ・マティーニでお馴染みのカクテルであるが、とはいっても飲んだことは無いのだが、これがマルティーニとなると途端に”おお!マルティーニカラーはやはりランチャ!!”となる。モータースポーツのスポンサーは圧倒的にタバコ屋が多い中、まさか酒屋が看板を出していたとは・・なかなかこの両者を結びつけて考えることは出来なかったのだがアルファベットにすればMARTINIであるからして英語読みすればマティーニ、イタ語読みならマルティーニとなる。なるほど。日本語は正しく当地発音をカタカナにしてくれるのでこれが間違いの元となる。ジョンもヨハンも、ポールもパウロもスペルは一緒って云ってもにわかには信じられねえよ。
残念ながらマルティニの酒を買っても酒瓶にもラベルにもマルティニカラーには塗られていない。







2006/10/09 23:42:49|クルマ
エンジン・ブロー
落日の赤き皇帝はエンジン・ブローに泣いた。かつてシューとチャンプを争ったミカは同じく鈴鹿でリタイアした後に木立の影で男泣きをしていたところを空撮され泣き虫ハッキネンと称されたことがあったが、シューは淡々とピットまでの長い道を歩き、クルー全員とハグを交わし、彼のグランプリを締めくくった。レース後、最終戦でアロンソのリタイアを望んでまでチャンプの座には固執しないとの談話を残したそうだ。立派である。流石、皇帝である。ベネトン時代は生意気で向こうっ気が強くて高慢で・・って、いまのアロンソと同じじゃん!!横綱朝青龍然り、やはり地位は人を作るものなのか。(写真は拾いです。)







2006/10/01 3:37:09|見聞録
栃木遠征
東北道栃木インターより佐野方面へ向かい、勘と記憶を頼りに葛生から琴平峠にアプローチした。1本目は下見をして2本目に勝負!なんて思っていたが想像以上に道が荒れている。落ち葉で道幅が狭められているしコーナーには地下水が流れ出ているしコケで緑色になっっているポイントもあったり・・とてもじゃないがこれじゃあ2本目は無しだね。考えてみればここを目ン玉三角にして1stギアでコーナリングしていたのは20年程前のことだから道もヒトもくたびれてらあね。このまま帰ったら遠路はるばる来た甲斐がないってなもんで唐沢山から田沼に抜けるコースをトライする。こちらは琴平に比べれば随分とマシなのだがいかんせん距離が短い。こうしてみると箱根はコースの豊富さといい、アクセスの良さといい流石天下の険である。折角なので佐野厄除け大師におまいりして佐野ラーメン食って帰路に着きました。







2006/09/28 23:35:59|時事ネタ
東京ローズ
東京ローズさんがお亡くなりになった。大戦中に米兵のヤル気をゲンナリさせてしまおうという意図の下、ゼロアワーというラジオ番組でDJに起用されていた方である。詳細(写真共)は例によってウィキペディアを参照されたい。この番組は米兵達には絶大な人気で東京ローズというのも彼らがつけた愛称で、まあ、ゲイシャガールと同じノリだろうと推察する。”トーキョー行ってローズとデート!サイコー!!”みたいな・・。
サイパンから東京に爆弾を落としに来るヒコーキはローズの声を頼りに飛んできた、とか云う話もどこかで聞いたような気がする。
戦争が終わって放送も終わって残念がった米兵の為にFENが始まったなんてストーリは面白いなと、これまたウィキペディアに訊いてみたが、FENの前身はアラスカで同年に開局したそうだ。